第2章 邂逅
 

「いやだ! 忘れるなんて絶対やだ! 夢じゃない、怖かったし後悔もしたけど絶対覚えてる!」
「ヨハン」
「アデルが助けに来てくれた! 魔法使いだったなんて知らなかったしめちゃくちゃおっかなかったけど、でも助けてくれたんだ! 俺は助けてくれた人のことも助けられたことも絶対忘れたくない!」
 恐怖を押し殺した涙声で絶叫する少年に魔法をかけてしまえるほどコーディリアは強くなかった。
 魔力が弱まり消えていくとエリオやフィリスも我に返り、ヨハンと同じように涙を溜めてコーディリアを精一杯見つめている。
「アデル……」
「わ、私……」
「ヨハンとフィリスは、どう? 怖い記憶を夢にして忘れるのは決して悪いことではないし、臆病な行為でもないのよ」
 二人はそれぞれ、静かに首を振った。
 そう、と呟いてコーディリアはヨハンの小さな頭を撫でる。なんて強い子たちなのだろう。勇敢で真っ直ぐで、青くなくとも美しい瞳の持ち主たち。その信頼に値しない我が身の卑小さに息が詰まりそうだった。
「わかったわ。記憶はそのままに、村まで送るわね」
「俺たち、絶対言わないから。アデルが魔法使いだってこと」
「秘密にしなくちゃならない事情があるんだよね? 私も内緒にするって約束する」
 口々に言うエリオとフィリス、そしてしっかりと立たせたヨハンにコーディリアは大きくはっきりと首を横に振った。
「いいえ。もし先ほどのような怖い人たちが私を探しに来たら、素直に秘密を明かすの。そう約束して」
「っ俺たちは!」
「誓うのよ」
 魔力を灯さずとも輝く青い瞳に、子どもたちは気圧されたように黙り込む。
「必ず、私のことを話すの。そうして自分や家族を守りなさい。約束できないのなら記憶を封じるわ」
 両腕を掴んで真剣に言い聞かせると、ヨハンは震える唇を引き結び、いまにも飛び出しそうな抗議の言葉を飲み込んで、ぐっと力を込めて頷いた。コーディリアはほっと微笑むと「ありがとう」と三人を順番に見つめた。
「それじゃあ、送るわね。眩しければ目を閉じていて」
「アデルは? 一緒に帰るんじゃないの?」
 途端に心細そうに見上げてくるフィリスにコーディリアはにっこりした。
「私は後から戻るわ。ウルスラかグウェンにそう言っていたと伝えてくれる?」
「うん、任せて!」
 三人は自然と寄り添って手を繋ぎ、そっと目を閉じた。
 コーディリアの魔力が、子どもたちを温かい家族のいる場所へ送り出そうと集まるなか、好奇心に負けたヨハンがこそこそと薄目を開けた。
「わあ!」
 声を上げるとエリオとフィリスも目を開け、真っ青な魔力で染まった視界にきらきらと瞳を輝かせて歓声を上げる。
「すごい……すごい! こんな綺麗なもの見たことないや!」
「めちゃくちゃ綺麗だ……」
「水の中、ううん、まるで星空にいるみたい」
 ひたむきに美しいものを歓迎し賛美する姿は、先ほどまでその力を使って戦っていたコーディリアの後ろめたさの影を濃くする一方、救ってくれもする。
「気を付けてお帰りなさいね」
 見送りの言葉を告げると魔力は大きな青い鳥の形を成し、彼らを包み込んだまま高く大きく飛んで、消えた。
 魔力が飛び去った空には星々が静かに浮かんでいる。
 やがてその力の残滓も消えて暗闇に包まれた中庭で、コーディリアの意識はふうっと遠のいた。
 反射的に膝を折って手を突くが、ひどい目眩と吐き気に耐えきれず、ずるずると地面に崩れ落ちる。立ち上がろうと動かした指先が渇いた土を掻くが、血の気が失せて感覚がない。
(……こんなに魔力を使うなんて……)
 国王の密偵たちとの戦闘は予想外だった。ヨハンたちを村まで送るのが限界で、自分が家に戻るだけの魔力がもう残っていない。痛みで揺れる視界は横になったおかげでましになるものの、全身がひどく重く、寒さを凌ぐ場所に移動するだけの余力も失われつつあった。
(目が、痛い)
 閉じた目が熱く、ずくずくと疼いていまにも潰れて溶けてしまいそうだ。
 痛みで息を吐き出すと発熱していることに気が付いた。けれど全身が氷のように冷えているのがわかる。非常に危険な状態だと理解できてはいるがどうしても身体が動かない。
(もう、意識が……痛い……痛くて、さむ、……い…………)
 魔力を、そして体力を回復しなくては。けれどこのままでは凍死する方が先か、なんて自らの失態を嘲笑いながらコーディリアは痛みに引きずられて意識を失くした。
 眉をひそめて閉じた目からは激痛を訴える涙が静かにこぼれ落ちていた。



 ――月が傾き、天球の様相が変わる頃。
 石の木に舞い降りる鳥が、一羽。続いてもう一羽、二羽三羽。丸い目の梟、ゆっくりと羽ばたく木菟、枝に成るような夜鷹たちに、木の一部のように静かに立ち尽くす青鷺と、ロジエに住む鳥の一族が勢揃いしたように次々とやってきては倒れ伏すコーディリアに静かな眼差しを注ぐ。
 やがて鳥たちは一斉に声を上げながら翼をはためかせ始めた。
 きょきょきょ、があがあ、ばさばさばさ。その光景を目の当たりにした者はいったい何事かと身を竦めただろう。鳥たちは明らかに意志を持っていた。目的を持って鳴き、翼を動かして音を発して何かしらを伝えようとしている。
 城の奥の暗がりから現れたのはそんな彼らの声に呼び寄せられた者だった。
 怪訝そうな足取りでやってくると倒れたコーディリアを見つけ、一瞬驚いたように立ち尽してから少し早足になって駆けつけてくる。
 コーディリアの姿はお世辞にも整っているとは言い難い。羽織ものは乱れ、編んでいた髪は解けかかり、苦痛に顔を歪めて涙を流している。王太子の婚約者であった頃に讃えられた青い瞳は閉じられ、輝く銀の髪は髪粉によって年老いたような乾いた濃灰色だ。
 それでもその人物ははっと息を飲み下し、静かに跪くと、恐る恐る伸ばした指先でそっとコーディリアに触れた。
 途端、必死に堪えていた心の震えがため息となってこぼれ落ちる。
 そうして密かだが強い使命感に唇を結ぶと、その手でさっと宙を払った。
 鳥たちは一斉に鳴くのを止め、広げていた翼を仕舞うと、抱き上げられて運び去られるコーディリアをじっと見守っている。二人の姿が城の奥深く、魔力に隠された領域へ去るのを見送ると、一羽、二羽三羽と、来たときと同じように飛んでいった。
 そうして後には銀の星々の飾る夜空と石の木が残された。



 

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