グレドマリア王国王都アレムスは、土を盛り、岩で囲んだ土地に、城壁を巡らした街だ。伏せた皿のような街が緩やかに広がる、その中央に王城がある。
 城に至るまでの街の通りは、人の行き来も馬車も多く、道は舗装されて広い。建物は、住居区の辺りは密集しているようだが、エタニカが目にした限りは汚れた印象はなく、表に面した数多くの窓には人の目を楽しませる植物が飾られ、商店には職人を示す看板がかけられている。
 住み良くもあり、職人も腕を振るうことができる街なのだ。馬上のエタニカを始めとした外国人に、彼らは愛想良く帽子を振る。敵国であったフォルディアの花嫁だと、馬車やエタニカたちで分かるだろうに、彼らは和平を信じて受け入れてくれているのだ。
(気のいい人々が多そうだ。この街は住み良いだろうな)
 フォルディアの王都は、先王の頃、城を壮麗な形に改築したせいもあって、街並に変化が起き、白色や金といった色彩が好まれている。白の壁と金、更に柱や窓に彫刻や装飾を施した建物群は洗練されており、美しい都ではあるのだが、エタニカの目には享楽的に映り、好ましいものではなかった。表側の美しさに反して、貧しい暮らしをする人々を知っているせいもあった。
 市街地を抜けると、石を敷き詰めた広い道をひたすら行く。丘陵の勾配を上がっていくと、石の厳めしい門が構えている。
 アレムス城は、フォルディアの城とは違い、屋根がない低めの建物を回廊で繋いであった。洗練され華やかであるとは言いがたく、どちらかというと砦の意味合いが強いのだろう。建物の上に人が出られるようになっている。敷地がかなり広いらしい。彼方に盛り上がっている深緑の小山は森だろうか。
 二重の鉄格子が持ち上がり、入場したフォルディア一行を迎えたのは、裾を引きずる制服の官吏たち、騎士たちだ。エタニカたちもまた馬から下りて、進み出た官吏と一礼した。
「ようこそ、フォルディアの皆様、アンナ王女殿下。我が国は花嫁を歓迎致します」
「お出迎え、痛み入ります。フォルディアもまた、シンフォード王太子殿下ならびに貴国と縁が続くことを喜んでおります」
 両国の官吏が並んで歩き出す後ろを、出迎えの人々とフォルディアの人々が続く。エタニカはアンナに付き添い、手を取ったところで、妹が震えていることに気付く。
「……っく……ひっ……」
 エタニカは優しくそれを握った。
 アンナは、これから国のために嫁ぐ。そのために王女たちは城の中で秘されて育ったのだ。辞めろとは言ってやれなかった。
 石でできた城の内部は、思ったよりも広い。
 廊下の中央部分に赤い絨毯が敷かれ、壁には王族とグレドマリアの民族を示す様々な垂れ幕が下げられて、殺風景な廊下に華やかで荘厳な雰囲気を漂わせている。一部吹き抜けになっているところがあり、物見高い人々がこっそり客人を覗くのだろうが、今日は誰もいないようだ。
 アンナに合わせた拙い足取りで続くので、先を行く一団とは距離ができてしまったが、廊下の角に女官が立っており、部屋へ案内すると言ってくれた。
(よかった。今は先にアンナを落ち着かせたい)
 王子妃となる者の部屋は、香草を撒いて掃き掃除をしたのだろう、青い香りがする。何より見事なのは、ここはグレドマリアなのに、フォルディアで使われているような家具を揃えてあることだった。白木の調度には繊細な彫刻が施され、椅子や机の脚も縁も、無意味なほどに優美な渦や円を描いている。絨毯が鳩と林檎であることに気付いて、エタニカは密かに感動した。
(フォルディア王家の鳩の品を置くとは。先に部屋に案内してくれることといい、こういった品々といい……ずいぶん目端の聞く方がいるのだな)
「アンナ王女殿下にはこのまま休息を得ていただき、明日皆にご挨拶をいただきたいと、シンフォード殿下より承っております」
「もしかして、すべてシンフォード殿下のご指示なのでしょうか?」
 女官は微笑み、肯定した。エタニカは何とも言えない気持ちになった。
 あの人が――あの戦鬼が、女性を気遣うという状況をちぐはぐに感じたのだ。もしかしたら優しい人のではという囁きと、彼は王族でこれが義務だからだという疑いが入り交じる。不思議そうに見つめる女官に気付いて、エタニカは何とか笑って言った。
「ありがとう。お言葉に甘えさせていただきますと、……シンフォード殿下にお伝え願えるだろうか」
 返事が出来ないアンナに代わって答えると、グレドマリアの女官は下がっていった。ナラは部屋を見回し、棚の上や窓の縁に指を滑らせている。
「掃除は、行き届いているようですわね。無骨な城ですのに」
「アンナ、もう休みなさい。今日は疲れただろう」
「おね、さま。ひっく。わたし……!」
「ああ。今日はもう誰にも会わなくていい。少し眠るんだ。私は剣を使えるからね。お前の眠りを妨げる者は叩き切ってやる」
 柄を叩いて言うと、アンナはしゃくりあげながら微笑もうと努力している。
「ほら。その笑顔を夢に持ってお行き。彼方の国で夢を覗き見る神々が、目が覚めたお前にきっと幸運を与えてくれる」
 頬をつつき、流れた涙を拭ってやる。
 あとはナラに任せて一度外に出た。ちょうどスタンレイが来たところだった。傍らにグレドマリアの騎士を伴っている。
「アンナ殿下には今日はお休みいただくようにと」
「ああ、聞いた。シンフォード殿下のご配慮だとうかがった」
「殿下のご様子はいかがですか?」
 尋ねたのはグレドマリアの騎士だ。
「あなたは?」
「失礼致しました。ライハルト・グルーと申します。バルト・レド将軍旗下、近衛騎士団に所属しております。最前、アンナ殿下をお守りしておりました」
 思い出した。転がり出たアンナを抱きとめた騎士だ。
 常に微笑しているような柔らかい物腰の、歳若い男だった。少女めいた美形だが、バルト将軍の部下ならば、彼もまた苛烈な剣を振るうのだろう。
「エタニカ・ルネです。先ほどはありがとう。王女が怪我をせずにすんで助かった」
「騎士として高貴な方に尽くしたまでです。礼には及びません。エタニカ殿下」
 握手を交わし、ライハルトは好ましい笑顔から、眉尻を下げて案じる表情になる。
「アンナ殿下はご気分を害されていませんか? 僕などが触れては壊してしまいそうなほど儚い方でしたが……」
 アンナを知る男性は、皆そのような物言いをする。触れるのが恐い。何か悲しい思いをしているのではないか。金を紡いだような髪も、宝石の瞳も、陶器のような肌も、砂糖菓子に似た指先も、何もかもが愛らしいアンナ。守らなければ呼吸できないほど世界に怯えている妹を案じる。しかし一方で、思いのままにできるのだと思い込んでいる者もおり、それらを排除するのが己の責務だと、エタニカは心に刻んでいた。
 その上で判断した。この騎士は、アンナに唐突に無礼を働くことはない。むしろ、王女を主として崇め守るだろう。
「到着したばかりで気が高ぶっているから、礼を言うのは明日になると思う。気遣いをありがとう、ライハルト殿」
「エタニカ様。他の者にアンナ殿下の警備をするよう伝えました。許可をいただいたので、城内を確認しましょう」
 スタンレイが言うと、ライハルトが胸に手を置く。
「我らにも警備をお任せください。もしよろしければ、城を案内させましょうか?」
「それには及ばない。それよりも、アンナをよろしく頼みます。ちょうどうちの者が来たようだから、この国の話を聞かせてやってもらえると嬉しい」
「フォルディアの方々と交流できるのはこちらも大歓迎です」
 彼らに警備を任せて離れた。一度振り返ると、彼らは友好的に接しているようだ。アンナに同道させるためなるべく温和な者を揃えていたが、その判断は間違っていなかったらしい。バルト将軍を始め、ライハルトも落ち着いた人物のようだし、繊細な妹の心の平穏は守られそうだ。だからエタニカは、心置きなくアレムス城の把握を始めることにした。
 その後ろで扉が開き、細い指先が覗いたのには気付かず。



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