6. 出会い
リワム・リラが悩んで幾枚もの下書きと一枚の高級紙を使って手紙を書き終えた数日後、手紙を受け取りに使者が現れた。客間に通されたのを父が出迎え、しばらくすると女中を通じてリワム・リラが呼ばれた。使者殿が一度会いたいと言っているという。
「大臣のウィリアム・リークッド様だ。あの金髪と青い目、白い肌。間違いない」
退室する父に耳打ちされた。国を支える一人の大臣殿の来訪は、リワム・リラの気が遠くなるほど青ざめさせた。女中が着せかけてきた来客の為の黒の外套が目元を残して全体を覆ったので父は気付かなかった。
自分が金色の瞳を黒と偽ったことを思い出す。じわじわと冷たさが昇ってきて、恐らくひどく責められるだろうと思った。だが、こうして早く発覚するのは良かったのかもしれないと思い直す。王の御前でお怒りを受けないで済むのだから。ああけれど父はお咎めを受けるかも。画家も何か。姉の今後にも影響を与えかねない。もしマージ一族全体に罰があったら。
ぐるぐると目を回しながら、扉を叩いた意識もなく取っ手の感触も分からずに入室した。そこにすっと立ち上がる人物があった。
ウィリアム・リークッドは大柄な身体をぴんと伸ばし、入ってきたリワム・リラを鮮やかな色の瞳で見つめた。その強い目にどきりとして慌てて目を伏せたが、それはまずいと思って少しだけ目を上げる。
ウィリアム・リークッドはわずかに赤みがかった白い肌をしていて、覚めるような青い瞳に真昼の太陽のような濃い金色の髪、そして同じ色の髭を口元に生やしていた。けれどずいぶん若い印象を受ける。顔がすっきりとしているからだろうか。背が高く肩幅が広くがっしりしていて、文人というよりも武人という方がしっくり来るような存在感だった。これが知略の傑物、王の右腕の威厳なのか。
それにしてもずいぶん大きな人物だった。カリス・ルーク様も大柄な方だと聞いているけれど、こんなに大きな方なのかしら……などと考えていてはっと我に返り、軽く膝を折った。
「ウィリアム・リークッドだ」
低い声。白人と青い目という共通点からか、想像上のカリス・ルークにぴったりと重なってどきりと胸が高く鳴った。そのままどくんどくんと高い音を鳴らし続ける。思わず椅子に座るまでの動きがぎこちなくなった。
それをウィリアムは、なんとおどおどした娘だろうという目で眺めていた。使者如きにこれでは王に会ったら卒倒してしまうのではないだろうか、きっとそんな風に思われているとリワム・リラは感じた。本当は今にも卒倒しそうなのだと白状したかった。
「手紙はしかと預かった。必ず王に渡そう」
頷いたまま顔を上げられなかった。
だって、その手紙は。
「お前は春の生まれか?」
「え?」
声を発してしまった。慌てて、隠れているのに口元を覆う。
その瞬間瞳がかち合い視線が混じり合った。温かい空色の世界を垣間見て目を見張ったのも束の間、ウィリアムの驚いた顔にあっという間に深い罪悪感の底に沈んだ。
「金の瞳……」
リワム・リラはああと息を吐いた。
「混血なのか?」
厳しく詰問するように聞こえ、思わず身を退く。偽ったのを咎められる。
だが逃げられない。覚悟してぎゅっと目を瞑った。
「はい……」
真っ暗な世界で続く言葉は聞こえなかった。恐る恐る目を開けてみると、再び青と出会った。ずっと目を逸らさずに見つめていたらしくリワム・リラは声も出なかった。
誰も真正面から目を合わせようとはしなかった。父でさえ見ないのだ。そうして誰もが立ち去っていく。心を知ろうともしてくれない。他人で、こんな風に向き合ってくれる人なんていなかった。いないと思っていた。
瞑った目で見る世界、その暗闇の中に、さっと青が広がったように思った。
大臣は、笑った。柔らかなもの、優しいものを見るように微笑んだ。いっそう青が温かくなった。
「美しい目だな」
ぽかんとした。馬鹿みたいに口も目も開けているリワム・リラを置いて、大臣はついさっき口にした言葉を忘れてしまったかのように平然と立ち上がって言った。
「それでは失礼する」
ぱたんと扉の閉まる音がしたなと思って、誰もいない椅子を見、そうしてようやく慌てて振り返ったそこには誰の姿もない。
部屋にいたはずの女中は大臣を見送りに出たのだろう。父の大仰な文句がここまで聞こえる。一人部屋に取り残されて、ゆるゆると目を上げた。
「美しい……?」
ゆっくりと息をする。気付けば棚の上にかけられた鏡に目をやっていて、金色の目をした自分が目を丸くしたまま立っているのを見ていた。魔人の瞳、呪われた目と同じ色を持つリワム・リラという娘が。
『美しい目だな』
「……本当に……?」
鏡が答えてくれるはずもない。
目の色を偽ったことを許されたのに気付いたのは、それから数時間後だった。
* * *
彼は馬車の中で手紙を開いた。不自然ではない、けれど意図的に付けられた香りがする。
そこには流麗とは言えないが丁寧な文字で、時候の挨拶から始まり、この手紙を読む時間を割いてくれた人物に対する感謝が書かれていた。少々卑屈だと彼は感じた。読み進めていくと手紙の内容は王を気遣うもので、書き手自身は心の底からカリス・ルークを心配していると読み取った。けれど思った。
(……王に与えられるもの、はどうした?)
金銀宝石、美女百人や屈強な兵士百人、領地そのもの、愛や、率直なことに子ども、それも強い男の子という答えをこれまで見ていたが、この手紙にはそれに当たるようなものが何もなかった。書かれていない手紙というものに初めて遭遇してざっと眺めてみる。書いている内に忘れてしまったのか、意図的に忘れたのか。前者かな、と彼は考えた。手紙の文面を実際に話している人物を思い浮かべた時のその人物の一生懸命さからそんな風に思ったのだった。
ナリク・ルークとカリス・ルークに対する感謝が書き連ねてある。
『ナリアエルカを救い、わたくしを救って下さいました』
その一文が気になったが詳しい内容はない。手紙は続く。
『……わたくしはナリク・ルーク様とカリス・ルーク様の偉業は、書物や伝聞でしか存じ上げません。どれほどの苦難の果てにナリアエルカを統一されたのか、わたくしには到底知り得ぬとてつもない出来事がいくつもあったのでしょう。そんなわたくしではありますが、わたくしの使命は可能な限りナリク・ルーク様、カリス・ルーク様の偉業を後世に伝えていくことではないでしょうか……』
最後に手紙はこう結ばれる。
『わたくしがこの手紙を書く時間を、この手紙を読まれる方の時間、平和という時間をお作り下さったことを心より感謝致します。リワム・リラ』
もう一度流し読む。やはり主題である『与えられるもの』はなかった。
どうしようかと考えながら、取りあえずもう一通の封筒を開いた。マージの長が言うにこれは目録なのだそうだ。マージ族からカリス・ルークへの持参金などを上げたので参考にしてくれと何度も念を押された。
金がどれくらいで銀がどれくらい、宝石の種類と大きさと数、騎獣などなど。何の感慨もなく順に見ていた彼は最後に目を止めた。
手紙とは違う、目録を書いた筆跡とも違う、美しく流麗な文字。
『月』
与えられるもの。
じわじわと愉快さが込み上げてきて、彼は笑みを刻んだ。
異国の血が混じった、金色の瞳の娘。
「面白い」
悪戯っ子のように目を輝かせて、差出人の名を読み上げた。
「リワム・リラ」
春の夜空の月のような瞳は、果たして『カリス・ルーク』を見るのだろうか。