第5章 王太子の断罪
 

 たどり着いた王宮でも物見高い貴族たちが集い、謁見の間には玉座の王を始め、王太子マリス、重臣たちに近衛騎士が罪人と見做すコーディリアを囲んで、嫌悪と歪んだ好奇心に満ちた視線を投げつけてきた。
 誰も彼もが権威を示す装飾付きの衣服や装備に身を包んでいる中、コーディリアはどこまでも頼りなくみすぼらしい。それでも毅然と進み、王を仰ぐときも、兵士に背中を突き飛ばされて無理やり跪かされても二度と俯くことはない。
 今日のマリスは己の潔白さを表すかのような純白の、公の場で使用する儀礼服に身を包んでいる。金の肩章と飾緒が鮮やかに、薄金色の髪と薄紫色の瞳に権威を添えていた。この姿に心とろかされ、権力を望む娘たちは引きも切らないはずだったが、この場には誰一人としていなかった。かつてコーディリアを陥れたレイラ・オードリン男爵令嬢の姿もない。この一年と少し、マリスにも変化があったということか。
「――これより審理を行う」
 人を見下ろして勝った気になっている周囲に何を怯えることがあるだろう。開廷宣言に胸を張ったコーディリアは、国王の代理人として相対するマリスを真っ直ぐに見つめた。
「お前は何者か?」
「私はコーディリア・エルジュヴィタ。エルジュヴィタ伯爵家に生まれ、王太子の婚約者に選ばれたものの見向きされることのない状況に甘んじていた大馬鹿者であり、王太子の所業に我慢ならず婚約破棄を望んだ者。そしてかの王太子の度重なる悪行に引導を渡すべく報復のときを待っていた者」
 空気が波打つ。居丈高に不敬を口にしたコーディリアを哀れみ、また愚か者と嘲笑う人々のざわめきだ。常ならば何らかの形で反撃しているマリスは気分を害したように一瞬顔を引きつらせたが、後ろ手に縛められているコーディリアより以前有利な立場にいることを思い出したらしく鼻先で笑い飛ばした。
「エルジュヴィタ伯爵令嬢コーディリア。これよりお前の罪状を述べる。心して聞くがいい」
 マリスは捧げ持った羊皮紙を大袈裟に広げて、朗々と読み上げる。
「一つ、王家への反逆を企てた罪。王宮内建築物の崩壊を招き、王太子を弑さんとしたこと。また当時王太子への不敬罪を問われ拘束中であったにも関わらず、罪を償うことなく一族郎党含め逃亡した罪」
「勝手なことを……」
 呟きが漏れたのはまた事実が改竄されていたからだ。当時囚人となったのはマリスの情人であるオードリン男爵令嬢に嫌がらせを行ったという理由でのことだった。王太子への不敬罪なんて話はなかったはずだ。
 マリスは苦々しい呟きを嘲笑って聞き流す。
「二つ。拘禁中であったにも関わらず長期にわたって逃亡を続けたこと。偽名を用いて己が治めるべき領地領民を放置した罪。また薬師を偽称し医療行為を働いたことは詐欺に当たる。また潜伏先で国王並びに王家を侮辱し著しく名誉を損なう流言で地元住民に混乱を来したこと。さらに……」
 いったいどれだけの罪状がつくのか、数えるのも馬鹿らしい。王宮側に都合のいい内容ばかりでうんざりする。
「そして近頃、再び王太子の殺害を企てた罪。魔法の行使により証拠隠滅を図り、王太子を守らんとした騎士や兵士をも巻き込んで大量殺戮を行わんとしたこと。また現地住民の口封じを念頭に置いていたことは見るも明らか」
「っ、先にエビヌやロジエに火を放ったのはあなたたちでしょう!」
 叫んだコーディリアは背中を足蹴にされて倒れ込んだ。起き上がれず這いつくばりながら睨み上げるコーディリアの目には歪んだ笑みで見下ろすマリスしか映らない。
「口、封じを前提にしていたのも、あなたた、ぅぐっ!」
「反逆者め。王の御前だぞ、口を慎め」
 コーディリアの背をマリスに指示された騎士の足が圧し潰す。息苦しさに喘ぎながら身じろいだ。声を、言葉を、ここで奪われるわけにはいかなかった。多くの言葉を飲み込んだ頃のように言いたいことを言えない状況ではなくなったのだから、たとえ命運尽きることになっても声を大きく張り上げる。
「都合が悪いとすぐ力で黙らせようとする、それがあなたのやり口よ。私はよく知っている、っあ、ぐ!」
 みしりと背骨が軋む。棒で打たれないのは魔力で防がれるとわかっているからだろう。だがこうして圧迫することも続ければ弾かれると理解しているから、あくまで一瞬息苦しくなる程度で止まる。
「女官への暴言や暴力を諌めた者を無実の罪を着せて王宮を追い出したこと! う、っ! あ、あなたの放蕩に苦言を呈し、し、たっ、呈した者や、王族としての在り方を説いた者を、牢に繋ぎ、あるいは国外追放にしたこと!」
 女官、侍従、騎士、聖職者、教師や学者、貴族、市井の民。コーディリアの周囲からも心優しい人々や善意を抱く者たちが次々に消えていった。国を逃れられれば運がよく、ある日突然行方知れずとなる場合が大半を占めた。遠方の城の牢獄に繋がれているという噂もあった。
 この程度なんということはない。何の罪もない人たちが受けた仕打ちに比べれば、起き上がれないほど地に押し付けられる痛みなんて。
「以上が現在明らかとなった罪である。今後の調査如何ではさらに罪状が増えよう」
「っあ」
 前髪を掴まれて無理やり顔を上げせられる。冷え冷えとしたマリスの目。弱い者をいたぶる喜びはそこにはなく、ぞっとするような空虚が広がっている。
「婚約者であった頃の功績に免じ、恩赦の機会を設ける。コーディリア・エルジュヴィタ。その身を王家に捧げ、生涯を尽くすと誓うなら命だけは助けてやろう」
 これはこの国だ。アルヴァ王国を覆う虚ろそのものだ。
 国王の目、そしてマリスの目にも映る虚無の名を『厭世』という。
 統治者として玉座にあって見えるのは国内ばかりではない。国外の豊かさや魔力の恵み、自国に存在しない幸福を目の当たりにしたとき、何も思わないわけがないのだ。
 アルヴァの王族は強い魔力を持つがゆえにみんな強欲で、欲望を満たさねば気が済まない。だから幾多の戦争があった。けれどそれでも国は豊かにならず、心は渇いていく。繁栄させるようと貴族たちを使って飾り立てようとしても、すでに国は腐食しただ崩れていくのを見ているしかない。
 それに気付いたとき、彼らは、諦めたのだ。
 思い通りにならないこの世界はなんて価値のない嫌なものなのか。ならばこの閉ざされた国で『終わり』に至るそのときまで王冠を次代に渡していけばいい。在位中にそれが来ないよう手を打つそれが、また国を崩していくと気付きながら。
 諦めていない、コーディリアこそ異端なのだ。王や王太子すら見限っているこの国でまだ必死になっている。間違っていると声を上げて、抗っている。
 過ちだらけだなんてそんなこと、言われずとも彼ら(王族)にはよくわかっているというのに。
「……、ぁ……」
「王家に尽くすと誓うか?」
 時を、待てばいいのだろうか。
 緩やかに滅びることができるよう、見守り、手を打てば、新たな国に変えることができるのかもしれない。この身体を埋め立てた上に国を建てるというのならいくらだって捧げられる。これまで何も変えられずにいた贖いとなるのなら、何だってできる。
 ――魔力を持つ世継ぎを産む道具になって?
「――――」
 この、何もかも諦めた紫瞳の王太子の所有物になるのかと思うと――腹わたが煮え繰り返る気がした。
(誓うか、ですって?)
 暗く陰っていた瞳に再び煌々と輝きを宿し、コーディリアは掴み上げられた姿勢で口を開く。
「誓うのは、あなたの方よ」



 

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