体当たりされた扉が吹き飛び、巨体に踏みつぶされた。美しいステンドグラスにひびが入る。紗夜子は亜衣子から離れたところで銃を構え、焦げ付くような直感に歯噛みした。
(だめだ)
バックステップで銃弾を避ける。そんな方法で回避できるのは、テレサが無差別に攻撃に出て、理性を失い、狙いも何もない銃弾攻撃をしているせいだ。
(この銃じゃ無理だ)
きゃらきゃらきゃら、と化け物の笑い声がした。がらくたを集めた身体がうごめき震えて、内側から何かが現れた。紗夜子は総毛立った。現れたそれは、らんらんと目を光らせた鉄製のデスマスクだったからだ。
「ワタくシが、最強ノ個体……さア、蜂の巣ニシテあゲル!」
一飛びして、紗夜子は逃げた。庭として広がる森の中、木の幹がテレサの進行を鈍らせてくれる。阻まれるテレサが無造作に木を押し倒そうとする隙を狙って、紗夜子は隠れつつも引き金を引いた。
たーん、と音がして、テレサの右足が粉々に吹き飛んだが、それだけだ。
(急所が見えない。いくら私の銃弾でも、一発では仕留められない!)
それどころか、吹き飛んだはずの足が、別の金属でもって補われてしまう。造形にこだわらなくなれば、備蓄がある限り、彼女は無限に動作できるのだ。
木が邪魔すると判断したテレサは、刃物のようなものを生成し、木を切り倒して道を開き始めた。
にたぁ、と異形が笑い、紗夜子は発作的に身を翻す。
獣道にも似たところを走りながら、どうする、と紗夜子は破裂しそうな心臓を押さえた。
このままでは殺される。
こんなところで。
ここまで来たのに。
この拳銃では無理。だが屋敷には多少の武器があるはずだ。戻るべきだろう。
だが、テレサは確実に紗夜子を補足し、追ってくる。迂回して戻るのも難しく、武器を探す時間もないように思える。だが、確実性が高い方を選びたい。そう判断した紗夜子は、大きく迂回しながら屋敷に戻る道を選んだ。テレサが寸前まで迫ったが、小回りの利く紗夜子の方が足は速い。
すると、テレサが動きを止めた。と思った時、その背中から何かが激しい音を立てて発射された。
(なに……!?)
それは空を飛び、花火のような音を立てて、地上に降り注いだ。
巨大な炎柱が上がる。それは、紗夜子が今向かおうとしている方向に。
嫌な予感が頭をかすめ急いで森を抜けた、その瞬間、熱風が顔に吹き付けて息を止めた。赤い光がひらめき、その光景に立ち尽くす。
炎に包まれるタカトオの屋敷がそこにある。
薔薇があっという間に燃えていくのを見て、紗夜子は膝をつきそうになった。
「とう……さん……!」
記憶が、多いわけではない。愛着があるわけでもない。
でもここは紗夜子の家だった。高遠の家だった。家族の家だったのだ。
父の身体は炎に焼かれ、きっと残らない。亜衣子の慟哭が聞こえるような気がした。エリシアが悲しげな顔をし、ローゼット夫人が金切り声で紗夜子をなじった。炎は舐めるようにして庭へ、芝生へ広がっていく。煙で目がやられ、紗夜子は咳き込んだ。
きん、という音がして、何かが飛来した。咄嗟に避けたそれを確認する間もなく、紗夜子は再び森の中へ取って返す。背を向けなければならない痛みに顔を歪めたが、再び高速回転する何かが紗夜子に向かい、次の瞬間、足を取られて木にぶつかった。
見れば、後ろに長いドレスが、円盤のようなもので地面に縫い止められているのだ。思い切り手で引き裂くも、その喉を、木に押さえつけられた。
「うっ!」
その手は人間としての形を失い、蹄のようになって、紗夜子の喉を締め上げる。巨体が覆い被さるようにして紗夜子に近付き、奥底からあの顔が現れた。
「つかマエた! サア、ドうやッテ死ニタい? クビリ殺しマショウか、切り刻ミましょうカ、穴ダラけにシマしょウカ、ソレとも空中カら落とサレタい? ドレガいい、ドレガイイ!?」
あははは、とあのテレサからは想像もつかない邪悪な声が笑う。
捕まえられた衝撃で取り落とした銃を探したが、手は地面を掻き、地面を掘り出すくらいしかできない。思い切り爪を立て、地面を掘り起こし、その土をデスマスクに投げつけたが、笑い声は止まらない。もう一度投げた。涙が、止まらない。
(死にたくない……死にたくない!)
もがき、足をばたつかせ、手で地面を探る。掘り返した柔らかい土、木の根に触れるだけ。炎の光で目は眩み、黒煙の匂い、絶望の味が口の中に広がる。その一連の様をテレサはじいっと眺めて、にたにたと笑っていた。紗夜子は掴んだものを投げる動作を繰り返し、絶望から這い上がろうとする。
そうして、紗夜子は手に触れた何かをテレサに投げつけた。
「っ!」
カン! と音を立ててぶつかったのは、金属の蓋。
そして手は、何かを探り当てた。
――もう触り慣れた形、握りしめるそれを、テレサの顔面に突きつける。
紗夜子が構えたものに、テレサは目を見開き、次にげらげらと笑った。
「なアニ、ソレは! 玩具ジャないの。どコに隠しテイタの?」
ふー、ふー、と猫が威嚇するような呼吸をしながら、紗夜子はその銀色の何かの引き金を。
テレサが笑う、その顔に向けて。
「さようなら、サヨコ」
弾いた。
*
テレサがモーガンという人間と同じ姓を与えられ、仕事先として出向したのは、三氏として数えられる有力者サイガ一族のところだった。その場所のことを、テレサは暗闇でも反応する赤外線映像としてしか覚えていない。
【魔女】として与えられた使命――【女神】に従い、次なる【女神】となるべく自身を磨き、姉妹たちと戦い、都市の守護者となること。
それはテレサの中で最優先ではあったが、【魔女】を完成させた研究者たちは四人をとあるゲームの中に組み込むことにしたらしかった。
第三階層の有力者たちがそれぞれを所有し、【魔女】の生き残りと自らの覇権を賭けるゲームである。
ダイアナはそれとはまた別の理由で三氏の一人江上に割り振られていたが、エリザベスとテレサはゲームの前提のもと、それぞれ高遠、サイガにつくことになった。
まだ四人が研究施設にいた頃にダイアナの報告を聞いていたから、人と関わっていくということはどういうものなのだろうと考えていた。彼女のいる江上家の当主はまだ十代の少女で、それがかわいいと姉は微笑んでいたが、サイガ家には十代の子どもはおらず、代わりに、六十代の前当主と、その息子である三十代の当主とその家族がいた。
最初にこちらの顔を見たときの前当主、ウォースラの顔をテレサは忘れたことはない。
最初の仕事は、寝ることだった。
初めての行為にどうとも反応できず、接触として感覚するものは人間の女性と違ったはずなので、恐らくウォースラが望んだような反応はしなかったはずだ。涙が出るはずもなかったし、かといって快感を覚えたわけでもない。覚えられるわけがない。
だって、わたくしはロボットなのだ。
天蓋の、デフォルメされた星座の布を見上げながら、それでもこれは屈辱なのだと、テレサは理解していた。理解していたが、それでもどうともならないと悟った。
だって、わたくしは、ロボットなのだから。
それでもウォースラが以降テレサを何度も寝台に呼んだのは、まさしく処理目的だったのだろう。その目は好色そのものだった。
赤外線カメラの不明瞭な映像、そしてそれに関連する接触、相手の行動は完璧に記録され、忘却することは許されず、永遠にテレサの中に保存し続けられた。
汚れた身体を拭っていると、弱々しい風情の現当主の妻がやってきて、ほろほろと涙を流した。
「ひどい。ロボットにまで……」
そう言ったかと思うと、青ざめた顔で「今言ったことは決して誰にも言わないで」と懇願する。
「それは、あなた方も陵辱を受けているということですか?」
真っ白になった妻が答えだった。
何が起こっているのかをすべて悟ったテレサだったが、沸き起こったのは、この妻に対する嫌悪と怒りだった。相手が弱いということに不快感を抱いたのだ。
陵辱。自身の言葉は、己が辱められたと認めていた。
それは、テレサの中でくすぶりを生んだのだ。
ウォースラは心臓に持病を持っていた。飽食な老人にはよくある病だ。薬が手放せず、肉のついた醜い手で人類の英知たる薬剤を流し込む様は醜悪だとテレサは思っていた。
冬だった。部屋の室温は二十八度あった。冷やしたワインを飲んだ後、ウォースラはテレサに対してことに及んだ。そして、その最中に発作を起こした。
冷静に彼を観察した。乱れた脈拍、正常に機能しない心臓、血圧の上昇、肌の色の変化。そういったことをつぶさに観察し、思った。
弱い。わたくしを組み敷くことを当然と思うこの男でさえ、こんなことで死ぬのだ。
彼はすぐさま行動し、人を呼んだ。裸の肢体で処置を受けるウォースラを見送り、テレサはそっと微笑んだ。
人間は弱い。でも、わたくしは死ぬことはない。
勝ち続ければ、ああして醜い様をさらすことはないのだ。
勝ち続けていけばいい。そうすれば、わたくしは【女神】となる。あの男どころか、この世界の人類そのものを掌握する最強の存在になる。あの男に好き勝手できるようなものではなくなるのだわ。
危うく腹上死するところだったウォースラは、自信をなくしたのか隠居の形を取った。サイガ家には平和が訪れた――ように見えた。
気付けば当主の妻の身体には痣が増え、顔を腫らしていることも頻繁になった。子どもたちは劣悪で、動物を殺しては喜んでいた。
テレサは当主に呼ばれた。そして、そこで裸にされた。
彼は父親と同じことをテレサに行った。もてあそび、反応を強い、傷つけ、あざ笑い、好き勝手に扱って辱めた。
茫洋とした空白を感じながら、テレサは姉たちのことを考えた。江上のダイアナは、当主が子どもだと言ったけれど、その親類にこういう男がいないのだろうか。高遠のエリザベスは、当主はまだ精力的に活動できる男のはず、乱暴されていないとは限らない。ジャンヌは行方不明だけれど、人間にもてあそばれてはいないだろうか。
わたくしたちは、もてあそばれなければならない存在ではないはずだ。
もし、姉たちが自分と同じ状況にあるのなら。もし、この先自分たちと同じような存在が生み出されるとしたなら。
守らなければ、ならない。わたくしにはその力がある。
天蓋の星座が輝き、知らせた。テレサはその光に向かって呟いた。
「わたくしは、勝ち続けなければならない」
*
閃光。
光は爆発した。
静寂の中、その声が驚愕を呟く。
「ば……」
テレサががくがくと全身を震わせた。
「ばか、な……」
――巨体を、光線が貫通したのだ。
テレサの手が力をなくし、膝の上に落ちる。紗夜子は自分が構えたものをわけもわからずに見つめ、自分の手が探り当てた地面を見た。
玩具の銃、だと思った。
あのときはそうだった。
それは、いつか埋めたもの。
いくつもの記憶がよみがえり、あの夜の罪から、更にさかのぼっていく。夜の中を走る二人。エリシアの声。
『大人になったら開けるの』
タイムカプセル、と呟いた自らの声に、どっと涙があふれた。記憶は更に二人で駆け抜けた廃墟をもよみがえらせる。
『K……I……R、I……? よめないね』
紗夜子は息をのんだ。
かつて『すごい人』が当主だったという廃墟の屋敷。こんな代物を持っているような人物がいたところ。見たことのない銃は、きっと、その人が開発した……。
あの、屋敷は。あの銃は。
紗夜子は空を見上げた。
渦巻く雲の中央から、高い蒼穹が見える。光が降り注ぐ、その高み。
「トオヤ……!」
あれは、キリサカの屋敷だったのだ。
「……さ……よこ……」
テレサが小さく何かを言う。すると、テレサの身体はみるみる瓦解を始めた。手のようなものが見えた気がして、紗夜子はそれを掴んだ。引きずり出すようにして現れたのは、彼女の骨格である金属の骨組みだった。
瞼すら失ったテレサは、紗夜子を見つめて、笑ったようだ。
「おめでとう、あなたが、めがみ」
「テレサ」
「よげんをあげましょう」
拙い音声で、彼女は言う。
「あなたは、いきる。なぜなら、それしかないから」
紗夜子は目を閉じ、頷いた。
「ありがとう」
そう言ったテレサからは熱が消えていき、そして、ぱん、と呆気ないほどの音を立てて、彼女の頭脳は粉々になった。
紗夜子は立ち上がる。その時、地面に光るものを――『それ』を見つけて、胸に取り付けた。
きらりと光る、金色の小さな鋏のブローチ。
駆け出した。