射撃場は、深夜二時にもなるとがらんとし、人気がない。大方のUGが歓楽街へ繰り出したり、自分たちのたまり場に行ってしまうからだ。
 その夜、眠れなかった紗夜子はそこへ降りて、船を漕いでいた管理人を起こして道具一式を貸し出してもらい、ブースに立った。
 奥で起動音がし、人を模した的が立ち上がった。引き金を弾く。ぱんと乾いた音がして銃弾は人間でいう肩の当たりを撃ち抜く。二発目は首を掠る。うまくいかない。眉間の辺りに苛立ちが走ったのが自分でも分かった。
(みんなが戦うのは正当な理由のため)
 例え誰かを手にかける苦悩があっても、彼らには大義がある。紗夜子でさえ、エデンは間違っていると思う。大っぴらに言わなくても、口に出さなくとも、むなしさや疑問を抱いている人々は、第一にも第二にも少なくはないだろう。五年前の事件のように、立ち上がろうとした第一階層の人々がいる。
(私が戦うのは)
 この手で、こうして銃弾を打ち出している、理由は。
 愚か者が、と吐き捨てるあの目を。

 ――あい…………るわ。

「っ!」

 十発目の銃弾は的を掠りもしなかった。
 少し呆然とした気持ちで銃を降ろす。手は微かに痺れ、目には疼痛、肩にはだるさと、耳の中でわんわんと声が反響する。

「っ……」

 息を殺し、ほとばしりそうな声を抑える。ちらついた二つの記憶のうち、紗夜子に揺さぶりをかけたのは、父が紗夜子を呼ぶ代名詞にした言葉ではなく、紗夜子自身がいつも蓋をしていた記憶だ。
(どうして、今になって……)
 銀の光がちらつき、あの顔が浮かぶのだろう。紗夜子が倒したいのは、高遠であって、あの人ではない。
 あの人ではない――。

「肩に力が入り過ぎだ」
 弾かれたように見れば、トオヤがふらりと現れたところだった。
 足音を、全然聞いていなかった。これが本当の戦場だったらきっと呆気なく撃たれていたに違いないと、紗夜子は泣きそうな自嘲を浮かべた。感覚の鈍い手で黙って弾倉を入れ替える。射撃の腕はともかく、道具の扱いだけは慣れるようになっていた。
 麻痺して感じない硝煙のにおいは、きっと、部屋に戻ればこの手からするだと紗夜子は知っている。その手で食事を作り、食べるのだ。UGたちの衣服の洗濯をし、わずかな石けんの香りで誤摩化すのだ。
 手には、決して洗い流せない罪がある。
 トオヤは隣のブースに立ち、銃を片手で構えた。紗夜子のものよりも、ずっとバレルもグリップも太い、二三倍の重さはありそうな銃だったのに、その銃弾は引き寄せられるかのように的の頭を撃ち抜いた。
 頭を撃ったということに、震えが走った。トオヤが狙ったのは心臓ではない。心臓よりも、頭を撃った方が確実性が高い。そのことに改めて気付かされたからだった。そして、その確実性という己の言葉にまたショックを受けた。
 しかし、それでもトオヤの射撃から目を離せなかった。半分までまくった袖から伸びる腕。重さを感じさせない、トオヤと一体になったような銃。そして正確無比な銃弾。
 先日の思いが再び浮かんでくる。

 この人を知りたい。

 トオヤが撃ち尽くした。銃を降ろした時、聞いていた。
「トオヤは、なんで戦ってるの?」
 ジャックの言ったことと答えが同じだとしても、彼の口から、彼の思いを考えを聞いてみたかった。
「お前こそ」とこちらを見もせずにトオヤは言った。
「武器を手にすれば、戦う意志があると見なされて攻撃の対象になる。お前は、第三で英才教育を受けたわけでも、軍人でもないだろ。身を守る術すらよくも知らないくせに、どうしてだ」
「あの人が許せないからだよ」
 視線だけをこちらに向けたトオヤが、微かに目を細めた。
「あの人は、私を殺そうとした。いらない、けど殺せないから捨てて、結局邪魔になったから殺そうとしてる。そして私の友達を殺した。それをUGのせいにして、自分は悪くないって顔して、頂点にいる。私は、あの人が許せない。高みから人の命をもてあそんでいるのが許せない」
 捨てた上に、ついには、今になって紗夜子を殺させるあの男。
 もっと早くに始末すればよかったのだ。そうすれば、紗夜子は大切な人の存在を知らず、それを失う悲しみを知ることもなく、そこですべてが終わっていたはずなのに。希望を与えるような真似をして、高遠はそれをいきなり取り上げた。すがりついていた糸を高みから切り、紗夜子を深い絶望と喪失の闇へ突き落とした。
 あの男を上から引きずり落とせるならなんだってやるだろう。どれほどの思いで、自分が六歳からの約十年間生きてきたか。一方ではあの男の支配を受けずに幸せだった。だが、寒い夜、嵐の夜にどれほど震えたか。
 高遠は、紗夜子が、ナスィームとフィオナを失ったことすら知らない。二人の親友の名さえ聞いたこともないはずだ。
 看取ったナスィームはUGが密かにエデン郊外に運んで埋葬した。彼女の顔を、みんな穏やかだと言ったけれど、紗夜子には引き攣っているようにしか見えなかった。
 死にたくないと言ったその声がまだ耳に残っている。

「手足に銃弾を撃ち込むだけじゃ足りない……」

 震え声で呟く視界に、赤い色が見える。

「死にたくないと言わせて、震えながら死にたくないと叫ばせて、そうして殺してやりたい」

 逃げ惑い、死に追い詰められる恐怖。死に際の苦しみ。死というものが突如降りかかってくる恐ろしさ。思い知れ、と紗夜子は呪っている。
 言いながら顔が歪んでいた。トオヤの目は静かで、彼らUGの目的の大きさを知らせるけれど、紗夜子は彼の目に映る自分が今、どんな創作物よりも醜い憎しみの顔をしているのが分かったからだ。黒い瞳の奥底で何かを思うトオヤは、紗夜子を見定め裁定しているようだった。
 どうしてか足が震えた。思いがひとつ、浮かんだ。
 醜い私。醜悪な、憎悪の固まり。

(きらわれたくない)

 逃げ出しそうになって震えていると、トオヤは目を逸らし、「あそこに憎い相手がいるとして」と的を指した。
「撃てるか」
 他のブースに、射抜かれていない別の的があった。紗夜子はそこに立って銃を持ち直すと、両手で構えた。
 あそこに高遠が立っている。革靴で大理石の床を歩いてくる。階段を下り、紗夜子を見下ろす。いつも何も言わず、紗夜子が口を開くのを待っている。そして紗夜子がようやく何かを言うと、決してその言葉には答えてくれない。

 ――どうして、わたしなの。

 かっと全身に感情が走り、銃弾は打ち出された。
 だが、薬莢が落ちる音が響く中、紗夜子の前には無傷の的が、問いかけに答えるものなどいないと否定するようにして立っていた。
 呆然としながらどうしてという言葉が支配する。
(私の……覚悟はこの程度なの?)
 かつ、と音がした。トオヤの靴が向きを変えるときに床を叩いたからだ。その、的のある奥を見ている目が、今度は自分に向けられることに耐えきれず、紗夜子はトオヤの前を逃げ出した。
「……っ」
 階段のところに、いつの間にかジャックとディクソンが立っており、そのいたわる眼差しがあっても紗夜子は二人に声もかけることが出来ず、彼らを突き飛ばすようにして段を駆け上った。


      



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