終章
 

 汽車を降り、駅に降り立った彼らは、その辺鄙さに文句を言い合った。駅の周辺には初夏にぼんやりと光る野原だけが広がっている。道も舗装されておらず、自動車も見当たらず排気のにおいもない、草の青いにおいだけがあるそこは、彼ら国立大学の学生にはひどく鄙びた田舎臭さしか感じなかった。
「ここまで何もないと飛ばしやすいよね」
「ああ。絶好の飛行日和だ」
 シャルルの言葉に親友は頷いた。自分たちで制作した飛行機を飛ばす、その試験飛行のため、実験できる広い場所を探し、私的な領地だというそこで実験を行う許可を取り付け、ようやくここまで来た。すでに部品は送ってあり、先立って到着している部員たちがそれを組み立てているはず。早く現場に行かなければならない。
「しかし、本当に何もない」
「三百年近く前に自然保護区に定めたんだって。大陸では初めての例だって、昔読んだ本に書いてあった」
「お前は本当に本が好きだなあ」
 暗いと言われているようなものだが、気にならない。彼が本当に、心から自分との違いを認め、面白がっているのが分かるからだ。
 しかし、空がひどく明るいこの場所では、シャルルは少々疲れていた。いつも家に引きこもっているし、暗いところで本を読むシャルルの目は悪く、眼鏡をかけていたから、歩いているとそれがずり落ちるのも困った。
「……って、どこ行くの!?」
「こっちに何かあるような気がする!」
「何かってなんだよ……」
 友人のこの突拍子もない行動は今にも始まったことではない。いつもこういうことをして、知らないところに傷を作っているような男なのだった。それを、彼は先祖の血だとふんぞり返る。こんな王様がいたらさぞかし苦労するだろう、と思うシャルルだ。
 彼が足を止めたところに追いつくと、シャルルは息を呑んだ。
 一面、青く染まっている。
 海が現れたのかと思ったが、揺れるのは青い花びらだ。花の海は、尽きる場所が見えないほど広い。花の香りが風になっている。
「銀青花! すごい、こんなに咲いてる! ……え、誰か、いる?」
 花畑の中で、白い影が動いた。
 むくりと起き上がった頭から、花が落ちる。
 花畑に寝そべっていたらしい。頭にくっついた銀青花を振り払うと、伸びをし、ふわあと大きなあくびをして、きょとんとあどけない目をこちらに向けた。
 銀の髪の女性だった。瞳は、花と同じ色。
 シャルルが硬直している間に、友人は何のためらいもなく近付いていく。
「……誰?」
 しかし、彼女の目はきつく吊り上がった。
「あなたたち、ここが私有地だって知ってるの? 不法侵入だと許さないわよ」
「許可はもらっている。ほら、ここに」
 渡した証明書を見て、彼女はぱちぱちと目を瞬かせた。
「確かに、うちのサインね。許可を取ってくるなら、あなたたち、歴史専攻か何か? まさか、魔術なんていかがわしいものに被れてるんじゃないでしょうね?」
 友人は困ったように振り返った。シャルルは答えを探す。妙にどきどきしていたから、ゆっくりと落ち着いて答えるのに苦労した。
「ううん、今日ここに来たのは実験のためで……あっ、でもアウエン一世の手記は読んだことあるよ!」
「あら、あれを読んだことがあるの? 私、あれがとても好きなの」
 どきりとする。快活な笑顔。勉強ばかりしているシャルルを気持ち悪いと見下さない、親しみのある笑顔だった。綺麗だった。綺麗すぎる、と思った。
「俺の親友は物知りなんだ。うん、俺もその手記は読んだ。なにせ、俺の名前がアウエンだからな。アウエン三世だ」
「同じ名前? ……そういえば、灰色の瞳をしてるわね。アウエン一世もこんな目だったのかしら」
 女性は遠慮なく彼を覗き込む。飾らなさすぎる素直な行動にさすがに彼も怯んだらしいが、女性は構わずにこりとした。
「あなたの瞳は銀青花と同じだな」
「よく言われる……って、どうしたの!?」
「シャルル?」
「あ、あれ……?」
 気付けば、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
「どうしたんだろう。傷ついたわけじゃなくって、嬉しいんだけど……嬉しいのに、涙が出る。でも、どうして嬉しいんだろう……」
 かっこわるい、と必死に拭っていると、手巾を手渡された。青い染めの綺麗な布だ。
「私も、ここの花を見ていると泣きたくなるの。懐かしいような、悲しいような、腹が立つような、切ない気持ちになる。あなたと私、感性が似てるのかもね」
 彼女はシャルルに微笑みかけ、「あなたも青い瞳ね」と言った。顔が赤くなってしまう。どうしたんだろう、さっきから、どきどきしっぱなしだ。
 彼女はまたにっこりしてから、遥か遠くまでを指差した。
「昔、ここは戦場になったこともあったそうよ。銀青花は汚れた水と土では繁殖しないけれど、何百年もかけてようやくここまで広がったの。本当に、夢みたいな景色だわ」
 かろーん、かろーんと鐘が響いてきた。星をあがめる星鍾教会の、星の輝きと同じだという鐘の音。王都では重々しく圧倒する時間の響きとは違い、この場所では本当に星のまたたきと同じように耳に届く。
 この場所の悲しみも、怒りも、喜びも憎しみも、愛も、すべて分かるような気がしたのは何故だろうか。
 綺麗だ、と思って、また泣きたくなった。
 風に混じって別の音が届く。ぶうんと回転する音はシャルルたちにとって聞き慣れた音だったが、彼女には分からなかったらしい。不安そうに眉を寄せて辺りを見回した。
「何の音……わっ!?」
 ぶわ、っと風が起こった。突風に持っていかれそうになったが、アウエンが彼女とシャルルを庇った。大きな影が頭上を覆い、思わず顔を上げる。
 青空に、飛行機の翼が広がって、その光の向こうの風に、白い鳥の群れがきらりと羽を輝かせていた。
 何も言えずその光景に見入った。銀白鳥の城、雲の白、飛行機の白。蒼穹の青、風に舞う銀青花の青。それは、遠く懐かしい何かを思い出させる鮮やかな色彩。
 次の瞬間、両隣から叫びが上がった。
「あいつら! 俺たちがいないのに勝手に飛ばしたな!」
「ひどい! 銀白鳥の渡りを観察しにきたのに! あなたたちのせいで台無しだわ!」
 二人は睨み合う。
「俺のせいじゃない。許可はもらった」
「許可なんて出すんじゃなかった!」
 肩を怒らせて彼女は背を向ける。見れば、花畑の中に準備された撮影機械があった。乱暴に片付ける姿に、シャルルは焦る。せっかく会えたのに怒らせてしまうなんて。
「じゃあ、さよなら。もう二度と会うことはないでしょうね!」
「いいや、また、会うさ」
 アウエンが自信満々に言うのに、シャルルは驚いた。
 けれど親友の目を見ていると、それが正しいことなのだと分かった。確信で、真理だった。シャルルにはまだ世界の真理なんて分からないけれど、絶対的な約束だということは知っていた。
「うん、また会うよ。僕は君に会えて、嬉しい」
 彼女は疑わしい目つきでこちらを見ていたが、苛々と髪を掻きあげて、でも何も言わずにきびすを返した。
「名前! 君、名前は!?」
 アウエンが驚いてこちらを見る。シャルルも、自分の行動力に驚いた。それでも声は止められなかった。嬉しくて、叫び出したくて、たまらなかった。歓声みたいな弾む声を張り上げて、シャルルは告げる。
「僕はシャルル、シャルル・ルガン! 君の名前は?」
 女性は半分振り返り、苦笑に似た皮肉な顔をする。
「――――」
「花の名前は聞いていないぞ?」
 アウエンが首を傾げたが、それが名前だということをシャルルは知っている。背を向けて行ってしまう彼女を、めいっぱいの声で呼んだ。

「レシュノルティア! またね!」

「レシュ!」

 突然愛称で呼んだ友人は、灰色の瞳を悪戯っぽくきらめかせ、傲慢に言い放つ。
「行けよ、お前の居場所は分かっているんだ。――すぐ、追いかけてやる」
 銀青花(レシュノルティア)の海で彼女は振り返り、その不穏な台詞に目を見張ったが、しかし思わずといった様子で噴き出して、大きく手を挙げた。
「追いかけてこられるものならね!」
 シャルルは思いっきり手を振った。レシュノルティアも応えてくれる。
 その、花のような笑顔。
 向こうから仲間たちが飛行機の残骸を持って駆けてくる。レシュノルティアはその騒がしさに眉を寄せ、野太い笑い声と歓声に堪えきれず笑い出した。あいつら墜落したなとアウエンが苦々しく言うのに、シャルルはお腹を抱えて笑う。
 やがて、翼を得た人間は、月や遠い星々まで辿り着くだろう。星は魂ではないという時代が来て、またこの花は戦火に消えるかもしれない。それでもこの時は、歴史という大きな物語の途中に違いない。
 いつか戦場だった場所で花開く銀青花は、誰かの夢見た永久のように、果てまで広がっている。
 シャルルにとって、今この瞬間は永遠に間違いなかった。



























     *


 戦場で青の女神に出会うこと。青い戦女神と巡り会い、ともに駆けることができる戦士となること。それが、この武勇の国エルディアに根付いた男子の誉れだ
 戦は終わらない。大地は汚れる。新しい武器が生まれることは止められなかった。火薬を利用した武器は、世界中にあっという間に普及した。青い花が慎ましく咲く野原は、この時代をもって消えてしまうかもしれない。
 これ以上戦火を広げず、銀青花が咲く大地を守ることは、長く険しく、剣を振るうよりも苦しい道だ。国が削られ、国境線が変えられ、民が死んでいく日々に狂いそうになる。花が咲くよりも早く世界は死んでしまうかもしれない。それでも俺はこの世界を守らなければならない。
 青い花の咲く丘で、いつか俺は彼女に会うだろう。
 そのために、この心にある剣を折るわけにはいかないのだ。
「行け。すぐに、追いかける」
 俺は呟いた。丘に剣を立てて、強く。
 この地に、刻む。









 ――愛している。

アウエン・グレイ・エルディアの手記より










戦場に咲くレシュノルティア

End.


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