土を、掘っている。汗を流し、息を切らしながら、指を土で汚し、石つぶてで出来た傷から血を流して。傷に土が染みる。ちりちりと火花のような痛みが視界を明滅させ、それでも、地面を掘っていた。そうして、これは一体何のための作業なのだろうと考えた。
何か宝物が出てくるのか。それとも何かを埋めるのか。埋まるのは何だろう。埋まっているのは。
かつんと爪が何かに当たる。そこに光る白いものを大事に取り上げ、紗夜子はひっと息をのんだ。
銀に光る刃からは、たった今何かを傷つけたように赤い鮮血が滴り。
その紅は、土塊から顔をのぞかせていた頭蓋骨に花開くように落ちる。
血と骨が奏でた硬質で冷たく響く美しい一音を、紗夜子は聞いた。
目が覚めると、美しい装飾の天井が広がっていた。数秒緩やかに瞬きをし、次の瞬間息を詰めて素早く起き上がる。自身が寝かされていたベッドを飛び降り、裸足のまま扉に飛びつく。扉は紗夜子の体当たりを受けてがつんときつく痛い音を響かせ、ノブは力任せに引っ張られるまま、だがあっさりと開いた。
一歩外に出て、広がる景色に躊躇したのは一瞬だった。吹き抜けの円塔になったそこを奥へと走り抜け、見つけた階段で下へと駆け下りる。敷き詰められた柔らかい絨毯を裸足で踏み、玄関ホールに出ると大理石が冷たく感じられた。転ぶように扉を開けようとしたところで、何かが降ってきた。
かん! と木が鳴るような音がした時、紗夜子の前にはダイアナが立っていた。
「起きたのね」
紗夜子は答えず跳躍した。
しかし、靴も履いていない、足裏だけの蹴り技には威力もない。ダイアナは下半身を決して動かさず、腕のみで紗夜子の蹴技をさばいてみせた。その手から、ぱりり、と破裂音がした瞬間、危険を感じて距離を取ると、女は光る両手を合わせて優雅に微笑んだ。
ダイアナの手は、恐らく電流が流れるのだ。触れられれば、またショックを与えられて気を失ってしまう。
紗夜子は離れたところで息を切らして【魔女】を睨みつけていたが、次第に力を失ってへたり込んだ。
目の前が点滅する。急に起き上がったために目眩を起こしたのだ。片手で目を押さえながら忙しなく息を吐く。顔が歪んでいるのを自覚した。怒りと、悔しさで、今にも泣き出してしまいそうだった。
「――ダイアナ」
そのとき、神経質そうな女性の声がした。
顔を上げる。二階の手すりの傍に、誰かがいた。見上げると、目がくらんだ。天井窓から差し込んで円を描く光が吹き抜けとなった廊下を暗く映して、声の主がよく見えない。
「ナナエ」
「その子なの?」
笑顔になったダイアナには答えず、声は更に気難しそうな響きを持って、紗夜子を指した。声に含まれる不快感とわずかな敵意に、紗夜子も警戒を持つ。
「だれ」
相手が鼻で笑った。
「ここがどこなのか知っていてそう問うなら、あなたは馬鹿ね」
紗夜子は相手を睨んだ。自身の腹立ちを表現しても構わない相手だと判断したからだ。
「来たくて来たわけじゃない」
少し沈黙があった。次の瞬間流れたのは、意外にもわずかに解けた感情の吐息だった。
「……ええ、そうでしょうね」
(……笑った?)
苦笑に近かったかもしれないが、少し見直したような声だった。それを見計らっていたらしく、ダイアナが声を上げる。
「待って、今行くわ。……よいしょっ、と!」
ダイアナが腰を落とした、と思ったらばねのように飛び上がった。かん! と響いた先ほどの音が、ローヒールと大理石がぶつかる音だと知る。ぎょっとした紗夜子を他所に、ダイアナは二階に難なく降り立っている。続いて、きりきりした声が高く響いた。
「あのね、この世には階段という便利なものがあるのよ」
「だって、手間だもの」
「機械が拗ねてもかわいくないわ。あなたもわたしの【魔女】ならもう少し落ち着きを見せてちょうだい」
(なんか変な会話だな……)
友達のような家族のような。主従のようでいてもっと近い。そういう会話だ。エデンを支配しUGと敵対する【魔女】がするような会話ではない。
「そういう人外なところ、わたしは嫌いよ」
「ごめんなさい」
ダイアナはしゅんと肩を落とし、ため息が聞こえた。
やがて声の主が奥から現れた。紗夜子は驚いた。
栗色の髪をボブにし、化粧気のない顔は目鼻立ちがくっきりしてとてもかわいらしい女性だったが、目元がきつく気が強そうだ。歳は紗夜子よりいくつか上だろう。フリルのついたブラウスは派手だが、下は飾り気のない黒のスカート。見た目は第一階層のどこにでもいるような女の子。よく言っても多少裕福な家の子どもという程度のシンプルな姿だった。
右手首には大きなバングルがはめられており、そこから地面に向かって伸びる杖が、彼女の足を三本にしていた。ダイアナが後ろに控え、彼女が中央の階段を下りるのを見守っている。
杖を使って階段の半ばまで来た彼女は、そこで足を止め、紗夜子を睥睨した。
「あなたがタカトオの娘ね」
上からの言葉は、反射的に反抗心を呼び起こさせて、紗夜子に答えを口にさせなかった。けれど、ダイアナが連れてきたのだからそうであることは確定されている。だから分かっていると言わんばかりに、彼女は答えを聞くこともなく自らを名乗った。
「わたしは、ナナエ。江上七重。江上のお飾り当主よ。普段は工学研究所で研究をしているわ」
江上家。
高遠氏と並び、エデン三氏に数えられる一氏。確か政治家なのは当主の親戚で、新聞の一覧に顔写真が載っていたことがある。普通の上品そうな男性だった。けれど写真が出ているにも関わらず、彼は代表者代理だったはずだ。インターネットのニュースブログなどでは、本家の子どもを養子に入れたがために彼が当主代理を名乗っている、政略がどうのと、面白おかしく書いていて、当主そのものはまだ歳若い女性だと聞いたことがあった。
その自分を『お飾り当主』と名乗った。初対面の紗夜子にだ。
(……ちょっと変わった人だな)
自虐にしろ皮肉にしろ、言い切れる強さをこの人は持っているということになる。ダイアナとの関係といい、第三階層者としてはかなり変わった部類に入るだろう。
「……紗夜子です」
そんな紗夜子の好意寄りの感情を読み取ったのか、握手も交わさず、七重は片頬を持ち上げて歪んだ笑い方をする。
「ずいぶん余裕ね。高遠氏からもう一人の娘の存在を聞かされた時は正気を疑ったけど、腹の据わり具合はまあ認めてあげる。でも自分の状況を理解してからにしなさい。あなたが呼び戻されたのは理由があるのよ」
空気が張りつめ、次第に冷たくなっていく。空が陰り、天井からの採光が失われていくからだ。
紗夜子は息を飲み込み、顎を引いた。
「……教えて。あなたは、理由を知ってるんでしょう」
第三階層は薄く雲がかかって、冷たい空気がこの階層を取り巻いている。地上に吹き下ろす風は、春が近いというのに冬の冷たさのまま。きっとしばらくこのまま。もしかしたら雪が降る。白い、それが。
「エデンは、二十年かけてとあるゲームの準備をしてきた。都市の更なる栄光のため、繁栄のために。――そのゲームの名は〈聖戦〉」
忌々しいもののように、七重は顔を歪めて〈聖戦〉という言葉を口にした。
「新たな統制者を選定するため、エデンの統制コンピューターと都市運営者たちは、選出した候補者たちを競わせる〈聖戦〉ゲームを計画した。それぞれの候補を擁立し、勝利者にはエデンの天上の玉座が手に入る大掛かりで悪趣味なゲームを」
――候補者は、最終的に四人。
七重の声が低く響く。
「高遠氏にはエリザベス。江上にはダイアナ。サイガ氏にはテレサ。そして――あなた」
白い指先が大理石に反射し暗がりに浮かび上がる。紗夜子を示して。
「〈聖戦〉に参加する次期エデン統制者候補としてあなたが番外的に選出されたのよ。高遠紗夜子。【魔女】でなく、第三階層者でもなく、第一階層のどこにでもいる人間だった、あなたに」
喉が渇いた。目が乾いて痛かった。ようやく口を開く。
「意味が、分からない」
都市運営者である第三階層者、その中でも頂点に位置する三氏たち。三氏の一人、高遠の娘と認められてこなかった紗夜子が、エデンの頂点を決めるゲームに参加させられる……本当に、心から、理解できない説明だった。
――『統制者』とはなにものだ?
ただ推測だけは冷静にしていた。高遠がエリザベスを擁立していたのなら、エリザベスがUGに破壊された今、高遠家は候補者を失い、ゲームから早々に脱落したことになる。ならば、ゲームに続投するために別の候補者を求めるのは当然のことだ。
高遠は、どんな顔をして迎えをやったのだろう。
(許せるわけない)
拳を握りしめ、自分の唇がわなないた。許せるわけない。
「どうして高遠が来ないの」
「高遠氏はエリザベスを失った。だから彼は江上に協力を求め、わたしたちはそれを了承したの。サイガのじじいに玉座をくれてやるより、高遠氏と協力した方が、」
「本人がどうして来ないのって、言ってるの!!」
怒鳴った紗夜子に、七重は一瞬怯んだ。
今更後継者がなんだと言われても、紗夜子にそのつもりはこれっぽっちもない。高遠から与えられるものがどんなものであっても、受け取るつもりはない。紗夜子がもし受け取るとしたら、彼らが不当に奪ったものを奪われた人に返すことだけだ。
「私を候補だの駒だの言うなら、私に報いてから言えばいい。奪ったものを返してから……殺した人を、生き返らせてから言えばいい……!!」
浮かび上がるように床の上に大理石の文様が照らされたが、また太陽が雲に隠れてゆっくりと光を失っていく。紗夜子の目は怒りの涙でぎらつき、荒い呼吸が耳障りに響いている。七重はゆっくりと、不快そうに目を細めた。
「人の話を遮ってはならないと教わらなかったのね。今覚えなさい。ともかく、あなたは大事な候補者になった。高遠と江上はあなたを守ってあげる。ダイアナが側にいなければ外出は許さない。許可なしに外部に連絡を取ってはいけない。もちろん、アンダーグラウンドに戻ることなんて許さない」
「ジャックはどこ! 私は帰る!」
「逃げることなんて許さないわ」
無表情に七重は言い放った。
「第三階層に生まれたあなたは、義務を果たさなければならない。逃げることなんて、許さない」
かつん! と杖が床を鳴らす。殴るようにきつい打音。
七重はもう一度繰り返した。
「逃げることは、絶対に、許さない」