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 そうして、最後に残ったのは呪われた者たちだった。
 気が抜けたのか、石にひびが入るようにして足が壊れた。レシュノルティアは倒れ込むようにして魔術師の側に行き、その小さな頭を崩れていく膝に置いた。だが、心地が悪かったらしい。魔術師が身じろぎして、涙の跡が残る目を見開いた。
「……姫」
「ああ」
「……どうして一緒に行かなかったの? 私と心中したって言われるよ」
「それもいいかと思っただけだ。私の気持ちを理解できるのはお前で、お前の気持ちが理解できるのは私だ。醜く死ぬところを見られたくはないし……一人で死んでいくのは、怖い」
 馬鹿にするようにルガンは鼻を鳴らした。レシュノルティアも陳腐だと笑う。
 でも、本当にそれが、いちばんこわいもの、だったのだ。
「……何の術を発動させた。私にもグレイにもお前にも、何の効果もなかったようだが」
「……国土を、永遠にする術だよ」
 魔術師は身をよじって笑い、意味が取れずにしかめた顔を心から楽しげに眺めていた。昔と同じ、だがレシュノルティアには無邪気な振る舞いに映る。
「死者の血と肉を使って、汚れ、枯れていく大地を再生する術……死者が土に還るのを待つと、時間がかかりすぎるから。手っ取り早く、ね」
 やっと理解し、次に問うた。
「どうしてそんなことを」
「永遠の楽土を作ろうとしたんだ。永遠に咲き続ける花、永遠に実り続ける作物、永遠の国……。でも今回も失敗だ。中途半端になってしまった。きっと、大地がほんの少しよみがえった程度だね……」
 それは正しく問いの答えではない。待つと、やがてたどたどしい続きが轟音に隠されるように聞こえた。
「……アウエンと一緒に、銀青花の花を見た……ずっと昔、彼が子どもの頃に……レシュノルティア、君の名前の由来になった、あの青い花の世界を。とても、綺麗だったんだ、とても……」
 そうか、とレシュノルティアは言った。彼は彼なりに、自分の望みを叶えようとした。許されようと許されまいと、魔術師は望むように生きただろう。
 ははうえ、と灰瞳の幼子が顔を輝かせている景色を、自分の思い出のように描くことができる。それが答えだろうと思った。レシュノルティアは、彼を許した。口に出せなくても、許そう、と考えた。
「お前はひどい。お前は、ずるい」
 ぽつりと落ちた声に、魔術師は灰がかった瞳をわずかに細める。
「私は……お前と仲良くなりたかった。分かり合いたかった。お前は、私が信じていなかったものを理解した人だった」
「な、泣いてるの、姫?」
 突然、ルガンがうろたえた。伸ばそうか、掴もうか、触れようか、逡巡して手がわたわたと空を掻く。あまりの狼狽ぶりにレシュノルティアは目を丸くし、噴き出した。あまりの勢いに火の粉が舞う。むっとした顔でルガンはそっぽを向いた。
「グレイが、な」
「…………アウエン?」
「そう、あいつがな。私をこんなにしたお前と語り合ってみたかったと言っていた。私への想いの強さでは負けないと豪語して……友達になる気だったぞ、あいつ」
「…………ばっかだなあ」
 ほんと、ばか。ルガンは繰り返して、腕で顔を覆った。
「あいつは本当に馬鹿だ。だが、その馬鹿をこの世に生んだのはお前だ。だからお前も馬鹿だ。私も、大馬鹿だ」
 身体を縮め、唇を噛み締めている。そうしなければ壊れてしまうそうだという頑なで小さな魔術師の、震える肩に手を置き、頭を撫でて髪を梳いてやった。柔らかい髪だ。いつもつやつやとして、とても綺麗だったのを覚えている。
 ずっとこうしてみたかった。
 レシュノルティアは、初めてルガンに心から笑いかけた。
「――五百年は長かったわね、ルガン」
 火花が飛んだ。星のようだ。火炎の星が集まって、赤い海となり、城を飲み込んでいく。五百年前は逃げ出したが、今度は逃げない。
 レシュノルティアは剣を取った。死神を見つめる瞳には影がなく、ぽかんとした広さが宿っていた。どこで見たのだろうと考えて、それが何かを映した空と同じだと思い当たる。戦争が終わった屍の上で人の虚しさを浮かべ、父母のいた遠い過去を映した、あの青の果てしなさだった。
 魔術師の胸に、刃を置く。ルガンの瞳は、レシュノルティアの微笑みを受けて、緩やかに瞬いた。
「……死んだら、どこへ行くんだろう? 私は身体を乗り換えてきたけど、死ぬのは初めてなんだ。君にあんなに偉そうなことを言ったのにね……」
「きっともう一度生まれてくる」
 ルガンは目を見張った。
「そうしたら、あの光を目指せばいい。……お前が見た、あの景色の」
 仮面を取った魔術師は、この五百年のときを思い返し、いくつかの思い出を拾い上げたのかもしれない。まるで少年のように、ほろほろと笑み崩れた。
「……うん」
 剣は、魂に届いた。しかしずっと思い描いてきた憎しみの刃ではなく、口づけと同じ優しい剣だった。
 青い護符が、灰になった。
 今度こそ魂は散り散りになっていく。指先から、爪先から。髪の先から、掴んでも見えない粒になっていく。五百年、あるいは千年の時が流れ、誰にも見えないものになっていく。レシュノルティアは解かれていく自らを感じながら、誓った。
(もう一度、会おう)
 あの光を目指す。寂しくない。目覚めたとき、その永い時をきっとすぐに越えられるはずだから――……。



 火の粉が、変じる。
 炎の舌は優美な曲線に。赤い色は安らかな青に。火花は冴えた青の鱗粉となって、熱は消える。黒く染まった焦げ跡は、その翅に触れると光を帯びて元の形を取り戻していく。
 国の象徴が焼ける不吉な光景を見守っていた者の中で、歴史に詳しい者は、呪いだ、この国は呪われていると叫んだ。逃げ惑う者も、城下を守ろうと走り回っていた者も、しかしあっと声を上げた。
 無数に飛び立っていく青冴蝶の群れ。
 夜空を覆い尽くす、絶滅し、失われたはずの青い光。尽きることがないように思われる数で、笑い声や歌声に似た羽ばたきが響き渡り、青冴蝶は地平の彼方へ飛び去っていく。
 ――やがて夜が明け、美しいエルディアが照らされる。
 青く永い夜は、終わったのだ。

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