Stage 04 
      


 紗夜子たちが仲間たちの元に辿り着いた時、かれらは、外界からやってくる襲撃者を迎え撃つべく行動を開始していた。
 声は殺され、足下を鼠でも這おうものなら即座に撃ち殺す、そんな緊張感に紗夜子はごくりと息を呑んだ。高いところで唸る換気用ファンの音に混じってぼそぼそ聞こえるのは情報を伝える声。紗夜子の前にいたトオヤが動いた。低い声と早口でそこにいたUGに状況を聞いている。
「お前の出る幕ははないぞ」
 口調に反して鋭い声に紗夜子はびくりとした。
 トオヤが話を聞いている相手は、紗夜子も見たことのない壮年の男性だ。零街を行き来している多くのUGは二十代から三十代の若者が多く、四十代後半か五十代くらいに見えるその人物はめずらしく映った。
「ハクエン!」
「現在先鋒部隊の指揮権は本部に移っている。本部を飛び出した不良息子なぞに指揮権はくれてやるなとさ」
「っ……!」
 トオヤは怒鳴った。
「あいつの言うことなんて聞くなよ!」
 幼すぎる言いように、それまで厳しい顔をしていたハクエンと呼ばれた男性はにやりとした。
「吠えるな。でもまあ俺の指揮下には入れてやる。ちっこい頃世話してやったよしみだ。お前の能力は分かってる。状況、聞いてこい」
 トオヤは泣き顔のようにきつく眉を寄せたまま、走っていく。
 それを見送って紗夜子はぎゅっと手を握った。
(【魔女】が、来る……)
 逃げられない、何者からも、自分からさえも――エリザベスのこの『予言』は、一体どういう意味だったのだろう。紗夜子は逃げていない。立ち向かおうとしている。なのに、何から、逃げているというのか。
 これからやってくる【魔女】は、エリザベスと同じ呪いの言葉を吐くのか?

 ぞわり、と目の奥、頭の内側で何かが蠢いた。見える世界に影が生まれ、黒い色が浸食していく。ざわめきが、言葉を持たないただの音に変じた。色が見える。赤い、色。

『お前の名は、』

「紗夜子」
 揺さぶられた気がして目を上げると、トオヤがきつく眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。途端、せき止められていた汗がどっと噴き出した。冷たかった。呼吸が忙しなく、自身の体温が熱いのか冷たいのか分からなくなっていたのを、ゆっくりと手を握り開きすることでコントロールする。
「……何?」
「お前は零街に戻ってろ。【魔女】が来たっていうことは、多分お前を狙ってる」
「……私を?」
 一体何の目的で。まさか迎えにきたとは言うまい。だとするなら報復か。
 紗夜子は小さく頷き、了解を示した。
「コンピュータールームのパソコンで、AYAにメールしてこっちの様子カメラで見られるようにできるから。ちゃんと守ってやる。心配すんな」
「いい加減なこと言うなよ、トオヤ。お前に指揮権はないって言ったろうが」
 とハクエンが向かってくる。呆れ顔を引き締めて戦闘員に向き直った彼は「要求は?」と尋ねた。明らかでない、という答えだった。


     *


 マシンガンが連続的に銃弾を撃ち出す。咄嗟の応戦で比較的軽装備のUGたちは、狭い通路で入れ替わり立ち替わり、銃弾を最大限装填した銃を手に現れる。
 だが、前方からローヒールをこつこつと響かせてやってくる、ストライプスーツの女の手にある大口径の銃が、彼らを的確に戦闘不能状態にしてしまう。
 光の下に引きずり出された地中の虫のように苦しみ悶えるUGたちを、女は長い足で悠々とまたぎこして、ついにその扉の前まで来た。
 何の変哲もない扉だ。注意書きも、落書きも見当たらない。これを見ただけでは何に繋がっているのか分からない鉄製の扉を前に、戦闘能力の高さに似合わない愛らしい様子で、彼女は首を傾げた。そして、不意ににっこりした。
 扉の脇の壁を押せば、十二個のボタンがおさまったへこみが現れる。それを踊るような指先で押せば、鉄の扉はあっさり、この美しく異様な女に道を開いた。
 地下からの風が吹いてくる。しかし、そのにおいを彼女は感じ取れない。けれど、きっとかび臭いのだろう。こもった地中と、闇のにおいがするのだろう。底へとうねる道を前に、女は呟く。
「迎えにきてくれないのかしら? わたし一人に相手をさせるなんて、男ってずるいわ、本当に」
 一人ごちた唇を舐めると、ヒールを鳴らして地下へと降りていく。薄闇に包まれた階段の先、踊り場の蛍光灯が不安定に瞬いており、視界が不安定にぼやける。階段の前に立つと、彼女は足を、下ろすのではなく高く持ち上げ。
「っ――!!」
 数メートルはある踊り場へ一気に飛び降りる。踊り場から更に向こうに身を潜めていたUGたちは、文字通り降ってきた女にぎょっと息を呑み、素早く銃口を向けるが、ぴんと爪先まで伸ばした美しい足が軽く蹴り跳ばすと、後続もろとも吹っ飛んでしまった。奥に待機していた戦闘員がほんの一瞬怯んだ瞬間、懐に飛び込んだ勢いのまま肘を叩き込み、手のひらで防弾のゴーグルを割った。
 そのまま後ろへ昏倒する男の襟首を掴んで引き寄せ、自分の前に持ってきたことで、UGたちは声を殺し、彼女を睨み据えた。人間の盾を手に入れた侵入者は、何者も脅威と感じない声で言う。
「あなたたちに危害を加える気はないわ。わたしの要求はひとつよ。だから銃を下ろしてくれる? わたしは、」
「何故侵入できた」
「……人の話を遮ってはいけないと教わらなかったの? わたしが話をしているのだから、最後まで聞いてちょうだい」
 踏みとどまれたのは数人だった。柔らかな声に隠された強い力に、すでにUGたちは呑まれてしまっていた。
「【魔女】……」
 二人目の【魔女】はピンクルージュの唇で微笑んだ。
「サヨコ・タカトオと話をさせなさい。彼女を連れてくるなら、わたしはアンダーグラウンドに攻め込んだりはしないし、UGと敵対することもないでしょうから」
 気を失っている盾を掲げると、【魔女】は銃口の囲いを突き抜けて歩み始める。美しい女性でしかない背に銃を向けたUGたちに、彼女は少し振り返って楽しそうに目を細めた。無数の銃口に囲まれ、彼女の退路は閉ざされつつある。
 武装集団が侵入者に道を譲り、なのに銃口を向けている光景は異様だった。それも相手は金髪に青い瞳をした美貌の女であり、その細腕一本で大の男を、足が浮くほどに掲げている。
【魔女】は注意深く通路を抜けた。その視界に、黒く光るものが捉えられた。


「止まれ」
 機関銃の群れが【魔女】の行く手を止める。「あら」と女は笑った。
「あなたがトップなのね。かわいいUGさん」
 トオヤは鋭い目をしたままだった。【魔女】は最初からトオヤを見ていたのだ。通路を抜ける時から、彼女は最も近距離にいたトオヤを補足していたに違いなかった。
 トオヤはがりがりと頭を掻く。
「『かわいい』、な」
「気を悪くしたならごめんなさい。あんまり綺麗な顔をしているから」
 毒気を抜くような笑顔に、トオヤは顔をしかめる。軽く息を吐き、銃を下ろした。
「トオヤ!」
「交渉するのに銃はいらないだろ」
 注意と抗議の声をあげるUGを振り返って言ったトオヤに、【魔女】は目元を緩める。よく笑うのか、目元や口元に刻まれた皺は、どう見ても人間の皮膚にしか思えない。それが姉か母親かという顔で笑うのだから、トオヤが敵意を失うのも無理はなかった。
 紗夜子は膝の上で手をぎゅっと握りしめていた。例え人のようであっても、【魔女】が攻撃してこないとは限らないのだ。事が怒れば接近戦になるのは確実で、最も危険なのはあの人質とトオヤだ。
 モニター越しに見える光景に焦る。薄暗くてもはっきり見える交感度のカメラなだけに、触れられないことがもどかしく、今にも駆けつけたいと気が急いてしまう。
(トオヤ……)
「俺はトオヤ。あんたは?」
「わたしは、ダイアナ。『二番目のダイアナ』。人として名乗る時はダイアナ・ロヴナーと名乗っているわ。どうぞよろしく、トオヤ」
 エリザベスほど妖艶ではなく、爽やかな印象の短いヘアスタイルのブロンドと、好奇心を秘めたような青い瞳、印象のいい優しい雰囲気を持った美しい【魔女】だった。だが、彼女は片手で人質を持ち上げた。ゆさりと装備が音を鳴らす。
「さあ、お仕事のお話をしましょう。わたしにも都合や仕事というものがあってね、突然の訪問は悪かったと思うけど……」
 トオヤから堂々と視線を外す余裕を見せて、ダイアナは周りを取り囲むUGをぐるりと見回した。
「サヨコはどこ? 会わせてちょうだい。話があるの」
「ここにはいない。他所で待機させてる」
「本当? 探すわよ」
 言った途端、動くなと制止するように銃口が向け直される。その黒い光を少女のような目で笑っていなし、ダイアナは全方向の囲いを見た。輪の中心を取り囲むUGは、ゴーグルにヘルメット、防弾チョッキという装備で、身体の大きさは把握できるが顔の判別がつかなくなっている。円の外側にいるUGも、顔を識別されないようにするためか帽子やフードを深く冠っていた。トオヤだけが素顔を晒し、堂々と【魔女】と対峙している。
 ダイアナはゆっくりと、今は向こう側の人間を観察している。
「サヨちゃん」
 飛び上がる。ジャックが廊下から開いた扉のこちら側を見ていた。こつり、と足音がする。
「ジャック! どこにいたの、今大変なことが起こってて」
「うん、しばらく本部に呼ばれとった。状況も分かっとるよ」
 ほっとする。画面に向き直ると、ダイアナはまだ紗夜子を探している。
「トオヤ、大丈夫かな。私、行かなくていいのかな……」
 歯を食いしばってモニターに見入る。
(でも、守ってくれるって、言った……)
 だったら信じるべきだ。信じよう。
 ここにはジャックもいる。だからきっと大丈夫だ。ふと、そのジャックの息づかいが聞こえないことに気付いた。ジャックはきっと誰かからの指示で自分の警備をしにきてくれたはずなのだと思い、こちらに来てモニターを見ればいいのに、と紗夜子が振り向いた瞬間。

 闇の中から蛇の手が伸びた。

「ぅ!?」

 頬から頬にかけて口を覆った手は、目を見開いた紗夜子をデスクとパソコンにぶつけた。脇腹と背中を打ち、痛みに顔をしかめうめき声が漏れた。それがあまりにも痛そうだったのだろうか、ほんのわずかに手が緩んだとき、紗夜子は反撃に出た。自身を押さえつけようとする手に爪を立てると、足をめちゃくちゃに動かして相手を蹴飛ばした。

「ジ……っ!」

 どうして。彼が、こんな。
 机の上に放置されていたジュースの瓶や缶が落ちる。機器がなぎ倒され、モニターが倒れ、マウスは机からぶら下がる。紗夜子がもがいた手が書類を押さえ、それが滑って床に散らばった。

 嫌だ。
 足手まといになるのは、絶対にいやだ。

 ちき、と音がした瞬間、紗夜子は涙目で彼を見上げた。口は押さえられたまま、きつく閉じた目から涙がその長い手の上にこぼれ落ちた。


      



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