次の日、ライヤは学校を自主休講し、アヤの部屋に入り浸った。二人の時間を過ごしても、パソコンをしたり、テレビを見たり、本を読んだり、映画を見たりと自由気侭に過ごし、そして、どちらも気がつけば窓と外をうかがっていることに気付いて、指摘し合った。
 昨夜、足に、ムービーファイルを保存したマイクロカードをしっかりとくっつけて、鳥型カメラはあの温室へと飛んでいった。パソコンで到着を確認すると、捕まえられたのか反応は途絶えた。誰かに捕まえられると自動的に電源が切れるようにセットし直したので、ブラックアウトした画面を見つめながら、きっと相手は電源の入れ方も分かるはずだ、と確信していた。
「来た!」
 アヤが声を上げ、あっという間にベッドを飛び出していく。裸足でベランダに出たのを、ライヤは毛布を持って追いかけた。
 ベランダの手すりで羽を畳んだ鳥は、アヤが差し出した手に止まり、アヤが掴んだ羽の電源ボタンで力を失った。その足をみた彼女は、輝く笑顔で振り返った。
「ライヤ! 返事が来たわ!」
 マイクロカードは、二人が取り付けたものとは違うものだった。興奮して熱を上げるアヤをとりあえずベッドに押し込んでから、膝の上に乗せたノートパソコンにカードをセットする。
 フォルダを開くと、ムービーファイルと、テキストファイルが入っていた。両方を開く。ムービーは重いらしく、なかなか開かない。
 しばらくして、静止した、温室の風景がぱっと現れる。
「温室?」
「再生するよ」
 ボタンを押した。

 それは、奇妙な映像だった。
 カメラは、テーブルに置いてあるのだろう。一番近いところにティーカップが映って、磁器のポットが右端に見切れている。ガラスのドームから降り注ぐ光で、その場所の緑は陰影を変えた。それが数分続き、突然、ポットが動き出す。カップにちょろちょろと紅いお茶が注がれ、右側から伸びた手がカップを持った。
 女の手だ、とライヤは思った。それも、多分幼い。自分たちと変わらない子どもの手だ。
「男の子だと思う? 女の子だと思う?」
 囁きかけるようにアヤが尋ねる。
「女」
「私もそう思う」
 そんな風に見るのに気を使うというのに、相手は何も言わない。咳払い一つ聞こえない。画面にはひらひらと蝶々が現れ、机に止まって、また飛んでいく。ティーセットは手が片付けていた。そうすると視界が開け、奥にベンチとベッドがあるのが見えるようになった。
「早送りする?」
「少しだけ」
 二倍速にするが、マイクが空気を拾うざわざわという音だけが続き、合間に鳥の鳴き声がしたくらいで、変化は見られない。
 やがて、二人は「あっ」と短く叫び、息をのんだ。
 手が現れた方向から、誰かが現れたのだ。きらりとこぼれた白色を、ライヤは光の加減だと思ったが、違った。
 それは白い少女だった。切ったことがないのではないかという長い髪をして、白いドレスを身にまとっていた。彼女はカメラを気にする風でもなく、奥のベンチに腰掛ける。その振り向いたさまに、ライヤは絶句した。
「なんてきれいな子……!」
 はっきりと分かる美貌だった。目鼻立ちも、まとう空気も、美少女と誰もが認めるものだ。学校の少女たちなどとは格が違う。第三階層者でも、こんな美人はいない。
 素直に感嘆を口にしたアヤを恐ろしく思う。目が吸い寄せられて離れない。
(気持ち悪い……)
 自分の気持ちを正直に述べるならそれだった。作り物めいた美貌にも見えるのだ。ただ、それだけに自分の思うままに動かしてみたいような、中身を暴き立ててみたいような気にさせる。ライヤは己の衝動を押さえつけるように、意識的に息を殺した。
 白い少女はベンチに腰掛けて本を読み始めた。それだけで映像は絵画めく。小さなウィンドウで再生されるそこは、美しい楽園なのだった。
「なんで喋らないんだろう」
「喋らないんじゃないわ」
「え?」
 アヤが画面を見つめながら、目を細めた。
「多分、喋れないのよ。きっと誰かが監視しているんだわ。ほら、見て。全然カメラを意識してないでしょう。彼女、きっとこのカメラをセットしたはずなのに、全然、こっちを見ない。意識もしてない。見られることに慣れてるんだと思うの。彼女が一人だとしたら、一人で喋っているのはおかしいでしょう。だから」
「……よく分かるね」
「若いお医者に毎日のように身体を見られるとね、そういう気分になるしかないの」
 意識するだけ無駄、ということなのか。
「……見られてるの?」
「もう。気にしないでちょうだい。私も気にしないようにしてるんだから」
 声の温度を変えて低く尋ねたライヤに、眉を寄せて叱るように言ったアヤは、自らの手で映像を再び倍速にした。首を傾けたり、身体の向きを変えたりして、一時間ほど流れる。そして、少女は本を置いてこちらに近付いてきた。
 流れるような所作で腰を下ろすと、カメラを見つめて、にっこりとした。言葉を失うような笑顔だ。かあっと首から熱が上がる。テーブルの上で揃えていた指を組み合わせて、顎を置いた。
「本当にきれいな子ね……いくつかしら。セシリアって書いてあったわよね」
 唇が動く。だが、声は発していない。
「分かる?」とアヤが見上げた。
「いや……さすがに読唇術は」天下の天才科学少年でも無理だ。
 また唇が動く。
「同じ動きね。え、あー? 舌が動いてるから……ラ行かな。……レター、とか?」
「当たりだ」
 ライヤの言葉にアヤは目を瞬かせる。
「ファイル。名前が『letter』だ」
 アヤは嬉しそうに頷いた。
「だったら分かったわ。つまり、詳しいことは手紙を読めってことね」
 映像の中の少女は、まるでそれに応答するようににっこりして、手を伸ばした。録画を切ったのだ。ファイルを閉じて、開いたテキストファイルを眺めた。
 書き出しは、『ライヤ、そしてアヤへ』とある。

『初めまして。
 誰かに手紙を書くなんて、初めてだから、失礼があったらごめんなさいね。
 メールでもなくて、直筆の手紙でもなくて、ファイルをやりとりするのって、なんだか不思議な感じがするわ。それが、伝書鳩ならぬ、機械の鳥が運ぶのなんて、なんだか時間が交差している感じがする』

「面白い文章を書く人ね」とアヤは笑った。

『お礼を言っていなかった。
 ムービーをありがとう。あなたたちはライヤとアヤと言うのね。
 あなたたちのことを少し調べました。ライヤはキリサカ家の、アヤはクドウ家の人なのね。調べたことに気分を害したならごめんなさい。接触が制限されていて、わたくし個人の秘密裏の交流となると、慎重にならざるを得ないの。
 わたくしのことはあまり多くは話せません。でも、ライヤはいつか知るかもしれないわね。キリサカの血筋なら、第三階層にあるあらゆる計画のことを知る機会があると思うから。
 アヤは病気だと言っていたけれど、わたくしも似たようなものなの。生まれたときからここにいて、外に出たことがありません。あなたにライヤがいるような、そんな相手はいないけれど、ここの生活に不満がないのは、きっと外を知らないからね。

 だから鳥が現れた時、思ったの。
 ああ、世界は変わり始めるのかもしれない――なんて』



 文通が始まった。空を駆け、データをやり取りする、奇妙な文通だった。
 長文のテキストを書き、映像を残すのはアヤの習慣になった。ライヤは、手紙は毎回書いたが、撮影にはあまり映らないようにした。外に出ないアヤはともかく、ライヤはキリサカの跡継ぎとしても顔を出しているし、セシリアに近い場所にもいる。万が一を考えて、あまり顔を出さないようにしよう、と思ったのだ。その旨はセシリアへの手紙で伝え、映り込むときには面を着けてみたり、かぶり物をしてみたりした。セシリアはそれを『ライヤは愉快な人ね』と笑った。
 セシリア自身も、映像を残すことはあまりなかった。監視されていると言いはしなかったが、そうであるというのは分かるようになった。彼女は自分の心情を書きはするものの、状況については描写しなかったのだ。どこにいて、何を食べた、誰に会った、何があったというのは一切分からなかった。
 時々、ライヤは彼女が架空の存在ではないかと疑っていた。
 しかし、その心を読むようにして、セシリアはタイミングよく映像を送ってくるのだった。

「ライヤ。お父様がお呼びですよ」
「んあ?」
 滅多に叩かれることのない自室のドアがノックされ、どうしたものかなと思考に沈んでいたライヤは漫画のような返事をしてしまった。
「分かりました、すぐ行きます」
 答えて、パソコンに向き直る。額を掻いた。
 キリサカの持っているパスワードで総督府の管理データを呼び出したはいいものの、あまり喜ばしくない文字が踊っている。総督府が認可した、あるいは指示を出した、無数のプロジェクトの概要書類だ。エデン設立時くらいまであるので、ざっと二百六十年分。その百年ほど前に提案された計画を説明する文書に、ライヤは困惑を覚えた。
 Sランク遺伝子開発計画。その関連事項としてリンクが貼られているのは、十数年前に始められた、純血計画という、Sランク遺伝子を掛け合わせるプロジェクトだ。
「そういうのがあるって噂は聞いてたけどね……」
 アクセス元を偽造し、呼び出したことすら総督府のサーバーから消し去って、ライヤはパソコンを切った。
 父の部屋の扉を叩き、開ける。
 父は言った。
「汚い」
「あー……着替えてませんから」
 起きて顔を洗っただけ。髪も梳かしていないし着ているものはジャージだ。学校に行っていないと知れるわけだが、キリサカ氏はそのことを責めるよりも、身だしなみの方が気にかかるらしい。着替えてきましょうか、と言うと「だったら最初から着替えてこい」と渋い顔をされてしまった。
「それよりも、これを」
 と差し出されたのは大きな封筒だ。総督府のスタンプが押してある。中からクリップで止められた紙束が現れる。白紙の一枚目をめくった。最初に飛び込んできた文字は「依頼書」だ。
 読み進めていくライヤの目が、すっと細くなった。
「研究機関が、お前を類を見ない天才と見てSランクと認定。その遺伝子を残したいと言ってきた」
「お断り! って言いたいですけど……無理ですよねー」
「研究機関は強硬手段に出るだろうからな」と父はため息をついた。
「愚息を天才と呼ぶか」
「才能があるのは自覚してますけど?」
「息子を異端扱いされて喜ぶ親がいると思うか?」
 思いがけなかったので、ライヤはぱちくりとした。
「やつらは体よく異端狩りをしているだけだ。やがて研究が度を超すだろうことは目に見えている。そのうち、大量殺人犯ですらSランク認定するだろうよ。そのうち化け物を生み出すようになるぞ、やつらは」
 手をひらりとさせて吐き出す父親に面食らっていたライヤだったが、噴き出した。この人は、やっぱり自分の父親だという実感があった。
「ならそうならないように気をつけましょう! 返事しといてくれます? 了承しましたって」
 キリサカは目を見張った。
「受けるのか」
「もちろん貰うものは貰いますけど。ただ、オレの身を切る価値があると思うんで」
 キリサカは、深く深く嘆息した。ため息が本業だと思うくらいだった。
「……あまり、アヤさんに思い入れるなよ」
 キリサカ当主のお小言に、ライヤは眉を跳ね上げただけだった。


      



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