光を覚えている。どうして『光』なんて言葉を使うようになったのかなど、覚えていないが。
 安っぽい、物語の言葉だ。『光』。光なんて言葉は、日常的には蛍光灯とか太陽とかを指す言葉で、人の多くが祈りを神頼みと呼ぶように、大勢の人間は、自分たちの思いの象徴にしたり、誰かを助けるための言葉にしたりなんてことはないのだ。そういう現実なのだ。世界はあまねく光に照らされているから。


 でも、だからこそ、光を見る者がいるのかもしれない。
 光を抱きたいと、光になろうとする者がいるのかもしれない。


 華奢な指先はグリップを握り、間断なく引き金を弾く。銃の性能さえ追いつけば、マシンガン並みの速さだ。攻撃は止まず、トオヤはシールドをいくつも使い捨ててその攻撃に耐えていた。
 床から髪をぞろりとさせて立ち上がったセシリアの手にはいつの間にか新しい武器が供給されるため、攻撃は止まない。懐に飛び込めばなんとかなると考えたが、ひっきりなしに弾を当てられては動きようがない。相手はもう四十近い女だ。生体義肢の左腕の出力を上げ、一発殴れば、動きは止まるはず。だが、相手の動きを止めようにも、シールドを展開させていては、自分の銃が使えない。
 シールドのプリズムが音高く割れる。新しいシールドを展開させた。残り三機。そろそろ動かねば。
 トオヤは義足の左足で後ろに跳躍する。とりあえず扉の向こうに退却しようと考えたのだ。
「っ!」
 だが、背中を打つ。思いがけない衝撃に息を詰めたが、次の瞬間右へ飛び、とどめの一撃を避ける。
 いつの間にか障壁を作っていたらしい。部屋には障害物がない。武器になるものはおろか、盾にできるようなものもないのだ。
(万事休す、か!?)
 すると、攻撃が止んだ。
『第五サーバー制圧。爆破完了』
 UGの特殊回線を利用した報告がイヤホンにもたらされる。
 セシリアは腕を下ろし、息を吐き出した。
「少し疲れたわ。最近すごく疲れやすいの」
「……歳じゃねえの?」
「かもしれないわね」と悠然と女神は微笑む。
 年老いても、セシリアは美しかった。美貌は損なわれず、時間が留まったかのようだ。ただ、不健康に痩せている。髪にもあまり艶はないし、その瞳は、曇ったガラス玉のような生彩のない輝きしかない。
『第四サーバー、第六サーバー制圧完了』
「お前、セシリアじゃないな」
「いいえ。わたくしはセシリア。ただ、セシリア本人の意識は半分ほど【エデンマスター】に組み込まれているけれど。大きくなったわね、トオヤ」
「殺すつもりのくせによく言うぜ」
「仕方がないわ。【女神】に反抗した者は殺さなければならないの。わたくしの意志とは関係なく、自動的にそのように周りが動いてしまうのよ。わたくしの最強の防衛プログラムね。でも【エデンマスター】はあなたを危険分子と認定したみたい。やっぱり、殺さなければいけないみたいだわ」
 にっこり言って、セシリアは銃を構えた。
『第三サーバー制圧完了!』
 次々にもたらされる制圧の報告。【女神】の機能は次々に削られているというのに、目前に立つ女神に衰えは見えない。トオヤは言った。
「紗夜子が来る。すぐに」
『第三副サーバー爆破完了。ただちに急行します』
『第七サーバールーム爆破完了です』
「ええ、きっと、すぐに。でもその前にわたくしがあなたを殺すわ。そうしたら、きっと、あの子はわたくしの跡を継いでくれる。紗夜子は〈聖戦〉を生き残った。次の【女神】は、紗夜子」


 その時耳に触れたもの。


『それ』は、交換されるUGたちの戦況の声の合間をすり抜けるようにして、強く、確実に。勝利を鼓舞する天使たちのように、天啓のように。まるで奇跡のようにトオヤの耳に届いた。

「……紗夜子」

 セシリアは笑う。
「トオヤ。本当に、大きくなった。あなたを殺したら、きっとアヤは怒るわね。だって、わたくしが【女神】になる時も泣いて止めたような人だもの。でもあの子は分かっていないの。世界は常に犠牲を必要とするのよ」
 声が変わる。冷たく、低く。
「エデンはいずれ崩壊する。このままでいればすぐに新生児が誕生しなくなるわ。でも、人はあまりに弱い。現代にはエデンの『外』の環境に耐え得る身体や能力を持つ者がいないのよ。もちろんSランク遺伝子を持ったわたくしたちも。まだ、時間が足りない。人が強くなるまでには……」
 母親のような口調で、きっぱりと言った。
「だからその時まで守ろうと決めたの。強くなるまで育てようと考えたのよ。わたくしにはその力があった。それをアヤは間違っていると言ったわ。何もできないのにね。彼女が語るのは夢物語と理想で、ベッドに縛り付けられたあの子は、いつまでもいつまでも美しい世界を語ったの。犠牲がない世界なんて、そんなもの、どこにもないというのに」
 嘲笑うような口ぶりだ。母が語った「私のリア」の本性はこれなのか、とトオヤは拳を握る。何度も繰り返し見せられた覚えのあるムービーには、清らかな少女が映っていて、子どもの頃からの親友だと母は言っていたのに。
「やり取りは、全部嘘だったのか?」
「わたくしもアヤも本当のことを言っていたはずよ。でもね、トオヤ。本当のことを言っても、分かり合えない人間はいるの。わたくしとアヤが見ていたものは違ったわ。ただそれだけの話」
 諭すような口調で言って、セシリアは首を傾ける。無邪気で、自分の心に正直であることを後ろめたく思うことがないのだ。
「あなたにはそういう人はいなかったのかしら」
「いたさ。親父だけどな」
 セシリアはくすっと笑った。
「そうね。あなたとライヤは合わないわね。でもあなたはライヤを認めているでしょう?」
 そうなのだろうか、とトオヤは考えてみた。こんなときに、間の抜けたことに。しかしよく分からなかった。こんな状況で考えるようなことではないとも思った。
「わたくしも」
 笑ったセシリアが引き金を。
「認めていたのよ」
 弾いた。
 だがわずかにトオヤが速かった。トオヤは手榴弾を投げつけ、同時に部屋の隅に跳躍すると、シールドの出力を限界まで引き上げた。

 閃光、爆音、衝撃。
 障壁が解除され、煙がどっと廊下に噴き出す。

「……っは……」
 一辺十メートルほどの部屋の中央に投げつけた爆弾が爆発し、例え最も遠いところでシールドを使ったとしても、熱風と衝撃は殺しきれなかった。顔は庇ったために無事だったが、義足の左半身が炎に熱せられたために燃えるようになり、実際の皮膚と接触している部分が強い火傷を負った。
 さすがのセシリアもただではすまないはずだ――【女神】でなければ。
 白い姿が見えたと思った瞬間、トオヤは踏み込んだ。

 右腕が打ち抜かれる。腕の中央部分を銃弾が貫き、血が飛んだ。
 左腕に持ち替えた銃。しかし手のひらを撃たれたことで取り落としてしまう。痛みに絶叫する声が脳内にこだまし、目眩の中でトオヤは右足を振り上げる。左足は跳躍し、煙の中から姿を現したセシリアに覆い被さるようにして飛び込んだ。
 セシリアの銃口は、トオヤの右足を打ち抜く。片方の支えを失って膝が崩れる。
 だが、倒れるわけにはいかない。
 血を吹く腕を振り上げ、手を伸ばす。風穴の開いた左手は腰へ。手榴弾に手を伸ばす。
 だが、セシリアがさっと腕を振り上げた途端、トオヤが腰回りに備え付けていた装備がすべて下に落ちた。
 踊りのような動きをしていた二人は、目を交わした。
 いつか地下世界のある場所で光の降る天井を見上げていた一人の女を、その光景を、トオヤは覚えている。その瞳が奇妙なほど暗く、寂しげであったことも。


 もしわたくしを目指すなら、トオヤ。わたくしの代わりに、あなたが世界を守りなさい。そして、わたくしを殺しにいらっしゃい。


 いつか見上げていた人の顔が、見下ろした位置にあって、トオヤは口元を緩めた。そして、聞こえるか聞こえないかの声、本当に囁いたのか分からない素早さで、言った。
「もう子どもじゃないんだ」

 強くなりたいと言ったがきじゃない。
 力を振り回すだけの子どもじゃない。
 セシリアを助けたいとはもう思わない。
 世界は守らない。
 殺したいとは思わないけれど、これが自分の選んだことならやってみせよう。
 トオヤの胸にあるのは、心にあるのは、もう、あの少女だけなのだ。

 セシリアが装備を切った刃物をひらめかせる。しかし、その瞬間動きを止めた。まるで足を止められたかのように、ほんのわずかに動きが鈍る。彼女の遠いところで、彼女の身体が引っ張られたのだ。
 それは、バックアップ機能を備えた【女神】の宿命。
 革命の中継やニュースサイトの更新、ソーシャルサイト、コミュニティサイトなどの閲覧、投稿でパンクした回線を復旧させ膨大なデータを復活させようと機動する、【女神】の慈悲が引き起こした事態だった。

 刃に、姿が映る。
 トオヤの背後から、飛び上がった者がいた。



 ――紗夜子。



 そして、聞く。耳から落ちたイヤホンから天から告げる声を。
「来たよ」と。


 髪をなびかせ、血で汚れたドレスをまとったアンダーグラウンドの【聖女】は、【女神】の頭上から銃弾を叩き込んだ。


      



<< INDEX >>