第2章 暗闘
 

 高く飛び上がって空気を踏みつけ、廃城のある方角へ氷を滑るように風に乗っていく。徒歩で行くには険しく長い道のりも、どこで踏み外すかわからない崖も、空の上では関係ない。時々背の高い木に衝突寸前で気付いて驚愕しながら躱すこともあったが、暗さに慣れてくると上手く避けれるようになった。
 やがて谷になった森林を見渡す山頂に建った白い城が見えてくる。
 足元は断崖絶壁、門へ至る道は山を登る一本のみ。砦のような造りは、城主が特別な一族だからなのだろう。道などなくともどこへでも行ける力を持つから。
 かつりと木靴を鳴らして石橋に降り立ったコーディリアは白い息を吐いて門を見上げた。
 以前はそこに魔力を感知して門を開く宝玉を咥えた狼の像を見つけた。正しく機能しているならただの石であるはず、と暗がりのなかにそれを探し、はっと息を飲む。
「魔力を帯びている……誰かが門を作動させた?」
 子どもたちは魔力を持たない。持っていたとしても城の封印を解くほどの強度はない。
 ならこの城にはいま魔法を使う何者かが、いる。
 どうすると躊躇ったのは一秒にも満たなかった。コーディリアは染めた髪をさらに隠すように羽織りものを頭まで被ると、決然とした足取りで門をくぐった。
 城内はまさに砦の造りだった。小さな区画に押し込めたために出来上がった坂道に沿って頑丈そうな小さな建物がいくつも並んでいる。人の気配どころか生き物がいる様子もないが、どの建物も欠損していないのはさすが翼公の城だ。しかし白く輝いていただろう風景は何もかも色褪せてくすんでいる。
(死んだ城だわ……)
 命のない城、生きるという息吹を失った場所。そんな言葉が浮かぶ。
 坂道を登っていった先が翼公の居城だ。
 石を彫り込んだ装飾はいかにも鳥が好んで止まり木代わりにしそうな緻密さだった。尖塔と巨大な円塔を抱き、遠目にも見えた威容は近付くと壮麗な威圧感となって迫ってくる。
 けれど何故だろう、圧倒されるのに自然と膝を折ってしまいたくなるような慈しみを感じる。これが恩威というものだろうか。
 ここでも封印の宝玉は魔力を帯びていた。コーディリアが門扉を押し開こうと身体を寄り掛からせると、力の分だけすんなりと開く。
 まれびとを圧倒するための玄関広間に足を踏み入れ、渇いた石と土埃の匂いを嗅ぎながらぐるりと周囲を見回した。
 吹き抜けとなった最奥には尾羽のように広がった大階段が待ち構え、この城の両翼や空の高みへ誘おうとする。等間隔に並んだ窓、彫刻された手すり、真昼の光が射したならさぞ美しい陰影を形作るだろうそれらをつい鑑賞してしまいそうになるが、意識的に目を逸らし、闇の中に目を凝らす。
 そのとき足元で「がりっ」と踏みつけた小石が音を立てた。何気なく目をやったコーディリアは埃と砂に塗れている床がまだらになっていることに気が付いた。
 右足を滑らせてみると床は白から黒へ、石の地の色があらわになる。
 もう一度まだらになった床を見回し、確信した。
(この城に入ってきた何者かがいる)
 コーディリアは自身の左手の人差し指を差し出し、その先端に触れる大気に魔法で火を灯した。蝋燭代わりの指先で足元を照らしながら荒らされた床をゆっくりと探り、そして、見つけた。
 足跡。コーディリアよりも小さな、恐らくは子どもの。
 小さな足取りが向かうのは城内の奥。階段横の通路をくぐり抜けた、恐らくは中庭やその奥の主塔に続く道の先のようだ。
 しかしそこで目を上げることはせずまじまじと床を見つめ、眉を寄せた。
(足跡がぐちゃぐちゃになっている……?)
 暴れたような、何度も足を擦った痕跡は、奥へ進むごとにひどくなっていく。
 怖くなったのか、それとも。
 足跡を見失わないように気を付けながらコーディリアは意識して静かに足を進めた。かすかな空気の流れがあるようで灯火がゆうらりと動き、壁に映し出された影を揺らめかせる。
 やがて中庭へ至る突き当たりにたどり着いたコーディリアは、そこに広がっていた情景に大きく目を見開いた。
 星々の彩る天球の下にある中庭には石でできた祈りの塔がそびえ立つ。けれど数秒後にそれがただの石の塔でないと理解した。
「石の、木だわ……」
 わざわざ彫刻したのだろうか、大木の幹に伸びた枝は冬の枯れ木そのものだ。本物の大樹であれば初夏にはきっと見事な枝振りが美しい木陰を生み出しただろう。
 だが魅入られていられたのもわずかだった。大木の根本に小さな人影がある。
「ヨハン?」
 コーディリアの呼び声に影が動いた。
「……アデル?」
 夢を見ていたような声だった。コーディリアがほっとしつつ早足で近付くと、隣り合っていた二つの影もぼんやりとこちらを見た。エリオとフィリスだ。
「エリオ、フィリスも。無事だったのね、よかった」
「アデル? 本当に?」
「助けに来てくれたんだ!?」
 子どもたちは足を縺れさせながら転がるようにして駆けてくると、コーディリアにしがみついて「うわああん」と声を上げた。
「アデル、アデルぅ!」
「こわ、怖かった……!」
「帰りたい。帰れるよね、ねえ?」
「ええ、もちろん。家に帰りましょう」
 微笑みを浮かべると子どもたちは安堵のせいで一際大きな声で泣きじゃくった。
「あの、怖い人たちは……?」
「え?」
「怖い、黒い人たち……もういない? いなくなった?」
 誰のことを言っているのか。
 詰問したくなる気持ちを抑えて、コーディリアはできるだけ優しくフィリスに語りかける。
「廃城に入ってから誰にも会わなかったけれど、あなたたちの他に誰かいるの? それが黒い人たち?」
 するとヨハンとエリオも食い付くように早口で喋り出した。
「全員黒い服を着てる大人の男の人たちなんだ」
「このお城で寝泊まりしているみたい。外に焚火した跡があったし、別の部屋に食べ物があって」
「顔を見られたって怒鳴って、ここから動くなって言われたの。一人でもいなくなっていたらお母さんを殺すって」
「ちょっと、待って。その人たちは」と、とても善良な人間とは思えない発言の数々に詳しく話を聞き出そうとしたところで、身体が勝手に動いた。
 ――パパパパパパパンッ!
「きゃあっ!?」
 青い光が目前で激しく破裂し、子どもたちの悲鳴が上がる。
 迫りくる魔力波を自分の魔力の壁で相殺してコーディリアはすっと立ち上がると、子どもたちを背に庇いながら暗がりから現れる者たちを見据えた。
「誰だ」
「それはこちらの台詞」
 覆面で顔を隠しながら予断なくコーディリアを探る目は、薄緑。その目の魔力で躊躇なく攻撃してきたのだから間違いなく荒事に慣れた手合いだろう。
「こんな鄙びた地にそれほどの魔力の持ち主がいるとは」
「大人しく付いてくればその子らのことは見逃してやる」
 さらに背後から二人、濃い紫と茶色の目の男が姿を現す。コーディリアは男たちを見据えたまま静かに尋ねた。
「断れば?」
「その子らとこの辺りの村に火を放つ」
 ぶつかるようにしてヨハンたちがコーディリアの背にしがみつく。なるほど、こう言って脅して彼らをここに留まらせていたのだろう。怯え、迷うふりをしながらコーディリアは相手の素性を推考する。
(黒い装束と腹面から後ろ暗い生業の人間なのは間違いない。顔を見られると不都合で、強くはないけれど魔法を使えて、こんな喋り方をするとすれば……)
 黙り込むコーディリアを男たちが低く笑った。
「さあ、無駄な抵抗は止めてこちらに来い。家族や知り合いが炎に巻かれてもいいのか?」
「田舎娘とはいえ魔力持ちだ、いまよりもいい暮らしができるかもしれないぞ」
「アデルぅ……」
 すんと鼻を鳴らし心細げに助けを求める声に、衣服を握りしめる手に。
 コーディリアは青の瞳に柔らかい微笑を浮かべて、男たちに向かって吐き捨てた。
「あいにくあなたたちのような貴族の若様方の口説き文句は聞き慣れているの。その魔力の程度もね。あなたたちの力では村を炎に包むどころか小火騒ぎにするのがせいぜいのところでしょう」
 一瞬、何を言われたかわからなかったような間があった。
「……きっ、貴様!」
「遅い」
 コーディリアの瞳が魔法を放ち、先頭にいた男を弾き飛ばす。巨人の槌でも振るわれたかのような勢いで壁に叩きつけられた男は、意識を失ったらしくそのままずるずると座り込んだ。
「うっ!?」
「か、身体、が」
 魔力を帯びた瞳はいまや冴え冴えと青く輝き、驚愕する残りの二人を捕らえる。魔力に縛められて硬直する男たちにコーディリアはつかつかと近付き、乱暴に覆面をむしりとった。
 二十代半ばくらいの若い男たちだ。高位貴族は後ろ暗い仕事をさせるために魔力持ちを子飼いにする。市井の生まれや下級貴族、それも嫡子ではなく妾腹の子など、使い捨てるのに便利な身分の者たちだ。彼らの言葉遣いはロジエの者たちが使うものよりも多少丁寧で発音がよく、王都が拠点なのだろうと推測できた。
 コーディリアは二人をじっと見つめ、告げた。
「さようなら。無事に仲間と再会できればいいわね」
 青ざめた男たちは魔力で覆われ、やがて消える。コーディリアが思い描いた適当な遠方へ、それぞれまったく異なる場所へ飛ばしたのだ。運が良ければ王都に戻って来られるだろう。
 残る一人を尋問するため、コーディリアがゆっくりと近付いていったときだった。
「っ!」
 まったくの死角から魔力を感じ、後方に飛び退いて魔力壁を作る。そこへ礫のような鋭い魔力がいくつも突き刺さった。



 

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