門を出て広道を下って程近いところが、城に役目を持つ貴族の居住区だ。要職に就いている高位貴族の多くは領地に城を持っていて、王都では小さい仮初の館に住んでいる。
「レスタ侯爵令嬢フリーア様は、ジョージアナ様のご友人なだけあって新しいものがお好きな方です。国内外の流行について情報交換をなさっていらっしゃるようですね。お二人が城中の女性の流行の発信源といって差し支えないと思います」
「つまり、私の……王女の評判が、彼女たちから国中に広まる？」
　深く頷かれる。どうやら、心してかからねばならないらしい。
「お二人はお付き合いも広いですから、出来た方々なのですが……取り巻きに、首を傾げるような方もいらっしゃいます。言っては何ですが、心配ですわ。なんだか、姫様が傷ついてしまいそうで」
「心配はありがたいが、私はあなたより傷に慣れていると思うよ。着替えのときも、傷跡だらけだっただろう」
「そういうところが心配なんですわ」
　笑いを堪える、泣きそうな、複雑な笑顔で言われたが、何のことだか分からない。
（お菓子のような手のご令嬢方が、いきなり斬り掛かってくるわけではないからな。もし心配されているのが精神的なことなら、それこそ戦場よりはましだろう）
　馬車は街から離れていく。一帯には草原が広がっており、アレムス城が一段高い丘の上に建って、後方にも敷地があることが分かる。城下にも丘の起伏があり、再び昇っていったところにある青屋根の建物がレスタ邸だ。
　建物前にある花壇の島をぐるりと回り、馬車をつける。フリーアとジョージアナに続き、邸に入る。紺の石と白い大理石が組合わさった玄関をそのまま突き抜けていくと、庭に出た。
　蔓植物を巻き付けた弓形門。古い建築物を思わせる柱があちこちに建っている。人工の水路と橋。水が流れる音が聞こえてくる。屋根のある東屋が見えるが、遠くの巨大な建物は音楽堂だろう。フォルディア、グレドマリアにはあって当然の建物だ。
（……いきなり、演奏しろとは言われないと思うが……）
　音楽は剣より不得手だ。出来ないわけではないが、評価を下すなら「下手」としか言い表せない。息も絶え絶えな雀の音色だ。楽譜は読めるが指が追いつかない。初心者向けの練習曲は音階の途中で落とし穴にはまる。もし人前で腕を披露せねばならないのなら、練習が必要だ。
　それにしても、足が痛い。
　一度足を休めたりしたものだから、更に痛みが増しているような気がする。なるべくゆっくり歩くが、靴の縁が深くのめり込んで痛みが広がる。
「皆様、遅くなってごめんなさい。お待たせ致しました。今日はお客様がいらしていますのよ」
　フリーアが呼びかける。東屋に広げられた茶会の席で、貴婦人が三名立ち上がった。
「お待ちしておりましたわ、フリーア様」
「今日はジョージアナ様ともご一緒できるなんて、本当にうれしい」
「そちらの方は、もしや……？」
「フォルディア王国のアンナ・シア王女殿下です。わたくしのお友達ですわ」
「アンナ・シアと申します。今日は、フリーア様、ジョージアナ様のお言葉に甘えて、お邪魔させていただくことになりました。どうぞ、よろしくお願いいたします」
　一瞬迷いかけたが、エタニカは妹の名を名乗っていた。
　こちらこそ、と女性たちは声を揃えた。ふと、フリーアが何かに気付いたかのように、机と辺りを交互に見る。
「ユディナ様のお姿が見えませんわね？」
　三人の視線が交わった一瞬を、エタニカは見逃さなかった。彼女たちはほほほ……と楽しげに、けれど仕方がないという笑い方をして、眉尻を下げている。
「何の連絡もございませんのよ。失礼な方ですわ。フリーア様のご招待を受けておきながら」
「そうなのですね。お家で何かあったのかしら……」
　立ち話を続けるのも、ということで、六人は着席した。膨らんだのではと思うほど靴に収まりきらない足のせいで、座れるのはありがたい。
　レスタ邸の召使いたちが給仕をしてくれる。ルルは、どうやら姿を見せないようにどこかに控えているようだ。多分呼べばすぐに来てくれるのだろう。フォルディアとさほど変わらないらしい昼のお茶を眺める。茶葉は数種類。赤いお茶と、香草のものとが揃えられている。器は高価な磁器だ。緑と赤で蔓薔薇を描いている。お茶請けは片手で摘めるパンを始めとした軽食と、焼き菓子などの小さなものが用意されていた。木の実をまぶしたもの、季節の果実を使ったもの、甘味をつけただけの気取らないものもある。
　エタニカは焼き菓子に舌鼓を打った。フォルディアと同じ種類の小麦を使っているはずだが、グレドマリアのそれはよく精製してあり、綺麗な月色に焼かれている。食感が軽く、小麦粉と砂糖の甘味が上品に広がる。
「とても美味しいです。こちらの料理人は腕利きなのですね」
「お褒めの言葉をいただけて、料理人も喜びます。我が家で長年務めている者ですの」
「この上質な小麦粉と砂糖は、貴族しか食べられないものなのでしょうか。この街の人々の口に入るものなのですか？　どこから仕入れて……」
　続けられなかった。我に返ったからだ。
　アンナは小麦と砂糖の出自を聞いたりしない。
　不自然に口を止めたエタニカを、フリーアたちは無垢な目で見つめている。
「小麦と砂糖が、どうかしましたか？」
「とても……とても、上質なのですね。我が国でも、どこででも、これが食べられたらいいのに、と。皆様が羨ましいです」
　フリーアは「そこまで褒めていただけるなんて」と嬉しそうにしている。
「ほら、フリーア様。いつもわたくしたちが申し上げているじゃありませんか」
「そうそう、お茶菓子に、お話に、いつも楽しい思いをさせていただいていて」
「本当に、レスタ家のお茶会はわたくしたちの楽しみなんですわ」
　三人も繰り返し訴える。ジョージアナもまた「わたくしも楽しみなのよ」と言ったから、フリーアは頬を上気させていた。
「招待しがいがありますわ。ますますおもてなしを尽くさなければ……あら？　あれは、ユディナ様かしら」
　小道を人がやってくる。邪魔そうにドレスの裾を持ち上げ、小走りで。頬を上気させ、髪をわずかに乱し、うっすら汗を浮かべながら、茶色の髪の令嬢は「遅くなって申し訳ありません！」と駆け込んだ。
「まあ、ユディナ様。まずは落ち着いて。わたくしたち、あなたに何かあったのかと心配していましたのよ」
「出る直前、弟が階段を踏み外してしまって。母がいなかったものですから、わたしが対処していたんです。でもその……ご伝言をお願いしたはず、」
「まあ！　その格好はどうされたのです！　汗だくではありませんの！」
「今日は大事なお客様をお招きしているんですわよ。それではあまりに……」
「お父上がいらっしゃらなくてお忙しいのは分かりますけれども、もう少し身だしなみに……ねえ？」
　エタニカは目を瞬かせた。一塊になってユディナ嬢を責める三人は悪巧みした狐という目つきの悪さだ。対するユディナは項垂れ、指摘された己の格好を恥じ入り、消え入るような声で「申し訳ありません……」と言う。
「今日はフォルディアのアンナ殿下をお招きしているのです。ユディナ様、よろしかったら部屋をお貸ししましょう。もし弟君が大変ならば、また次回いらしてくださればよいのですわ」
「そうです、お家が大変だというのに。弟君の具合はよろしいんですか？」
　フリーアとジョージアナにいたわりの言葉をかけられ、ますますユディナは小さくなってしまった。貴婦人たちから笑みが消えて、鼻白んでいくのをエタニカは目撃した。ルルの情報は確かだったようだ。
　だからこそエタニカは言った。立ち上がり、胸に手を当てて。
「席を奪ってしまって申し訳ありません、ユディナ様。こちらへどうぞお座りになってください。私はお庭を見させていただきますから」
「そんな、王女様！」
「お気になさらないでください。でも、もしよかったら、お茶請けを残しておいていただけると嬉しいです。とても美味しかったものですから」
　笑って、何か言われる前に席を立つ。素早くルルが来て、日傘を手渡してくれる。
　剣柄よりも細い持ち手に手を添えて、飛ぶようにその場を離れた。
　赤や白の百合や、青や紫の桔梗を眺める。自然体を意識して、植物は手を入れずにいるようだが、小道は木の葉一つなく掃き掃除してあり、大きな石は除かれている。柱に蔓が伸びている様は見事だった。風景画の世界のようだ。
　ふと振り返ると、お茶会は続いているようだ。ジョージアナとフリーアがうまく宥めたのだろう。もうしばらく歩いて、ユディナが落ち着いてから戻ることにする。それまで足の痛みに耐えておこう。
　そう思って、息を吸ったときだった。
　素早く動く何者かの気配を感じて、傘を畳んでいた。