Stage 05 
      


 求める資料を探しに、書斎に行かなければならないということは頭にあったものの、作業を始めると時間を忘れてしまっていた。汚れた手でパソコンを叩き、工具を持った手で機械を組み立て始めると、あっという間に数時間経っている。部屋の中が夕暮れ色になっていて、七重は目をこすった。
「七重さん?」
 基本、屋敷の扉はすべて開きっぱなしになっている。七重がどうしても両手を自由に使うことが出来ないからだ。
 廊下から部屋を覗いているのは、この二週間、江上家で生活するようになった高遠紗夜子だ。
 タカトオに娘がいることは知っていたが、次女の存在は七重の記憶になかった。彼女が六歳の時に第一階層に捨てられたのなら、七重は九つか十ほど。隔離されていたなら納得はいった。当時、タカトオを統べていたのは現当主ではないからだ。
 その血を引いてか、彼女は不思議な子だった。落ち着きというものがないのが大きいかもしれない。騒ぐし、笑うし、怒る。高遠亜衣子を殴ろうとした時はさすがに驚いた。ダイアナとUGの男が止めて事なきを得たが、彼女の身体能力にただただ目を見張るしか出来なかった。
「ダイアナが、この本七重さんに持っていってくれって。入っていい?」
 七重がどうぞと言うと、紗夜子は入ってくるなり、うわ、と目を見張った。
「すごい部屋」
 娘らしい部屋をしていないのは知っている。元々母親が志した少女趣味の室内は、今は単なる寝床として機能していた。女らしさを削いでいるのは、無数のパソコンと工具と機器だ。放置されっぱなしの組み立て途中のロボットも原因のひとつだろう。
 七重は黙って、先ほどまで組み立てていたロボットのスイッチを入れた。きゅうん、と鳴く声がして、小人くらいの大きさのそれが起き上がる。紗夜子を見て、七重を見て、きゅいんと音を鳴らしてお辞儀をした。
『マスター、ご命令を』
「わっ!? すごい、何それ!」
『マスター、ご命令を』
「単なるロボットよ。……また失敗か」
「どこか!?」
「こんなものじゃ、【魔女】には全然遠いのよ」
 本気で分からない様子の紗夜子に答えた。
 ――【魔女】と変わらない機械生命体を作ること。それが、七重の目標だった。

 かつて、第三階層には、たった一人で人工知能を作り上げたキリサカという天才がいた。だが彼は技術を公開した拍子に、その開発者としての権利を全て横取りされ、失脚した。天才でも人的策略には向いていなかったのだろう。しかし、七重は魔法使いとも呼ばれた天才科学者キリサカに追いつくことを目指してきた。
 それを聞いた人々はみんな七重を嘲笑い、無理だと言った。七重に限らず、誰にも不可能であると口々に言った。それは【魔女】が現存する個体のみで、数が増えないことからも分かる。
 二十歳そこそこの七重は第三階層者としては一般的な研究所員だが、ほとんど顔も出さないアウトローだ。向こうとて、エガミの変わり者に来られても困ることだろう。あそこに顔を出すのは必要最低限、その理由も、必要な技術や機器があるからだ。
 ライヤ・キリサカは、一体どんな魔法を使ったというのか。同機を作ることができない奇跡の存在、それが【魔女】。

 紗夜子はスイッチを切られて動かなくなるロボットを見ていたが、ふっと息を吐いた。
「……どうして、ロボットなの?」
 七重は押し黙る。
「……【魔女】の研究のためよ」
 紗夜子は呼吸をひそめた。それを、耳を澄ます体勢だと判断して語る。
「ダイアナはロボットでしかない。彼女はわたしたちと同じ生き物ではないの。必要になれば……プログラムさえ書き換えれば、あなたを殺そうともするし、わたしの首をひねることもできる。情をどれだけ与えても、ダイアナは命令ひとつでそうすることができる。そこには良心の呵責はないし、後悔もない」
「……でも、七重さんは、ずっとダイアナと一緒だったんでしょ?」
「ええ、彼女が製造されて二十年……わたしと過ごすようになって十年」
 それでも何も変わらなかったのだ。ロボット工学を学んでも、知識も足りず才能もないのか、天才科学者にはなれないと思い知るだけ。

 そうして、変わらなければいいと思った。変わらなければ、今のまま、続けることができる。
 だからわたしは始めない。――〈聖戦〉も、二人の関係の変化も。

「まだ他に何か用なの?」
「え? あ……ううん。ただ、いつも部屋にいるから話す機会がなかったなと思っただけ」
 七重は嫌な顔になった。
「あれだけ高遠氏に敵意をむき出しにしておいて、わたしと親しくしようっていうの?」
 紗夜子を振り回していることは、七重の自覚にある。タカトオの事情で捨てられ、命を狙われ、結局必要になったからとここへ連れてこられた。彼女からマイナスの印象を受けないところから、それまでの生活はひどいものではなかったのだろうと想像をつけておせっかいなことに安堵しているけれど、もしそのように自分が振り回されたなら、七重は全力で逃げるか抵抗するだろう。
(この子の『理由』が謎なのよ)
 何のためにアンダーグラウンドでUGたちと行動を共にしていたのか。何がしたいのか。そのために何をするつもりなのか。
 紗夜子からは積極性を感じない。
 今は、多分、かなり落ち込んでいるのだろう。脱走を試みたらしいという報告は来ていた。門の内側で暴れに暴れ、UGの男と悶着し、だが次の日には何事もなかったかのように静かになっていた。何も聞くなという静寂さと、時々爪先をこつこつと鳴らす仕草に、彼女の中に燻りを感じても、それ以上はなかった。
 わけのわからない次期統制者なるものの候補に認定されるなんて、わたしは死んでもいやだ。逃げればいいのに。そうなったら、わたしも諦めがつくのに。
 しかしそんな葛藤などつゆ知らず、紗夜子はきょとんと目を見開いた後、何故か噴き出した。
「だって、七重さんは何もしてないでしょ」
 ぎくりとする。
 何もしていない。
 誰にも危害を加えたことはない。だが、『何かしようと動いたこともない』……。
「……七重さん?」
 呼びかけられて、自分が嫌な顔で紗夜子を見ていたのを自覚した。紗夜子は、笑っていた。そこにあるのは大人びた表情と、柔らかい悪戯心だ。
 そんな風にてらいなく言える少女を七重は他に知らない。七重の付き合いは広くないが、同年代の少女たちは自分を見下していることは知っている。

 五歳の時、事故に遭い、同じ事故で父母は植物状態になった。数年後に二人は亡くなり、当時から代行を務めていてくれた叔父藤一にほぼ全権を譲り、直系だからという理由で江上家の当主を奪い取った。
 そのときから、七重は第三階層者の特権である、機械工学の技術を拒否していた。体温が感じられないということ以外、本物の人間の手足と変わらない生体義肢の技術。思うように動き、定期的にメンテナンスは必要だが不自由しなくなる魔法のような代物を、第三階層は開発し、有用的に活用している。第三階層者に遺伝子的や脳科学的な問題以外の障害者は存在しない。
 だから頑なに義肢をつけようとしない七重は異端だ。動きが不自由というだけで、憐れまれるか変わり者と眉をひそめられるか。最終的には見下される。第三階層者としての誇りがないと言われる。
(わたしは第三階層者でしかないのに)
 そう思うからこそ、生体義肢をつけないということを彼らは理解していない。生体義肢は定期的にメンテナンスが必要になる。両腕の長さに合わせなければならず、何らかのアクシデントで神経が外れることだってある。年老いていけばそれに見合った肌の色や皺を作らなければ生体義肢と見て分かるようになってしまう。
 そんな、永遠にエデンという場所に縛られるような技術はごめんだ。

「…………今日は何をしていたの?」
 不意な話の逸らし方に、紗夜子は苦笑した。
「アルバム見てた。七重さんの。あとはおベンキョウ。第三階層について、復習をちょっとね」
 例えば、と無邪気に紗夜子は指し示してみせた。
「私、エデンマスターと女神って同じものだと思ってた。十年前に誕生したのが【女神】で、それ以前の統制コンピューターは【エデンマスター】って言うんだね。第一階層だと新規プログラムとしか教えられなかったから。……まあ、知ろうとも思わなかったんだけど…………なに?」
 じっと見ていたことに気付かれる。なんでもないわ、というと、ならいいけど、と不思議そうな顔をされた。しかし一転して笑顔になる。
「仕事、あんまり無理しないでね。ダイアナもメイド長さんも、今日も昼から起きてきたって嘆いてたから」
「わたしのことを心配してる場合なの?」
 思わず苛立ちが口をついた。紗夜子は、自分でも言葉の薄っぺらさを分かっていたらしい、肩をすくめて眉を下げた。
「だって、仕方ないじゃん。死刑宣告された気分でもなんでも、生きてるしかないんだもん」
「あなたは、変よ」
 紗夜子が、確かに変な顔をした。
「なにそれ。喧嘩売ってる?」
「あなたは奇妙なほど順応力が高いのね。普通、それまでとは別のところに投げ込まれれば、警戒したり、反発したり……譲れないものを持っているはずなのに、あなたはそれを曲げて他を受け入れようとする。あなたの特性なの?」
 強烈なカリスマ性ではなく、どこにでも埋没する個性だから、七重の抱いた印象の『不思議な』というのに当てはまるのだろう。埋没しているはずなのに、彼女に接した者は彼女という強い個を認識せずにはいられない。
「あなたからは絶対性を感じない。自分とそりの合わないものを排除することも、嫌うことも、憎むこともしない。口では憎しみを吐いても、あなたは結局誰をも受け入れ、人を信頼し、愛している」
 言い切って、何を言ったのだろう、と我に返った。むきになった理由が分からない。
 紗夜子は、その時、笑ったのだ。声をあげて。
「な、なによ!」
「七重さん、嫌われたいの? そんな風に聞こえる」
 杖を、握りしめた。
(わたしも第三階層者なのよ)
 あなたを利用するのよ、紗夜子。
(だから――お願いそんな優しく笑いかけないで)
「理由もなく人を嫌いになったりしないっていう……それだけじゃないかな」
 それに、と紗夜子は静かに言った。
「私には、譲れないものが、ないのかもしれないなあ……」
 胸を突かれる声だった。まるで全部受け止めて消えてしまおうと決めている気がする。
「……諦めるの?」
「七重さん、さっきから変だよ。嫌われようとしたり、喧嘩売ったり、優しくなったり」
「だとすればあなたが見たアルバムのせいよ」抑えた怒りを少しだけぶつけると、しかし、紗夜子は気付いていなかった。「勝手に見てごめんなさい。ダイアナといっぱい撮ってるんだね」と言ったからだ。「ダイアナって全然変わらないね。七重さんが赤ちゃんの頃からおんなじ顔」とも。
「そんなことはどうでもいいのよ。諦めるのかって聞いてるの」
 紗夜子の言う通り、今日の自分は変だ。
 紗夜子を利用しようとしているくせに、生きろと言っている。
「あなたは……わたしとは違う。あなたは選ばれた人間よ。第一階層に落とされて、今日まで生きてきたあなたに何の力もないわけがない。第三階層にいてロボット工学をやっているわたしが、ダイアナを【魔女】のくびきから解き放てないのと違って」
 その言葉に、紗夜子は弾かれたように目を見張った。見開いた、というのが正しい。獣のような純粋な何かが宿って、すうっと冷たく細くなった。
「――ねえ、七重さん。その認定式に、タカトオは出てくるかな」
「……出てくるでしょうね、三氏だもの。ああ、でも、第一階層で行われるというから代理が来るかもしれないけれ、」
 言葉が最後につっかえた。
 紗夜子の顔の、凍るような冷たさに、思わず呼吸が詰まったのだ。
(この子……)
 感情という感情、表情という表情がない、作業用ロボットの無機質さ。そうプログラミングされたような、一点のみを思考し執着している気味の悪さ。この紗夜子は、そう命じられた殺人ロボットのそれだ。
 七重さん、と呼んだ。
「私のことを、みんなが第三階層に必要だって言う。でも私はいらない子だって言われてきた。……私も、そうだと思ってる」
 濃密な影の色。月も星も何の光もない何も見えない本当の闇。イメージするのは、死、だ。

「もし私が、私が守りたい人を脅かしてしまうようなものになるのなら」

 どうしてそんな目をするのだろう。


「私は、私自身を殺せるし、カミサマだって殺してみせるよ」


      



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