金切り声がした。発砲音が連続し、血を流した人間が路地裏から飛び出し、背後から一発を食らって倒れ伏した。広がる血に、通行人から悲鳴が上がる。負傷者の背中を踏みつけ、銃を持った男が現れた。
「舐めてんじゃねえぞ、こら!」
 踏みつけた男の襟首を掴んで、揺さぶる。
「俺は天下のUGだ。この世界を変えたんだぞ。お前らなんか簡単に殺せるんだからな! サベツすんじゃねーよ!」
 傷から溢れる血に気を遠くし、かすかに呻いてぐったりとする第一階層の男は、恐らくUGをこけにしたのだろう。UGだと名乗る男は、更に引き金を弾こうと、下種な笑いを浮かべながら足に銃口を当てて。

 ――ばきぃ! と右側、後頭部に入った左足の蹴りで、前へと吹っ飛んだ。

 身体を回転させるようにして降り立ったトオヤは、周囲に「救急車!」と叫んだ。路上駐車した車中で呆然としていたカップルが、慌てて携帯電話を耳に当てる。
 義足で蹴飛ばされた男は、くらくらと頭を揺らしながら起き上がろうとして、トオヤに襟首を捕まえられて悲鳴を上げた。
「お前、見たことあるな。……キラんとこのイワンだな?」
 引きつった笑みが浮かべられた。当たりだ。
「UGだったら、制裁方法は分かってるな?」
「す、すんません! 許してくださ、」
「うるさい」
 平手を食らわせると、歯が飛んだ。
「許されるわけねえだろうが」
 大人しくなったUGを駆けつけた警察に引き渡し、氏名を聞かれそうになったのをかわして、トオヤは歩き出した。
 エデン革命の立役者はUGであるという認識が広がったため、以前からと同じようにUGの名を借りて暴れ回る者の他に、UGそのものも、一部第一階層で無法を働く者が増えつつあった。開放感と、勝利に寄ったのと、自分たちがエデンの覇権を握ったのだという錯覚のせいだった。
 第三階層にもう【女神】はいない。彼らの守護は失われ、人は自らの身を自らの力で守る。それでも、虚しさが心に冷たく吹いた。
「……これが、UGの望んだエデンなのか?」


     *


 第三階層の白い墓前に、紗夜子は膝をつき、何分も何十分も、石に刻まれた名前を見つめていた。
 土の下、棺の中に、クウヤ・タカトオの遺品が埋まっている。遺骸は、【魔女】の火によって屋敷とともに焼けてしまったからだ。
 半年前、紗夜子は、亜衣子から一本のビデオを受け取った。それは、今時めずらしいアナログの、テープ式のビデオだった。
「お父様の最期が映っているわ」
 腫れぼったい目を化粧に隠し、亜衣子は言った。
「セシリアと会話して、銃を向けて、屋敷のセキュリティに撃たれたお父様の映像よ。ショッキングな映像だから気をつけなさい。なかなか渡せなくて、悪かったわね」
 データにできないアナログのものを使ったのは、【女神】の干渉を受けないためだろう、と亜衣子は言った。姉は、紗夜子が逃げてと言ったあの後、屋敷の中でこれを見つけ、更に高遠の物をいくつか持ち出してから逃げたのだという。
「お父様はあなたのことも愛していたわ……高遠家に戻ってこない? あなたの戸籍を復活できるわ。あなたの生活は私が保証する。あなたが高遠家を継ぐべきよ」
 第三階層の三氏であった高遠家の最後の一人になった亜衣子はそう言って口説いたが、紗夜子は首を振った。
「高遠家の当主という名前は、新しいエデンを動かす姉さんに必要なものだと思う。その名前で、元第三階層者をまとめて。姉さんになら、できるから」
「……そばにいてくれるだけでいいのよ」
 亜衣子はそうささやいた。紗夜子は笑ってもう一度首を振る。
「私はいつもこの街のどこかにいるよ。何かあったらすぐに駆けつけるから。だから、許してもらえるなら、タカトオを名乗ってもいいかな」
 もちろんよ、と亜衣子は言った。
 そして、何か言いづらそうに口ごもった。
「それは、姉さんが背負って。姉さんが、この街をいい方向に導くことで、二度とあんなことが起こらないようにして」
 姉ははっと息を呑み、泣きそうな顔を伏せた。
「……本当に、私にできると思う? お父様の代わりのようなことを……」
「同じものになろうと思わなくていいの。姉さんは、姉さんにできることをすればいいと思う。でも、すごく迷ったとき、あの人を――父さんを思い浮かべて。そうしたら、きっと、道が見えると思うから」
 紗夜子はそうして、半年かけてその衝撃的なビデオテープを再生することを決意した。それには残酷な映像が記録されていたが、それよりももっと意味のあることを教えてくれた。

 わずかにやつれた頬。美しさと精悍さの名残のある顔に、髪をフォーマルに撫で付け、いつものスーツに身を包んだクウヤ・タカトオ。
「あの子は息を引き取る前に私に訴えた……」
 ビデオの始まりは、告白からだった。

「エリシアは言った。『お父さん。お願い。あの子のこと、お願い。お父さん、さぁちゃんを、紗夜子を、助けてあげて。普通の女の子に、してあげて……』」

 その悲痛な声を、強い泣き声を。紗夜子は思い浮かべることができる。
 タカトオはビデオカメラを見つめた。画面を見つめる紗夜子とは決して視線は交わることはないのに、けれどようやく私を見てくれているのだと、そう思った。
 この人の胸の中には何があったのだろう。ビデオは残り少なくあと五分もない。沈黙とひたむきな目で彼はこちらを見つめている。語られる言葉はなく、彼とセシリアの過去や、思いや、悔いは聞こえない。
 だから、ああこの人は何も後悔することないのだ、と分かった。
 自分の思いを貫き、誰に誹られても我を通した。そうして、紗夜子が殺してしまったエリシアの願いを叶え、守ってくれたのだ……。
「生きていけ。誰を憎んでも、傷つけても、生きていけ。それだけが私たちの願いだ。私と、エリシアの願いだ――紗夜子……」
 ――彼は、娘のために戦ってくれた。

「おとうさん」
 呼べなかった名前を紗夜子は呼んだ。
 墓石は答えない。
「……えぃちゃん」
 もう一人の墓石に、ようやく呼びかけることができた。
 そして、戻らない時を思い、嗚咽を殺した。か細い鳴き声が春なのに冷たい風に消えていく。小さな声は、無数の墓石の中に沈み込むようにして、それぞれの石を悲しみで輝かせる。紗夜子は、ようやく悲しむことができるのだ。何故なら、この胸にある気持ちを正直に口にすることができる時が来たのだから。
「私は――あなたを、あいしてる」
 あなたは私を守ってくれた。
 エリシア。あなたは、私を憎んだでしょう。死にたくないと思ったでしょう。あの瞬間、世界中のどんなものより、私を憎悪したあなた。
 涙は熱い。

「それでも、あなたを愛してる」

 あなたのいたこの街に、生きていく。
 あなたたちの生まれた、この場所を守り続けるよ。



     *



 第三階層の展望公園には、すでに人が集まっていた。
 トオヤのコーディネートをするスタッフは、トオヤが頭に埃をくっつけているのを見て「どこに行ってたんですか!」と怒っていたが、さすがプロらしく、トオヤの汚れを綺麗に落とし、髪をきっちりと結わえて、スプレーで固めると、鏡に映る自分は若い実業家といった風情になっていた。少し髪が長いのが反感を呼びそうだが、別に見た目で警備をやったりキリサカの息子だったりするわけではないので、ほとんど切らずに来た髪である。
 トオヤは髪色を金から黒に変えることには折れたが、トオヤより地位のあるはずのジャックはドレッドヘアを後ろに束ねただけというスタイルで、もうそれがトレードマークだからとみんな諦めて認めているような節がある。実際、第一階層の若い世代からは強い指示があるようだ。数ヶ月前、会社面接にパンチパーマで現れた学生がいたというニュースが社会問題になったのは記憶に新しい。
 展望公園に行われる、新政府設置の記念式典には、エガミ氏とその姪ナナエ、タカトオの長女で当主となったアイコ、第二階層の代表者、UG代表のボスとライヤと、その息子であるジャックなどが揃い、三つの階層のSPにUGたちも交えて警備が行われている。インターネット中継するため、カメラが数台。そしてテレビ局のカメラが数台設置されている。
 時間が来て、トウイチ・エガミ氏が壇上に立った。司会役の官僚が、開会を宣言する。エガミ氏は軽く挨拶を述べると、ゆっくりと語り出した。

「エデン革命が起こって、ようやく一年が経ちました。失われたものによる傷も、血を流した傷も癒えることはないのですが、確実に我々は進んできたと思います。時間は流れ、我々は留まってはならないと信じて、こうして傷や痛みを抱えながら、エデンを続けてきました……」

 会場の奥の方に静かに座りながら、演説を聴いていたトオヤは、ふと、第二階層の代表者が落ち着かない様子なのに気付いた。研究者たちで占められた階層の人間だから、こういった場に慣れていないのだろうかと考えたが、何度も腕時計を見ている。そして、ため息をついて、椅子に座り直すのだ。
(なんだ……?)
 トオヤが気付いたのだから、UGたちも気付いているはずだ。

「新政府成立にあたって、まず、私は流布している噂について否定せねばなりません。私はエガミではありますが、【女神】時代と同じように、独占して都市を運営するつもりはありません。また、アンダーグラウンドの人々が独裁を行うということもありません。第三階層者は、政府や都市の運営といった面で長じており、第一階層やアンダーグラウンドの人々は民意という面で長じています。お互いがお互いの足りないところを補い、私たちにとっての本当の楽園を作り出すべく、こうして力を集わせたのです……」

 会場や、その周囲の状況に注意していたが、会見は滞りなく終了した。
 閣僚となる者たちが次々に挨拶を述べ、トオヤは番外なので会場の隅で待機する。「トオヤ」と小さな声で呼んだジャックに手を挙げる。その後ろにはエガミ氏がくっついてきていた。
「お嬢知らんか。挨拶の後、おらんようになってるんやけど」
「写真撮影をしようということになって、探しているんですが」
「見てない。探してくる」
「頼んだ」とジャックは頷き、エガミ氏は申し訳なさそうに頭を下げた。二人が動けないのは当然で、動ける自分が動けばいいのだからそれほどかしこまる必要はないのに、と思うのだが、話を聞くとどうもクドウ家の親戚に当たる人のようなので、仕方がないのかもしれない。
 顔見知りになっていたエガミのSPや、UGたちにも一応声をかけて、トオヤは展望公園を歩き回った。
 展望公園には温室がある。鳥かごを思い出すような造りをして、硝子張りに鉄格子を用いたものだ。こういう建物は第三階層に多かった。建築家にこういうものが好きな人間がいたのだろう。
 何気なく覗いてみて、トオヤは次の瞬間、扉を蹴り開けて飛び込んだ。
「大丈夫か!」
 猿ぐつわを解くと、「助かったわ」と七重は言った。
「ちょっとメイクを直しにいったら拉致されたの。杖を取られて困ったわ。あれに色々仕込んであったのに」
「第二階層か」
「その通り」
 振り向こうとしたとき、発砲音が響いた。トオヤは七重を庇い、入り口からやってくる第二階層の人間たちを睨みつけた。
「大人しくしてくれ。私たちは君たちを傷つける気はないんだ。ただちょっと、欲しいものがあってね」
「金か? 権力か」
 第三階層に溢れていた計画は、政府が公認し、予算を組んでいたものがある。それを見直して予算を削減したり、無駄な計画とされて取りつぶしになったものもあった。また、現在閣僚の椅子は全階層同数で構成されているが、声を大きくしたいがために多くの椅子を望むこともあるだろう。
「両方だよ」と第二階層者は言った。
(――やる、か)
 入り口は狭い。まだこちらを警戒して向こうは距離を撮っている。気持ちとしてはまだ怯んでいるのだから、襲いかかれば勝機はあるかもしれない。防弾チョッキを着ていないので撃たれるとかなりまずいが、左手足なら、何度か換えが聞く。
(……貯金崩さにゃなんねえかー)
 通帳の残高と、最近請求される父親の生体義肢等の医療費に頭を巡らせていると、銃口を突きつけられる。
「――タカトオの娘はどこへ行った?」
 七重がぐっと力を込めたのを感じた。
「何を言っているの」
「エデンを支配していた【女神】の娘、純血の血統者であり、世界を変革する娘はどこへ行った? 我々は彼女をみすみす手放す気はない。あの娘は世界の運命を握り、これからも握り続ける。彼女を手に入れる者こそ、真に世界の支配者となるのだ」
 トオヤは顔をしかめた。
「君たちはいい人質になるだろう。エガミの娘がいればエガミ氏は手が出さないし、キリサカの息子がいればUGの動きを鈍らせることができる。ナナエ嬢だけでいいと思ったが、いや、いい餌が飛び込んできてくれたものだ」
「…………ふっ」
 くっとトオヤは喉で声を殺し、しかし、殺しきれずに笑い声を上げた。喉を逸らし、腹を抱えて、大爆笑した。
「本当、お前ら変わってねえのな」
「なに……?」
「お前らがやろうとしてることは、お前らの先祖の科学者たちがやったことと同じなんだよ!」
 吐き捨てるように言うと、科学者たちは動揺したようだ。
「一人の人間に世界を背負わせて、自分だけ甘い汁吸おうってか? 笑わせるんじゃねえよ!!」
 銀色を持つ子どもたちやその親たちを廃棄した科学者たちは、自らの研究を隠匿し、エデンの罪をひた隠した。今、こいつらがやろうとしていることは、自らの都合のいい部分だけをむさぼろうとする愚の骨頂でしかない。
「臆病者め」とトオヤはののしった。
「てめえら、神を気取るんなら、俺が全部背負うくらい言ってみせろ!」
「お前……!」

 がうんがうんがうん!

 鳥かごのガラスが一斉に崩れ落ちた。トオヤは七重を庇う。粉砕されたガラスが背中に降り注ぎ、第二階層者たちは悲鳴を上げて逃げ出した。
 しかし、その逃亡の方向には、すでにSPやUGたちが待機していた。
 ディクソンの体躯を見て、科学者たちは一瞬怯んだようだが、情けないほどの大声でまくしたてる。
「た、助けてくれ! あいつらが私たちに発砲を……!」
「残念ですが、先ほどからの会話は、我々全員の耳に入っております。あなた方を反乱罪で逮捕します。……残念です。これで、新しいエデンの始まりは少し遠くなりました」
 連行される反乱者たちを見送り、無事を確認すると、トオヤは振り返った。
「やりすぎ」
「ごめん」と硝子を跨ぎ越えた紗夜子は舌を出して、銃をホルスターに収めた。


      



<< INDEX >>