全身が銃と化しているのなら、エリザベス自身は普段得意していた素早さを失い、小回りが利かなくなっている。そう気付いたUGが懐に飛び込もうとするが、ヘルメットに銃弾を当てられて昏倒する。
しかしその後ろから現れた金髪のUGが、その凶悪な手足を封じ込めにかかった。跳躍から振り下ろされたナイフ。エリザベスは躱し、足を薙ぐようにして銃弾を放った。
その目の前で虹の膜がくだける。贅沢に使い捨てられたシールドに阻まれたのだ。
きらめきの間を縫ってナイフが跳んだ。エリザベスの額をかすめ、鼻筋へと人工血液が滴った。その無理な動きが、首の関節を壊す結果になった。人形が首を折るようにして、エリザベスの顔は斜めに傾いたまま固定されてしまう。
UGたちの一斉掃射が再開され、人間として恐ろしい風貌のまま【魔女】はそれでも四肢の銃を撃った。銃弾はほぼ無尽蔵、体内のあちこちに内蔵された金属で生成される銃弾は、何故か鈍っているようにエリザベスは感じられた。時間をかければ弾は尽きる。もどかしい。
だが、UGの攻撃は時間切れを待つような女々しいものではない。
トオヤは我が身を省みず、身一つで【魔女】に躍りかかった。
エリザベスは右腕を振りかぶった。殴り、その勢いで、自分を脅かす腕を破壊するつもりだった。引き金を弾くイメージをする。回路を行き来する指示に従って、右腕の銃には自動的に装填が行われた。彼はシールドを展開するだろう。その盾は、エリザベスの右足の銃が腕もろとも砕くはずだ。
左腕、もらうわよ。
恍惚とした感覚に顔を歪めたとき。
「――……!」
その声を耳にとらえた瞬間、エリザベスは右腕の感覚を失う。
*
庭園の薔薇の色彩は、冬をイメージさせる色をしている。白い、あるいは銀色の空の色。明るくまばゆい色だ。季節が巡ればこれは赤や黄色といった強い色に変わる。
しかし、エリザベスにはその香りを嗅ぐことは叶わない。【魔女】は目を細めた。第三階層に吹く風に揺れる花を撫でる。
薔薇は美しい花。女王の花だ。華やかで、威厳があり、大らかで、気品がある。今はその季節ではないが、紅薔薇は高らかに笑う自分と同じように思えた。
白薔薇も嫌いではない。白い花が微笑むように思え、憧れに似た親しみを覚えるのは、白という色彩が自分たちの最初の家を思い出させるからかもしれない。
研究施設の白い壁。そこに集ったあたくしたち。それとも、あたくしたちが見た空かしら。
エリザベスは振り向いた。
「おかえりなさいませ」
庭の土埃で革靴を汚して、高遠家当主クウヤ・タカトオが立っていた。
迎えの言葉にも自身の【魔女】からも目を背け、別の方向を見ていた。誰よりも記憶がよく、人よりも正確なアンドロイドであるエリザベスは、そこにあるものが何なのか知っている。
風雨にさらされ、座られることのなくなった朽ちた白い椅子が五脚。
中途半端な数は、彼の家族の数と同じ。
五は三番目の素数。五行思想の数。感覚の数。身体の数。指の数。ある思想では不吉な数字であり、また別の思想である四代元素の第五番目は「神の息吹」の象徴。
「『誰』が五番目だったんでしょうか」
同じものを見つめながらの問いに、ようやく高遠氏がこちらを見た。エリザベスは答えを求めたわけではなかった。ただにっこりと笑った。信条とする花のように。
高遠氏の手は、ズボンのポケットに隠されたままだ。興味のないふりをしている。でも、心の中には様々な感情が渦巻いているだろう。
エリザベスは告げた。
「本日午後三時二十九分、第三区駅構内にてエリシアの生存を確認しました。【司祭】が急行しましたが、UGが出現し、交戦。出動した【司祭】三体の内、一体が行方不明です。また、戦闘後のエリシアの行方に確認が取れませんでした。しかし、どうやらアンダーグラウンドにいる可能性が高いようですわ」
「…………」
「まだ命令は有効でしょうか?」
高遠氏の出した『娘を殺せ』という命令は、まだ取り消されてはいない。
高遠は初めてエリザベスを見つめ、エリザベスはまたにっこりとした。大輪の薔薇のように。花は、揺れたとしても地には根を下ろしているから。
「エリシアを始末してまいります。これが、あたくしがあたくしの望む通りに行動できる最後の命令となるはずですから」
高遠は緩やかに目元に皺を寄せていった。
小さな声が、始まるか、と問うた。
「はい」
それぞれの道に別れたあたくしたちがもう一度集う。
次なる世界の始まりに向けての戦いが始まるのだ。
そうか、と高遠はひとりごちるように呟き、息を吐いた。それを聞くと、口をついていた。冷静であるはずの思考回路は、意思を告げなければと焼け付き、その答えを導き出した時、エリザベスはすでに口にしていたのだ。
「何も出来ず、申し訳ありません。あたくしにはこれしか――紗夜子を殺すことしかできないのです」
高遠は首を振った。
「感謝している……アレのことで、お前はかなりの便宜を図ってくれた」
「いいえ。仮初めなれど主に仕えること、それが、あたくしたち【魔女】の最初の任務でしたから」
「それから、この、庭のことも」
一瞬、視界がブラックアウトした。訳が分からず停止し、その不具合の原因についてエリザベスの回路が解明を始める。三秒にも満たない短い時間だ。
さぞや美しかったでしょうに。そう惜しんで言ったのは、六年ほど前のことだ。
研究員から高遠氏に引き渡されたヒューマノイド【魔女】エリザベスは、窓から望める朽ち果てた庭を見て呟いた。
エリザベスの脳内記録には、高遠家の景観を撮影した写真がある。四季の薔薇が咲く、小さなお城のような高遠家の屋敷。しかしその記録と、目の前の庭の姿はなかなか一致しない。
「庭師に世話をさせませんの?」
「余計なことを言うな」
ぴしゃりと高遠氏は遮った。
「お前が従順な【魔女】である限り、【魔女を】擁する運営者として、お前に様々な援助はする。だがそれ以上の干渉は不要だ」
「何故ですの?」
「何故? お前はロボットだ」
「その通りです。ですが、あたくしたち【魔女】は『人に近しき者たれ』と作られました。血が必要でしょうか? 肉が必要でしょうか? マスターは、あたくしの言葉に感じるものは何もありませんでしたか?」
エリザベスは初対面の人間に対応するサンプリングを多く持ってはいなかった。だからこその言葉だった。
「あたくしは知りたい。この世で最も美しいものを」
そして笑った。
「高遠邸の薔薇の庭は、写真で見たかぎりとても美しいものでした。お許しがあるなら、あたくしにあの庭を触らせてください」
高遠氏は気味が悪いという表情をしながら、注意深く相手を見定める鋭い瞳でエリザベスを見ている。エリザベスは真っ向からその瞳に対峙し、言った。
「どうぞ、あたくしに、人の喜びを教えてください」
――これは、よろこび。心が震えること。
ブラックアウトした視界が鮮明さを取り戻し、白い空を見上げさせる。肺という呼吸器官があるなら、きっと止まっていたに違いない。何かが、熱く感じられたが、それが何なのか分からなかった。
エリザベスは目を閉じ、首を振った。
*
撒き散らされる自身の金属組織を、エリザベスは冷静な目で捉えていたようだった。右足の銃が炸裂し、トオヤのシールドは砕けた。
青い瞳が、少女を映す。剣のような高潔さと、火薬の熱さで銃弾を撃ち出した紗夜子を。
トオヤはすでにエリザベスが決して近づけたくなかった距離にいた。エリザベスの口の動きすら読むことができる距離に。赤い唇が、呆然と事実を口にした。
「この距離では、撃てない」
トオヤの手に握られたナイフがエリザベスの右足に。間接部に突き立てられた。エリザベスの足の動きが軋んだ。
ばしゅ、と音がして、トオヤの背後からワイヤーのついたボウガンが発射された。それを皮切りに、様々な場所から鉄の縄が放たれ、突き刺さった矢から伸びるそれらが【魔女】の拘束にかかった。
エリザベスが歯を噛み、銃の左腕を近距離方向に向けたが、しかしトオヤがその腕に銃口を突き立て、引き金を弾いていた。
「――――!」
絶叫。痛みを訴える人間女性と何ら変わりない悲鳴だった。
トオヤが言った。
「両手両足が銃ってのは考えもんだな?」
伸び上がるようにしてトオヤがエリザベスの顔へと肘を叩き込もうとする。
双方の手がぶつかり合った。ナイフを刺された方の足が払われ、エリザベスはバランスを崩す。
そこに横から殴打。彼女は両手で支えようとしたが、破壊された右腕は機能せず、左腕はトオヤの手を止められなかった。アンドロイドで、組織が無機物であっても、その頬はまだ美しい女性の柔らかい肌のままだったようだ。
拳がめり込んだエリザベスは軽く足を浮かせて、やがて力なく身体を投げ出した。
「っ、く……」
鼻先に銃を突きつけられ、異形の足をすりあわせてUGを睨みつける【魔女】。
――UGの勝利だった。