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遠征の準備に追われた後は、国軍として合流すべく東の地点を目指した。マギアのことを何度かネイサンが口にしていたが、アドウニスが答えないと知ると何かあったと悟ったらしく、非難する口調で言った。
「後悔するぞ」
ただそれだけの言葉なのに、重かった。
それでも、あれでよかったのだと思い聞かせた。
合流地点で陣を敷き、神王アレグシオスの到着を待った。一ヶ月をかけて、神王とサローン国軍五万が到着した。やがて東へ向けて行軍が始まったが、総勢十万の歩みは遅々として進まず、脱落者も出始めたが、十万という兵の多さに、上層部の数的感覚は鈍くなっていたようだった。
大地を擦る低い足音は、とても覇権を制する王の兵のものとは思えないほど鈍く、惰性的な音楽のようだとアドウニスは思った。
最初の戦いは、行軍二十四日目に起こった。
しかしそれは、サローン軍内で起こった内部紛争だった。
果てない行軍と扱いの不遇さ、そして何より、剣を取った者たちは北や東の出身者だった。西や南に比べて彼らはまだ収穫を終えておらず、東への遠征がそういった実りを踏み荒らしていくことに、彼らは我慢ならなかったのだ。
隊列は崩れ、しかし判断を仰ぐべき大隊長や旅団長、もちろん師団長や軍団長は遥か彼方の前列におり、サローン群は中程から崩れた。
後方の隊にいたアドウニスたちは、その最中に介入し、なんとか反乱を治めることに成功した。隊列を組み直して上へと報告したが、隊長格の者たちの反応は鈍く、あるいは苛立っているだけだった。まだ替えがきく、そんな風に思っているに違いなかった。
「やりきれねえよ」と、剣を手放さなかったために斬った自軍の兵を見下ろしながら、ネイサンが言ったのが痛かった。
「アヴォイの神殿兵アドウニスか?」
ある日、馬を駆って現れた壮年の男は、響く声でアドウニスを呼んだ。
「師団長……!?」
たかだか一神殿兵の自分に声がかかったということに驚いたアドウニスよりもネイサンたちや周囲は衝撃を受けていたが、師団長は笑って、もっと驚くようなことを口にした。
「軍団長閣下がお呼びだ。来たまえ」
あまりのことに言葉を失うアドウニスに、師団長は行くのか行かないかの返答を強く迫り、アドウニスはなんとか頷いた。
アドウニスは騎乗を許され、師団長とともに小休止中の軍を、後方から先頭近くまで駆け抜けた。そのアドウニスの目に、自分がいたところと同じく疲労を浮かべる兵士たちが映った。アドウニスが軍団長の天幕に辿り着くくらいには、団長に士気によるものかそういった影は薄れて見えたが、やはり、この行軍はうまくない、という思いが忍び寄ってきていた。
だが軍の統率者を今まさに目の前にする時、おくびにも出さぬよう自制し、アドウニスは十万の軍を統率する男の前に進み出た。
軍団長イグレオン。神王アレグシオスの最強の剣、人の身で現れた戦神グランディスの忠実なる下僕と呼ばれる男は、ひげに白いものの混じった。しかし歴戦の戦士を思わせる威風堂々とした人物だった。
「アヴォイのアドウニスか」
深みのある声は年齢を感じさせ豊かに響いたが、声とは裏腹に目つきは鋭かった。
「は」
「今回の反乱者の説得に当たったと聞いたが?」
「はい。わたくしと、アヴォイのネイサンが、説得に当たりました」
反乱者はすべて死亡し、あるいは処罰されている。
なんとかならないだろうかと思ったアドウニスに手を貸す形でネイサンが付き合ってくれたのだが、おかげで何人かを除名という形で命を救うことができた。本来ならば反乱を起こした彼らは処刑されてしかるべきだったのだが、ネイサンが彼らを死亡、あるいは行方不明と報告し、逃がしてくれたのだった。
すると、しばらく間があった。不審に思ったアドウニスが顔を上げると、イグレオンは笑っていた。師団長も笑っている。
「なるほど、言葉通りの人物だな」
アドウニスは顔をしかめた。
「どういう意味でしょう」
「実直である、有能である、しかし頑固である、という噂を聞いている。事実のみを述べ、己の功を滔々と述べぬことは私の対人評価の最低基準だ。それにお前は自分のみならず同じことをした仲間の名前も口にした。合格だ。来い」
そう言って立ち上がり、幕を出る。
「お前を呼んだのは私ではない」とイグレオンは言った。
「お前のことを聞いて関心を抱かれた様子で、一言やりたいと仰せでな」
まだ意図が掴みきれず困惑するアドウニスに、軍団長も師団長と同じく衝撃をくれた。
「神王陛下がお言葉を賜われるそうだ」
神王アレグシオス。東への遠征を行ったことから、遠征王と呼ばれる。皇太子時代から戦上手で知られ、戦神グランディスを特に崇拝し、即位後には自らを神の加護を受けた神王と名乗った。
天幕の幕越しに、アドウニスは謁見を許された。
東の土地の風は少し冷たく、しかしアドウニスの身体は胸の奥からわき起こる熱が収まらなかった。アヴォイの豪農家の出であるアドウニスが、王の血を引く存在に目通りがかなうとは、思ってもみないことだった。
「アヴォイのアドウニスか」
「はい」震え声を悟られぬよう、慎重に神王の側近に答えると、側近は天幕の中にそれを知らせに行き、すぐに戻ってきた。
「神王陛下が御言葉を賜ると仰せである」
アドウニスが膝をついた状態から深く頭を垂れると、低い声が小さく聞こえてきた。アドウニスが耳を澄まそうとしたそれを、側近が復唱した。
「此度の不忠儀者の振る舞いに、そなたの忠義が勝利したのは喜ばしいこと。そなたを部隊長の位を与える。更なる働きを見せよ。そなたの忠義、期待している」
アドウニスが礼をすると、「下がれ!」と側近が命じた。
地面に触れるほど頭をすりつけたアドウニスが、神王の声を思い返そうとすればするほど、反乱を起こした者たちの悲嘆と悲痛な声、そして剣劇の音が、耳にこびりついて離れないでいた。
音も立てず神殿に入り込んだマギアは、冷たい石の床を滑るように進み、ハルセスナラートの像を見上げ、そっと息をこぼした。巨大な神像は何も答えてくれはしないが、マギアは彼がなんと言うかを容易に想像することができた。
帰ってきなさい、我が養女(マギア)……。
「マギア」
そう不意に呼ぶ声があった。マギアと同じように、だがもっと超自然的に現れたのは、マギアの友人であり従者だった。マギアは息を詰めた。
「キリイ」
「ええ、私」と呆れたように、目深に外套をかぶって美貌を隠した少女は言った。
「こんなところでいつまでも何をしてるの?」
「キリイ、私は」
「あなたが愛を与えようとした男は、あなたの制止を振り切って行ってしまったんでしょう? あなたがここに留まる必要があるわけ?」
言葉もなかった。キリイの言うことは正しかった。
彼は竪琴よりも剣を選び、そうして東の果てへと行ってしまった。マギアは彼を待とうとして、それができない己を友人の存在を見て自覚した。それでも未練を残すマギアに、キリイは金切り声の苛立ちを叫んだ。
「そんなことなら、あんな男より、あの詩人を愛すればよかったのよ! あの詩人は歌ったわ、神のために歌ったわ! でもあの男は歌わなかった。音楽を奏でることをしなかった。あなたは詩人を愛するべきだった、マギア、音楽の女神マギア!」
マギアは顔を覆い、耐えきれず膝を折った。
神族なれど、西の神々であるサリュ神族ではない、東の大地の守護神として存在したマギアは、神王アレグシオスの遠征で東の地にサリュ神話が浸透した結果、サリュ神族の主神ハルセスナラートの元に身を寄せることになり、彼の養女として扱われることになった。しかし、彼らを信仰する多くのサローン人にはマギアという存在が音楽の神だという認識はない。サリュ神族にはすでに音楽と芸事の神がおり、マギアは土着の小さな神に過ぎなかった。いずれ同一化して溶けていくだけの。
しかし、マギアは見つけたのだ。自分が愛し、霊感を与えるべき存在を。
「彼には音楽の才能があったわ……」
絞り出すような声でマギアは言った。
一目見て分かった。彼の心には、景色が、色が、光が、言葉があふれている。詩という形で表されれば、どんなものよりも輝きを放つ、素晴らしい力があると。マギアは見つけた。あの様々な人々が入れ替わり立ち替わり声を放つ中で。
アドウニス。
「彼は楽器を手にするべきだった……楽器をよ、剣ではなく!」
地面に叩き付けた手の、腕輪が、何よりも荒々しい音を立てた。
「彼は私を信仰しない。音楽を尊ばない。信仰しない者を私は感じることができない。私は彼に会いに行くしかなかった。人のように、彼に会うしかなかったのよ!」
しかし人には選択が、運命があり、ただ音楽とそれを信仰する者に対して守護力を持つだけのマギアに、剣を選んだ者の運命を左右することはできなかった。戦いと勝利は、マギアの領分ではない。
神と呼ばれども、武力と関わりのない音楽の女神には、彼を勝利に導くことはできはしない。
マギアは知っている。これまで幾度と勝利してきた神王アレグシオスに、戦いの神グランディスは、もう……。
キリイは言った。
「我が神マギア。帰りましょう。人は儚い……あの男が受け取るべきだった霊感は、別の誰かのものだったのよ。これは、ハルセスナラートの力が及ばない神々、運命の女神たちが決めたことだったのよ……」
アドウニス、とマギアは呼んだ。
音楽か剣か。アドウニスは剣を選んだが、いつだって、彼にはもう一つの道が残されていた。いつだってそうなのだ、人間は誰しも、捨てたと思った道が残されている。選択はいつだってすぐそばにある。選ぶ勇気、捨て去る勇気、新しく始める勇気さえあればいつでも。
気付いてほしかった。剣を捨て、音楽(わたし)を選ぶ道があることに。もう一人のあなた(音楽)を見つける道があることに。
でも、もう、アドウニスは遠い。彼の死すら感じ取ることができないように、二人は隔てられている。
(私を呼んで、アドウニス)
そうすればきっと、あなたを救うことができるのに……。
ひどいものだった――東での戦いは。
まず、病が流行った。薬は少なく、看病しながら連れて行くこともできず、兵は置き去りになった。そして内紛があった。略奪があり、暴力があった。処罰が繰り返され、離脱が相次いだ。士気が低下する中、以東国であるエンディンの襲撃があった。
心が離れ始めていたサローン軍に、自国を守ろうと勇猛に戦うエンディン軍にかなう術はなかった。
数少なくなったために昇格された大隊長という位に、アドウニスは何の感慨も抱かなかった。軍団長の口数が減り、それまで部下を鼓舞することが多かった彼だが、言葉を交わすことは少なくなっていった。いつかアドウニスを呼びにきた師団長はすでに戦死を遂げていた。
神王を守りながらからがら離脱し、一万程度になった軍を見て、アドウニスは絶望的な気分を味わった。その絶望も、噛み締めればか見しめるほど味を覚えなくなるように、何も感じなくなった。軍団長も、同じだったに違いない。
行軍五十一日目にして、イグレオンが重い口を開いた。
「陛下に、ご帰還を進言しようと思う」
直後、アドウニスの口から出たのは、「可能なのですか」という一言だった。
病が流行してなお帰還の選択肢を取らなかったアレグシオス王に、いくら軍団長イグレオンと言えど言葉の無駄ではないかと思った。アドウニスに続いて、次々の疑問の声が上がった。それでも自分たちだけでも逃げるべきだと誰も言わなかったのは、さすが軍団長旗下、切磋琢磨し、ここまで生き残った隊長格というところだっただろう。
軍団長はそれらの声をすべて封じ、アドウニスに付き添いを命じた。神王に謁見を申し出、その手続きの間、アドウニスは尋ねた。
「そもそも、何故に陛下はここまで遠征にこだわられるのです」
「陛下は常々仰せだった。『我には戦神グランディスの加護がある』と」
彼は平坦な声で続きを言った。
「神殿も建てた、報われるべきだと……報いてくださるはずだと……」
加護を、神よ。我を愛されよ。
我に勝利を。
永遠に勝利を。
急に吐き気を覚えて口元を押さえた。アドウニスが日頃立っていたのは、その象徴たる神の家だったのだから。
疲労を隠せずにいながらも威厳を保った神王の使いがやってきた。
謁見は許可された。
軍団長の後ろに控え、アドウニスは、イグレオンが理由をつけて帰還を進言するのを聞いていた。そして、こんな時でも神王の天幕が真っ白に輝いているのを見ていた。汚れもないのは、王がいつも真っ先に安全なところに逃亡していたからに他ならない。
神王が何かを口にした。ぼそぼそと呟かれる声に、側近が声を荒げて復唱した。
「黙れ、何を言うか! 我が遠征を邪魔立てすると申すか!」
「長期間の行軍に、兵は疲弊しております! 神王陛下を御守りする十分な数も揃っておりませぬ!」
「それならば援軍を求めればよい。すでに書状を送ったではないか」
「到着までに幾日もかかります。それまでにエンディン軍に攻め入られれば御身が危のうございます!」
「そなたの剣には信頼を置いている」
「そのわたくしはこの戦、勝てぬとみます」
引き絞られるような沈黙があった。
次の瞬間、怒声が轟いた。
「我が神とその加護を持つ我を疑うと申すか!」
「神の寵愛は永遠ではございませぬ! 神の加護は戯れと気紛れであり、それゆえに国は興亡し、王は例外なく冠を脱ぐのです。陛下はご存知のはずです!」
声を荒げた側近は、ぶるぶると震えながら、暗い目をしたイグレオンに射すくめられていた。神王自身の言葉が続けられることはなく、声が聞こえているはずの周囲は、しん、と静まり返っていた。その静けさに、音が落ちた。
小さな声が言った。
「我が神を愚弄するか。我を愚弄するか」
「陛下!」
軍団長は軋む声で叫んだというのに。
その声は鬨の声に掻き消された。一同は世界が崩れ落ちるような轟音に刹那呆然とし、そしてわっと知らせに走ってきた伝令を絶句した状態で迎えた。
「エンディン軍の奇襲でございます!」
軍団長の進言は遅すぎたのだ。
イグレオンは神王を仰いだ。その時、戦場から吹く風が幕をめくり上げ、アドウニスは神から与えられたという冠をかぶった男を見た。
年老いた男だった。身体を悪くしているのか皮膚の色はくすみ、皺が多く、顎の周りの肉がたるんで重なっていた。目は濁り、表情は無に近かった。汚れのない絢爛な衣装に身を包んでいるために、それは醜悪に過ぎた。
「我を守れ……我には神の加護があるぞ……」
覇気もなく、ただ呟くだけの姿。
これが神王かと、我らがいただいてきた王だというのか。
(なんという――)
もし戦神グランディスがこの王を見初めたというのなら、神の愛とはかくも気紛れであり、運命の悪趣味な遊戯だと感じずにはいられなかった。
「神の愛に、理由はないのか」
アドウニスの呟きに痛みを感じた顔をしたイグレオンは、泡を食って逃げ出す側近を睨みつけた後は、王には何も言わず身を翻し、伝令に命じた。
「己が命を死守せよ! 陛下は私がお守りする」
「閣下!」
「アドウニス、お前も行け」
「閣下」
軍団長は静かに微笑んだ。
「私が負うてゆく……戦神の名を叫び戦って、軍の長の位をいただいたのは私だ」
請うような目を向ける伝令を見てから、イグレオンはアドウニスに微笑んだ。清々しく、覚悟を決めた父程の偉大な人物の告白を、アドウニスは厳粛に受け止めた。
「ご武運を」
「そなたも!」
雄々しい声でもって軍団長はアドウニスの背中を押し、アドウニスは、涙を流す伝令を引きずるようにしてその場を離脱した。
相手の数も分からぬような状況で、アドウニスは飛び出してくるエンディン兵を斬った。淡々と事務処理をするような、夢を見ているかのような、平坦で現実味のない作業だった。それでも意識は冴え、味方を見つければ守り、その場を脱させた。
「アドウニス!」
「ネイサン!」
知古の姿を見つけた二人は合流し、それぞれに剣を振るう。
「信頼できるのに隊を任せて離脱させた!」
そうしてくれると信じていた。アドウニスは返事の代わりに声を上げてエンディン兵を薙いだ。
「陛下は」
「軍団長閣下が」
それ以上は言えなくなった。声が出なかったのだ。
ネイサンはそれをうまく聞き取り、歯を噛みながら剣を振るっている。二人の刃は薙ごうとしても切れ味は鈍くなって、鋼の棒と化していた。叫び声もやがては枯れ、ただ振り上げる剣同士が打ち合う、ぎいん、かあん、という音だけが、妙に澄んで美しかった。
マギアが奏でる音は軽く涼やかだった。
そう思えるようになったのは、ようやく、この時の、この東の果てでのことだった。血を浴び、自身の身体が動かなくなりそうな阿鼻叫喚の図の中でのことだった。
マギアが一歩踏み出せば、彼女とともに大地が歌った。手を上げれば空気が光るような音がした。動くだけでちりちりと金属の環が鳴って、すぐそばにいることを知らせてきた。マギアがそこにいる、それだけで音楽だった。
(最初の出会いからして、彼女は不思議だった……)
サリュ神族の豊穣を司る女神の、その祭りのただ中に彼女はいて、見回りに駆り出されていたアドウニスと出会った。
詩が聞こえていた。祭りの讃歌が彼ら彼女らの衣装の色のごとく往来に溢れ、実りと恵みの喜びに沸く中、いずこからか高く鳴った音が。たった一音。されど一音。耳に届いたそれはアドウニスの足を止めさせた。
時が止まり、色が留まる。アドウニスは、そこで自分を縫いとめた女を見た。
被り物がほどけ、黒髪と黒い瞳の異国の女が現れる。
「会いたかった」
その声は、アドウニスの聞いた弦の音と同じ音をしていた。
ほろほろと時が溶け出す。
「君は誰だ?」
彼女は答えた。
マギア。
いつかの詩人の竪琴の音色が聞こえている。激しく掻きなされる十の弦の音。連鎖する音色。とめどない音の波。止まらない叫び声のように、痛々しく、狂おしく奏でられる。
その最中に、後悔するぞ、という声が響いた。
(なぜ聞かなかった?)
どうして俺だったんだ?
どうして君は現れたんだ?
腕は痙攣し、肩は上がらず、足は膝から折れそうだった。ネイサンの姿はどこかへ消えてしまい、アドウニスは悲痛に絶叫した。失っていく、こぼれていく。汗と血糊で柄を握る手が滑る。それと同じように、自分の手のひらからあらゆるものがこぼれ落ちて行く。手が動かない。腱を斬られた。それでも手を伸ばす。しかし、手から剣が滑り落ちる。
ああ、これではもう、弦を鳴らすことができないか――。
アドウニスが倒れ伏し貫かれるよりも先に、ぎいんと悲しい音を奏でるように、鋼剣は地面に叩き付けられた。
びいん、と痛々しく外れた音を奏でて竪琴の弦は途切れた。まるで爆ぜたようだった。弦が切れた拍子に傷ついた指先を見つけたマギアは、指先に滲んだ血を見つめ、そっと唇に当てた。
そして竪琴を抱き、その紅の唇で、歌を歌った。
END