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「た、ただ者じゃねえとは聞いてたが、さすがアンバーシュの嫁!」
 ぶはははと馬鹿笑いを始める。失礼なと眉をひそめた。
(まだ妻でも嫁でも妃でもないぞ)
 アンバーシュがそれぞれに着席を促し、用向きを聞く運びになった。着席した途端、ナゼロフォビナは豪快に頭を下げた。
「すまねえな。他所で喋るとああいう風になるんだ。反動なのか普段はこう荒っぽいが、別に馬鹿にしてるわけじゃねえから分かっておいてくれ」
 意識が変わると挙動も変わるらしい。優雅な所作は荒くれ者のそれに、目つきも鋭さと開けっ広げな部分を合わせたものになり、片方の腿に足首を置く姿勢は、客人らしいとは言えない。よほどここへ来るのに慣れているのだろう。
「それで用件だが。――妹が結婚する。アンバーシュには言祝ぎを頼みたい」
「何番目の?」
「プロプレシアだ」
 その名を聞いた途端、アンバーシュは椅子から転げ落ちそうになるほど驚いたようだった。
「あのプロプレシア!?」
「誰です」
「俺の末の妹だ」とナゼロフォビナ。
「同じ両神の子だが、どうも気弱でいかん。一度も結婚したことがねえし、あんまりにも引きこもるんで、母がちょっと呪いをかけてな」
 穏当ではない単語が出てきたが「ああ……」とアンバーシュは納得している。驚いた顔をしてしまったのか、彼はいちるに説明する。
「呪いを用いることはよくあるんです。五百年昔には当然でした。あの頃は人間に対する悪戯が許容されていたし、神々同士の遊びも認められていましたので。今は被害が大きすぎるということで規制がかかっていますが……ということはビノンクシュトはアストラスに許可をもらったんですね」
「ああ。『虹が上がった後、プレシアの治める河に最初に入った者と結婚する』という呪いで、それに巻き込まれたのがティトラテスの騎士ヘンドリック。水浴びをしていたところを眷属に引っ張られて、真っ裸で女神と結婚しろと迫られて目を白黒させていたらしいぜ。野郎の裸なんざ見たくもねえが、まあさぞかし愉快な光景だったろうよ」
 ティトラテスはヴェルタファレンの東にある大国だったか。さほど広くはないこの国と比べ、三四倍ほどの国土があったと地図を思い出す。
 しかし神々の遊びもはた迷惑なことだった。その騎士に同情を禁じ得ない。それが五百年前まではまかり通っていたのだというのだから、この土地は西神の戯れる庭なのだった。神秘を重んじる東とは、相容れず争うのも無理はなかろう。
「俺もプレシアを祝いたいんですが、俺が行くと、『俗世的な意味』で大事になりますよ。ただでさえティトラテスは大国で、調停国のヴェルタファレンには目を光らせているんですから。知己の祝いに来たと言っても、うるさく言われるのは目に見えています」
「半神の王はこういう時面倒だよな。生粋の神は神で地上に影響するから出現するなとか言われるけど、人間に関わると関係が面倒でいかん」
 ナゼロフォビナは鼻を鳴らし、にやりとした。
「だが安心しろ、今回は大義名分がある。――妊娠している」
 今度は、真っ白になったらしい。身動きもできず、何もかもが失せた顔をして固まったアンバーシュに代わり、いちるは己の疑問を解くことにする。
「懐胎が大義名分となるのですか?」
「なる。東ではどうか知らねえが、西では、受胎は新しい神の誕生を意味する。逆に、新しい神が必要でない限り、神は子を産むことはねえ。神とは、人の願い、望み、求めに応じて生まれる存在だからな」
 ナゼロフォビナの説明によると、例え男女が逆であってもこれに当てはまるらしい。神と結婚する者が孕むのは、皆すべて神であるという。
 初耳だった。
 東は西ほど神が多くない。婚姻関係にある神々は滅多なことでは離縁せず、皆すべて太陽と月の直系であるアマノミヤと同じ濃い血を受け継ぐ強い神々だ。神と人の狭間の子はいない代わりに、人から神に従う者になった仙と呼ばれる者たちがいる。東と西の争いでは、東の先兵はこの仙たちが務めたと聞き及んでいる。
 すると、ナゼロフォビナは興味深い補足をした。
「この望みや願いから生まれた、神の属性だとか位だとか意味するものを『座』という。俺はティトラテスの森の一部を治める座にある。アンバーシュはヴェルタファレン王としての座。フロゥディジェンマの座は、彼女の父親フェリエロゥダの後継者として。つまり、この座に空きがない限り、新しい神は生まれない」
 まだ信じられない顔をしたアンバーシュが訊く。
「……座に空きがありましたっけ?」
「分かんねえ。誰が隠居したとかも聞かねえしな」
 二神は首をひねっている。つまりそれほどまでに西では神の数が多いということだろう。西の神々の文化は東とは違うことが分かっていたが、どうも未だ分からない部分が多すぎる。
「ともかく、求められたからこそプロプレシアの子が生まれる。ヴェルタファレン王としては事情が込み入っているだろうが、できれば祝いにいってやってほしい。この通りだ」
「頭まで下げられると断れませんね」とアンバーシュは苦笑した。
「調整はしてみます。無理そうならクロードに使いをしてもらいましょう。それしか約束できそうにないですが、構いませんか?」
「分かった。もてなしの準備をして待っていよう」
「無理を言わないでください」
 笑い合った二人だったが、ナゼロフォビナは表情をあらためた。いちるを少し見て、アンバーシュに目を戻す。
「千年姫がいるから、もう一度簡単に言っておく。東神がこちらに様子を見に来ていたが、来てすぐに取って返した。どうやらあちらで問題が起こったらしい。十中八九、魔眸の件だ」
 祝い事の後であるだけに、話の重みでいちるの背筋も伸びた。
「ここ最近、急にやつらの動きが大きくなっている。古神曰く、神の数が少なかった時代以来のことらしい。西でも東でも駆除に神々が借り出されているみてえだな。だから言祝ぎをもらいたい。受胎した女神は弱くなる。元々がプロプレシアは弱い。活発化している魔眸につけ込まれねえとは限らねえ」
 頭は下げられなかったが、彼の最大の気がかりであることは分かる。アンバーシュも茶化さなかった。深く頷いて、分かったと言った。
「それで、できれば千年姫にも来てもらいてえんだが」
「わたくしですか? ですが……」
「魔眸が動いてるらしいってのは重々承知だ。だが、我が母ビノンクシュトがお前に会いたいらしくてな。何か気にかかることがあるらしい。ちょっと会ってみてくれねえか?」
 そう言われると断るのが憚れる。考えてみると返事は保留にしておくが、恐らく行くことになりそうだった。
 王の身は忙しかろうとアンバーシュを気にかけて、ナゼロフォビナは一度席を立った。彼の姿を見た途端、宮廷管理官たちが緊張する。決して直接目を見ないようにしているのは、恐らく顔を見ないためだけではなかろう。
 アンバーシュは腰を上げる。目を擦ってあくびをした。そういえば、この男はいちると同じように夜を明かしたのだった。食事する間もなく客人の相手をしていたに違いない。後ろめたいとは思わないが、周りが騒がしくて気の毒に思った。少し過ごしたいちるが目が回ると感じるのだから、常にそのような騒がしさに囲まれているアンバーシュはさぞかし疲れることだろう。
(それとも疲れを感じぬほど鈍いのか?)
「俺を見つめるならぜひ笑ってください」
 その顔は怖いと暗に言われたので目をそらしてやる。
「では、ティトラテス行きが決まったので、準備をお願いします」
[何者か分からぬ妾が紛れては赤子を腹に抱える女神が気を悪くすると思うが]
 それにナゼロフォビナの言葉が懸念になっている。いちるは魔眸に狙われているやもしれぬのだ。理由は如何にしても、弱体化している神の側にはいない方がいいだろう。
(だが、女神に来いと言われて行かぬわけにはいかんか)
 いちるは目をすがめる。
[とりあえず、自分たちのことを決めぬまま他所の婚姻を祝ってよいのかというところはあるが]
 あさってを見るアンバーシュ。
「……それを言われると痛いですねえ」
[国外を見ることはやぶさかではない。妾の目もあまり遠くまで飛ばせぬゆえな]
 しばらく見つめ合った。いちるが不機嫌に眉をひそめるまで続いたそれは、明らかにこちらの返答を予期していなかったために起こったものだ。
[何か言いたいことがあるのか]
「てっきり嫌がられると思っていました。でも、そういうことならよかった。うん、その返事は意外でしたが、どうやら俺はすごく嬉しかったみたいです」
 にこやかに。邪気なく。裏表もなく。楽しげに言われてしまい、若干毒気を抜かれてしまう。何より問題なのは、褒め讃える言葉や殺し文句に比べて、幾分かましだと思ってしまったいちるの心根だった。
「だったら、ちょっと頼み事があるんですがいいですか?」

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