5. 語れない想い
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 王妃候補が選抜された――
 城からの使者によって手紙が持ってこられたと女中が言った時、リワム・リラはとんでもないことをやってしまったのだと思い知って眩暈を起こした。肖像画が返ってきたのではなく、使者と手紙がやって来た。これが何を意味するか。蒼白になったこちらを見て女中は慌てて人を呼ぼうとするが、それを押しとどめて何とか立つ。嘘だと告げて貰う為に赴いた部屋で、父は太鼓腹を揺らし今にも踊り出さんばかりだった。
「おお、リワム・リラ! よくやったな。ユクの者もエワンの者も出し抜くとは!」
 黙って頭を垂れて降り注ぐ喜びを聞いていた。いくら聞いても心は晴れるばかりか全てが遠くなる。眠りながら見ている景色や状況に向かって嘘よ有り得ないと叫んでいる。夢だと気付いているのに。狂い喜ぶ父はリワム・リラの様子に全く気付かずに手紙を渡した。手紙の重さと感触は確かすぎた。
「カリス・ルーク様に何を与えられるか、という主題で返事を書くのだそうだ。早く返事を書け! 財宝や騎獣、商人一族マージの名にかけて何でも用意してやるぞ! シュン族、サイ族に後れを取るな!」
 貢ぎ物の目録を娘に手渡しながら笑いが止まらないようだった。何故なら定住することはほとんどない流れの商人一族であるマージから王妃が現れる可能性が生まれたのだから。そのことに気付きながらリワム・リラはどんどん現実から引き離されていく。
 気付いた時には紙とペンを前にして机に座っていた。返信は書き出しの一行で止まってしまい、いつの間にかくしゃくしゃに丸められた紙屑がかさかさと笑うように部屋中に転がっていく。
 手紙はきっちりとした公用語で記されていた。
『カリス・ルークとの婚姻によって王に何を与えられるか』
 数人に送られて皆一字一句変わらない内容のはずでも、向こうになぞなぞのような問いかけを行うその人が透けて見えた。
 異国の血を引く覇王カリス・ルーク様。背が高い大柄な方で、とても威厳のある低いお声で喋られるのだろう。規律を重んじ、不正には厳しいはず。けれどお優しい方で、肌の色や目の色なんて気にせずに接して下さる。異国の血を引く者の苦しみはあの方にもあったから。混血と蔑まれる。家族を侮辱される。付き合う人々までもがその対象に。色々想像するのは容易かった。自分の理想を描けばそれは簡単にカリス・ルークになる。
 いつでも私を救って下さるのはカリス・ルーク様だから。
 夢想していたの気付いて軽く頭を振った。ペン先を置きすぎて紙にはインクの染みが広がっていた。
 どうしてこんなことになったのだろう。王妃の座なんて望んだことはなかった。ただ英雄と対面することを夢見ても決して叶わない夢だときちんと理解していたはずだったのに。その夢を抱いて、救い主の築き上げる平和の上で平穏に暮らしていけるはずだったのに。
「……リワム・リラ?」
 そっと包んでくれるような優しい呼び声に振り返った。
「お姉様……」
 ミル・シーはにっこり笑うとリワム・リラの手元を覗き込んだ。すぐ側で花が咲いたような甘い香りがする。
「手紙ね。書けている?」
 どうやら話は聞いたらしかった。首を振る。
「お姉様、私……やっぱりお断りしようと思うんです」
「どうして?」
 ミル・シーはまんまるに目を見開いて尋ねた。
「私みたいなのが候補に残るのはおかしいです。何かの間違いです」
 声が涙でひっくり返る。
 本当は、姉が手紙を書くはずだったのだ。ミル・シー以外の誰が王妃にふさわしいというのだろう。覇王に関する書物を読み良い噂も悪い噂も全て受け止めて、覇王を知ろうとしている。史学や語学に精通し、異大陸の帝王学も学んでいる。目指しているのはカリス・ルークと同じものだ。そういう人が同じ場所で同じものを見ることが出来る王妃になれる。妻という存在に。
「でも選ばれたのはあなたなのよ」
 ミル・シーは優しく言った。その言葉の強さに涙が引っ込む。これ以上はひどく卑屈に、傲慢に聞こえるかもしれない。姉に不快な思いをさせて嫌われるのは嫌だった。
 涙を拭った妹を姉は良い子ねと優しく撫でた。笑顔を向けられてほっとする。
「手紙、そう、昔一緒に書いたわね。お父様にお仕事を頑張って下さいと。絵が飛び出す仕掛けを作ったのだったかしら」
 リワム・リラは少しだけ笑った。父に近付こうとしたリワム・リラにミル・シーが手を貸してくれた時の話だ。手紙を渡した後父が何と言ってくれたのか思い出せなかった。もしかしたら何も言ってくれなかったのかもしれない。例えそんな悲しいことがあってもその記憶は姉との大切な思い出になっている。
「お父様に書いた時のような気持ちで。王の務めは大変でしょう。カリス・ルーク様を気遣うような言葉を書いてみれば?」
 リワム・リラは頷いたが、不安がもたげて尋ねた。
「お姉様、私は何を与えられると思いますか?」
「『何』を?」
 不思議そうにミル・シーは首を傾げる。手紙の問い掛けについて改めて説明すると、ミル・シーも困った顔をした。
「私は何も持っていないんです……」
 姉のような美しさも教養もない。全て人並み。あるとすれば呪いと怖れられる金色の目だ。本当に自分は、肖像画の肌やあの嘘の瞳の色で選ばれたのだ。
 再び視界が揺れてきた。ミル・シーは困ったように笑いながら腕の中にリワム・リラを抱き締める。
「たくさん持っていると思うわ。あなたといると心が安らいで守ってあげたいと思うもの。きちんと話を聞いてくれて、すぐに人を嫌いになったりしない。あなたはとても優しい子よ。誰かのことをいつも気遣ってくれている。わたくしはそれをとてもよく知っているのだけれど、どうすればあなたをよく知らない人に上手く伝わるのかしらね……」
 姉は目を閉じた。
「わたくしはいつもわがままばかり。新しい物も異国の物もみんな欲しがった。でもあなたは何も言わずわたくしのお下がりばかり身に付けていたわ。美しい宝石を見ればわたくしは誰よりも最初に欲しがって、お父様のお土産を選ぶ時もわたくしが一番だった。あなたはいつも文句を言わずに、『良かったですね、お姉様』と笑ってくれるの」
 腕の中でリワム・リラは首を振る。立場が違うからそれは当然のこと。だからミル・シーが懺悔する必要は全くないのだ。
 長い指がリワム・リラの顔を持ち上げる。
「あなたは人の為に笑ってあげられるのよ。怒って、泣いて、笑ってあげられるの。それは簡単に出来ることじゃないわ」
 ミル・シーの声は急に弾んだ。
「そうだわ! 覚えている? わたくしは子どもだったから月が欲しいと駄々を捏ねたことがあったのを! あの空に浮かぶお月様。その時あなたは、本当に月をくれたでしょう?」
「それは……」
 ただの子ども騙しだ。亡くなった母が教えてくれた、子どもを宥める為の遊び。
 ミル・シーは無邪気で楽しそうな美しい笑顔を向ける。
「わたくしね、本当に嬉しかったのよ。今でも時々あれをやっているの」
 リワム・リラの手をきゅっと握った。
「あれを、カリス・ルーク様にやって差し上げたらどうかしら。とっても素敵だと思うの!」
「え、ええ!?」
 思わず大声で叫んでしまった。
「だ、だってお姉様、それは何の解決にもなりません! 本当は月なんて誰にも差し上げられない。嘘は書けません!」
「そう? とっても良い考えだと思ったのに……」
 花に水がなくなるようにみるみる内に表情が萎んだ。そのまま小さくなってぽんと消えてしまいそうで、リワム・リラは焦った。
「あ、ああっ、でも良いかもしれませんね! 書いてみようかな!」
 ぱあっとミル・シーの笑顔が開く。
「『月』と書くのはきっと謎めいていて素敵だと思うの。いい、リワム・リラ? 恋愛にはそういう駆け引きも必要なのよ」
「れ、れんあいの、かけひき……」
 これは恋愛ではない。例えリワム・リラがどれほど恋い焦がれていようと、カリス・ルークや城の人々にとって『結婚という行事』なのだ。
 好きになって、好きになってもらいたい。なのにそれは叶わない夢。
 憂鬱になったリワム・リラは恋を説く姉に聞いているかと訊かれて笑って頷いたが、その笑顔は寂しいものになってしまった。
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