サイレンが鳴り止む。
 辺り一帯は非常宣言であるサイレン音のために人っ子一人見当たらない。建物の影を縫って応戦できる機会を窺い、先走りすぎたか、とジャンヌは唇を噛んだ。
 同行者だったエクスリスには安全なところへ逃げるように言ったが、無事でいてくれるとは限らない。彼を地上に連れ出したのはジャンヌだった。イライラしていたのだ。捕縛した【司祭】は死に、小娘には娼婦と蔑まされた。だから餌になるつもりで地上に出ようとすると、エクスリスも同行すると言い出したのだ。それを止められたはずなのに、浮かれて地上に出てきたのはジャンヌの責任だ。
 彼は優雅に「気をつけて」と微笑んでくれたが、それが最期でないとは誰も言えない。UGであるジャンヌは、そのことを深く理解していたはずなのに。
 結局、ジャンヌが釣ったのは【司祭】ではなくその上の【魔女】だった。金髪が見えたから多分確認されているエリザベスだろう。【魔女】はどうやらジャンヌをUGをおびき寄せる手段に使うことにしたらしく、町中で突然発砲し、ジャンヌはエクスリスを守るために銃とシールドを使って応戦してしまった。その結果が、この追いかけっこだ。
 無線で情報は流したが、一人で保つかどうか。何せ、相手はすっかりこの地区を無人に変えてしまっている。軍が出動して、鼠を袋ごと爆破することだって可能なのだ。
 光のように走った直感で、その場を一気に走り抜けた。
 ばばばばば、と連続して地面を穿つ攻撃から逃れ、見晴らしのいい通りに出る。巨大な鳥のような影が地上を走ったかと思うと、目の前の車がひしゃげた。
 かつん、とハイヒールの足で車両を足蹴にする女が立っていた。
 ジャンヌは引き金を引いている。まるで演技するように【魔女】はそれをかわし、降り立ったところから更に跳んだ。ジャンヌが横跳びして銃弾を撃ち尽くしながら、停車して放置された車両の影に隠れると、その車のフロントガラスが砕け散った。
【魔女】は笑っている。近付き、離れていくことを繰り返す。遊戯じみたそれは悪趣味さを窺わせて、ジャンヌの口の中は苦かった。
 何かに引火したのか前方で爆発が起こった。一瞬の判断で身を伏せ【魔女】を窺ったが、相手は待ってくれなかった。ジャンヌは弾倉を取り替えて応戦する。耳も目も若干使えなくなってしまったのか、目眩がした。
【魔女】にも銃弾の制限はあるはずだが、ただ貯蔵量が半端なく多い。エリザベスは体内に無数の銃弾を備えているはずだった。それでもエリザベスは発砲を制限しているらしく、ジャンヌを苛立たせた。追い回され嬲られるのは趣味じゃない。仕事じゃないならしたくもない。
(撃つ気がないなら!)
 相手が近付いたと感じた瞬間、ジャンヌはあえて相手の進行方向に飛び出すことを選んだ。
 大振りのナイフを振りかぶる。
【魔女】は顎から首、背を逸らし、後ろへ倒立回転するようにしてかわした。機械の身体とは思えないほど、柔軟な動作だった。肉感的な太腿がタイトスカートから半分覗くのも構わず、長い足が泳ぎ、着地した、その瞬間、ジャンヌは持っていた銃のグリップで横から殴りにかかる。
 がつっ! 自身の腕の骨と、人工骨かもしくは精密機械の固まりがぶつかる鈍い音がした。お互いの手首の下辺りで力が拮抗する。【魔女】の押し切ろうとする力が加わり、激痛が走った。
 片方のナイフを振る。【魔女】が離れた。
 エリザベスは、味見したような唇をゆっくりと舐めた。
「驚いた。あなたの腕って超合金? あたくしと組み合って折れないなんて」
「さあ。あたしにも分からないの。何せ記憶がないからね」
 ふうん、と興味と無関心が同等くらいの相づちがあった。しかしもとよりジャンヌに話すつもりはない。
 同時に、地面を蹴った。
 だが。
(速い!)
 にいっと笑った女の顔のまま、【魔女】はジャンヌの喉を締め上げた。
 先ほどまではまったく本気ではなかったのだと、その握力で知れた。今だって本気ではないだろう。
 遊びの次元が違う。
「大群の蟻の一匹でも、減らないよりはましよねえ……」
 ぎりぎり、音がするのは絞められる喉か噛み締めた歯か。答えが出る前に終わってしまうだろう。頸椎をねじ切られれば、四肢や内蔵が人工でも意味はない。
 エリザベスが眉をひそめた。
「本当に頑丈ね? 人間なら普通……」
 いぶかしげな言葉が、止まった。長い睫毛に縁取られた青い瞳が、探るように、自身が握っている細い首筋に注がれていた。
 ジャンヌは、痛みとは違う別の感覚にびくんと身体を震わせた。
 ぴりり、と妙な刺激が感じられた。電気信号のような、脳に訴えかけるような、心地よく、でも、不快な。
 エリザベスが目を見開いた。
「まさか、あなた……!」
 不思議な声で呼びかけた【魔女】はジャンヌを取り落とした。大きく飛んで髪を振り払う。
 霞んだジャンヌの視界に、到着したUG先鋒部隊が見えた。



 離れたエリザベスが取り落とし、地面にしたたかに身体を打ち付けたのが、先ほど言い合いをしていたジャンヌだと紗夜子は気付いた。一人で応戦、と聞いた報告がよみがえり、助けにいかねばと焦りが汗にもなって滲んだ。後ろで急行したUGたちがトオヤに、この地区をすでにエデン軍が囲んでいることを報告している。
「ジャンヌ救出後、即時離脱。いいか」
 無線でトオヤの指示が渡り、了解の声が上がる。
 トオヤは紗夜子を睨みつけた。
「お前はここで狙撃、援護。なるべく移動はするな」
 すると、エリザベスの声が響き渡った。
「ようやく出てきたわね、小兎ちゃん!」
 そして、UG防衛ラインとなるシールド装置が起動された。巨大なプリズムのドームが紗夜子たちを覆う。銃を携帯した十人ほどがその外側に飛び出した。
「掃射!」
 発砲による無数の閃光。鼻につく硝煙。目も鼻も耳も利かなくなる戦場と化す。
 エリザベスは難なく弾幕をかいくぐると、跳躍し、先頭に出ていた狙撃手を蹴り飛ばした。直後、大きく後ろへ跳躍し、落下してくるような銃弾を避けたかと思えば、再び地面を蹴って滑るように懐へ潜り込むと、その華奢にも見える拳をUGの顎へと叩き込んだ。
 仲間がいる周辺で銃を使うのは同士討ちを誘われる。先鋒がシールドの内側へ下がり、それまでにエリザベスと距離を取った応戦ポイントに到着したUGたちが攻撃を開始した。
 紗夜子は銃を握り、攻撃に備えていたが、発砲音が、誰かのうめき声が上がるたびにびくついていた。エリザベスが縦横無尽に動き回り、こちらへ近付いてくる恐怖のためだけではない。まだ、震えていた。

 未来を描いていないと言われた。
 でも、描けるわけがないだろう。
 誰かを殺して、誰かの敵になって、戦わなければならない現実は、未来で自分が死ぬことを覚悟することなのだから。裁かれるべきで、罪の意識もなく生きていいはずがない。

 UGたちは次々に倒れていく。エリザベスはきらきらと光を振りまくように身を翻し、髪をなびかせ、踊るようなステップで空中にまで跳んだ。そして、その輝く青の瞳で紗夜子に問う。

 戦っているあなたは、本当に正義なの?
 エデンに逆らって生きていけると思うの?
 でも、あなたが戦わなければこの人間たちは死んでしまうわよ?

 嘲笑う声、侮辱の表情。紗夜子の覚悟をなぶる。
 かっと頬に血が上る。
 動き出したかった。前へ出て、思い知らせてやりたかった。でも動くなと言われたからには、紗夜子に行動する権限はない。
 それを分かっていて、紗夜子を揶揄するように、エリザベスはカメラ装置となる青い瞳の照準を合わせてくる。

「お前なら、撃てる」

 肩に手を置かれた。
 火薬と煙で世界は曇り、止まらない攻撃の音がする中で、声は静かに紗夜子にささやいた。
「けど、忘れるな。お前は、これから、戦い続けることになる。エリザベスを破壊すれば、戦いが終わらないかぎり、お前はUGとしてエデンから追われる。光の下を歩けず、一生地下暮らしかもしれない。無惨な最期を遂げるかもしれない」
 トオヤが肩から手を離した。大口径の銃を渡され、弾を込めながら、背中越しに告げた。

「それでもいいなら、撃て」

 そして叫んだ。
「シールド解除、三秒後に再起動。動けるやつは援護を!」
 泡のようなプリズムが晴れた。空気が動き、風が動いて渦を巻いた。
 トオヤが跳躍した。
 機械の左足が踏みしめた地面が割れる。遅れてマシンガンを携帯した数名が援護に続いた。
「ご機嫌よう、綺麗なUGさん。また会えて嬉しいわ!」
 その宣言とともに、エリザベスの肩が膨れ上がった。
 皮膚を突き破るようにして巨大な筒が植物のように一斉に生える。その金属製のものたちは生きているかのように、きちきちと嫌な音を立ててぶつかりあった。金のマントのように降りてきて、地面に重くぶつかったのは、連なった無数の弾薬だ。
 宝石の代わりに弾薬で飾った、金属製の外套を肩にかけ、【魔女】エリザベスの真の姿が現れた。
 トオヤは瞬発的にエリザベスの頭を飛び越え、銃弾を叩き込む。その姿もまた、恐れを知らない若い獣のような澄んだきらめきがある攻撃だった。
 だが、様相を変えたエリザベスの装甲は、もうそんな弾丸で動きを止めるようなことはなかった。
 ばおん。軽い花火のような音がして、巨大な弾丸がアスファルトを穿つ。滑らかな肌をしていたはずの足が機関銃と化し、周囲の建物を巻き込む形で一斉掃射された。ガラスが粉砕され、雨のように降る。UGたちはシールドを使い捨てる。


 防御装置の内側、傷病者のそばに膝をついて応急処置を行っていた紗夜子は、再び起動を行ってじわじわと構成される虹色のあたたかな膜の中で顔を上げ、雨雲が集まっているせいで急に闇を増した視界の中、小爆発する銃の光が道の先にきらめくのを見た。
 闇の中の光点。
 そこには、トオヤがいた。

 その時、覚悟は、いつの間にか決められていた。


      



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