第3章 三つの仕事
 

 コーディリアに課せられた仕事は大きく三つだ。
 一つ、好きな時間に中庭で過ごすこと。
 二つ、中庭の石の木に魔力を注ぐこと。
 三つ、それらは決して無理をして行わないこと。体調が悪いときに外に出たり睡眠時間を削ったりなどは固く禁じられた。
「中庭に来て過ごすのが、仕事なの?」
 疑問を示すとアルグフェオスは、まるで予期していたかのように指南役らしい深い笑みを零した。
「そうだ。神鳥の力を操ることのできる君がここにいる、それだけで魔力の流れが生まれるからね」
 葉も蕾も持たない吹き晒しの石の木の根元に向かい合って座り、問答を行う様は、まさしく師と生徒であったと思う。
「この世界には神鳥の青い力が溢れている。風や水、大地、人や動物といったあらゆる生命に宿り、私たちの手振り一つ、呼吸一つで魔力の流れが生まれる。あたかも鳥の羽ばたきのように」
 それを一つに束ねるのが石の木の本来の役割らしい。翼公の城にあるのにふさわしい魔力の中心地というわけだ。
 つまりね、と硬い言葉を和らげて彼は言う。
「私たちは誰しも魔法を使えるんだ。生きているだけで魔力を生み、操ることができる。青い瞳を持つ者だけが魔法を使えるんじゃない。瞳の青には確かに魔力が宿っているが、その本質はこの世界の魔力を捉え、流れを読み、巧みに扱うことにある。その方法を会得すれば奇跡すら起こせるだろう」
 もちろん元々の素質もあるけれど、と付け加える。髪と瞳の色はやはり魔力の使い方や魔法の強さに影響するらしく、それこそが容姿や生まれついた才能と同じく本来神鳥の恵みと呼ばれるものなのだという。
 だがコーディリアはその使い方を間違っていたのだ。
「君は自分の器にある魔力『だけ』を使っていた。魔力を使い果たした器から強引に力を刮げるようなものだから心身を痛めつける結果になったわけだ。私が教えるのはその回避の方法、君の周囲にあふれる魔力を自らの力とする手段だ」
 そうして彼は、まず中庭に来てただただ周囲を感じて過ごすよう、コーディリアに課したのだった。
 ただそれだけであってもコーディリアには新鮮で、有意義な時間だった。
 身支度をして庭に出る、外で過ごすことは体力が減少した状態ではいい運動になったし、包帯越しに感じる太陽の光や、素肌に触れる風や草木、土は以前にもまして力強く新鮮に感じられた。目で見るよりもずっと温かいこと、冷たさや、芳しさ。音。生き物の声。それらすべてがコーディリアのすぐ傍らにある。
「コーディリア様、お茶はいかがですか?」
「ありがとう、いただくわ」
 主治医たるアルグフェオスの勧め、というより忠告じみた意見によって最も暖かい午後の時間に庭にやってきて、アエルが淹れてくれるお茶をいただきながらのんびり過ごすのがいまでは習いになっていた。
 周りは見えないし手仕事も読書もできないと退屈なのではないかと危惧したが、意外にも楽しんでいるコーディリアは、湯気のたつお茶にほっと息を吐いた。
「こんなにのんびりするのは久しぶり……というより、初めてかもしれないわ。日がな一日ぼうっとして眠くなったらうとうとする時間って、本当に贅沢ね」
「毎日そんなにお忙しかったんですか?」
 礼儀作法、語学、歌、楽器、舞踊に、歴史などの学問。自由時間は好奇心のままに動き回り、マリスとの約束や呼び出しにはすぐさま応じる毎日だった。
 身に付けた事柄で助かったこともあるから十分な教育を施してもらえた幸運には感謝しかなく、この時間に感じる幸福とはまた異なる……ということを説明するのは身分を伏せている上では困難だったので「いま思えば、ね」と微笑むに留めた。
「あるじ様が仰っていましたが、心身が健やかなことも魔力を扱うのに大きく影響するようですよ。心が乱れれば力の使い方も荒れるし、体力がなければ制御が難しくなるとか」
「わかる気がするわ。窮屈な衣服で動き回るよりゆとりがある方が自由度が増すようなものね」
 だったらいままでの自分はさながら全身を拘束していたようなものだったのだ、とぼんやり思い返していたときだった。
 風が柔らかくなり、鳥の声が止んだと思うとそれまでよりもずいぶん愛らしい声で賑々しく鳴き交わし始めた。心なしか周囲が明るくなった気がする。
(何かしら、これ? 不思議な感覚は、あちらの方から……?)
 直感のままに首を巡らせたその先に何があるのか、コーディリアに届いたのは光を遮る淡い影。
「――……驚いたな。もうそこまで感じ取れるのか」
「アルグフェオス?」
 どうやら彼が来るところだったらしい。同席してもいいかと尋ねられ、もちろんと答える。
 彼がアエルが淹れたお茶を飲んだところを見計らってコーディリアは口を開いた。
「さっきの呟きはどういう意味? 何かしたつもりはないんだけれど……」
「そう、それだよ。君は何もしていない。でも私が来ることを感じ取った。君が無意識に力の流れを読んでいる証だ」
 にっこり、と音が聞こえそうなほど嬉しそうにしているのが伝わってくる。
「いくら教えても感じ取れない者は感じ取れないものだが、君は一週間と経たず感覚を掴み取った。素晴らしい才能だ」
「自分ではよくわからないけれど……」
 賞賛を上手く受け取れずひたすら首を捻る。特別なことなんて何も。けれど敢えて言うのなら。
(アルグフェオス、あなたの存在がきっと特別なんだわ)
「それだけにこれまで無為にした時間が惜しいな……神官たちに見出されていたら君はきっとひとかどの巫女になっていただろうし、一族の、……いやだめだ、それは困る。そうなったら今頃アントラエルやクラレストが……」
「あの、アルグフェオス? ごめんなさい、聞き取れなくて。もう一度言ってくれる?」
「え? あ、すまない……ええと、どこまで話したかな」
 思考に没頭していたアルグフェオスは慌てて記憶を手繰っている。
「ああそうだった、君の訓練の段階を上げようという話をするつもりだったんだ。思ったより早かったけれどこの調子なら問題ないはずだ。明日からもう少し実践的な指導を始めよう」
 きちんと回復しているとわかってコーディリアはほっとした。
「わかったわ。よろしくお願いします」
「こちらこそ。それからもう一つ、この中庭をどんな風景にしたいか考えておいてほしい。特に制約は設けないから君の好きなように」
 不思議な課題に首を傾げつつこれにもわかったと答えると、アルグフェオスはほっとした様子でお茶を干して去っていった。
 去り際はいつもの彼だったので、何をそんなに慌てることがあったのだろうとコーディリアは不思議に思う。折しもアエルが新しいお茶を淹れてくれたので、その気配に向かって尋ねた。
「アエル。あなたたちは神殿島から来たのよね? もしかしなくてもアルグフェオスは相当身分の高い方だと思うんだけれど、あなたは昔から彼に仕えているの?」
「はい、そうです。幼い頃にあるじ様の庇護を受け、長じて羽子(はご)となりお仕えしております」
「羽子……というのは、奉公人や弟子という意味で合っている?」
「あ。……う、えっと……そ、そう、そうですね。はい、おおむねそのような意味です!」
 勢いよく返事があったもののコーディリアは眉をひそめる。
「アエル、もし私がおかしなことや失礼な言い方をしていたら教えてちょうだいね? 私は神殿島について伝え聞く以上のことを知らないし、そこで暮らしていたあなたたちの常識には無知だけれど、不愉快な思いをさせたくないの」
「そ、それはもちろん! 大丈夫です、コーディリア様は間違っていらっしゃません。これは私があるじ様のようにお伝えできないのが悪いんです」
 アエルがしょんぼりとしてしまったのでコーディリアは素早く話を元に戻す。
「アルグフェオスはあなたにとっていい主人かしら?」
「はい! もちろんです!」
 濡れた翼がもう渇いた。勢いよく、きっと目をきらきらとさせているであろう少女に内心笑みを溢し、続きを促す。
「あるじ様は力だけでなくお人柄も素晴らしくてたくさんの方に慕われているんです! 私たちのような者も、能力の有無ではなく性質や仕事ぶりで見てくださいます。もっと有能な方々がいらっしゃるのにと申し上げたら、君たちの信頼には代えられないと言ってくださって。私、あまりにも嬉しくて、つい浮かれてここまでお供してきてしまいました」
 自嘲めいた言葉とは裏腹に声には喜びが滲み、アエルの嬉しさが手に取るようにわかる。
「この城にはあなただけ、ではないわよね?」
 疑うような言い方になったのは日々のちょっとした違和感が拭えずにいるせいだ――特に、食事について。
「はい。裏に厨房や洗濯、買い出しを行う者がおります」
 茶葉に湯、そして朝と夜に出る食事。持ち手が異なる薄い磁器の数々。寝台の清潔な敷布。当たり前だがそれらすべてをアエルが担うことは困難だろう。他の人々もアルグフェオスの羽子で、神殿島には彼に呼ばれるのを待っている者たちもいるという。ますますアルグフェオスの身分が気になった。
(聖職者でも高位で、多くの奉公人を抱えているというところかしら? 先んじて城に来るんだから、よほど翼公に信頼されているのね)
「気になりますか? 気になりますよね! けれど申し訳ありません、他の者にお引き合わせするのは目の具合が快くなってからだとあるじ様に言いつけられておりますので。でもみんなコーディリア様と早くお話ししたくてうずうずしているんです」
 だから早く快くなってくださいねと言われて、コーディリアは内心肩を縮めた。アルグフェオスに指摘されたように無意識に魔力を読んでいるかどうか、目なり魔法を使うなりして色々試してみようと思っているなんてとても言い出せない。
(包帯を取っても自分で巻き直せる自信はないし、諦めるしかなさそう)
 より実践的に魔力を使う方法を教えようとアルグフェオスが言うのだからそれを信じようと、コーディリアはむずむずと沸き起こる探究心をお茶と一緒に飲み下した。



 

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