子猫のようだわ、とダイアナは少女を見て思った。今にも母猫に首根っこをくわえられて運ばれていきそうな子ども。それがダイアナの主となる江上家の当主だった。
 彼女はダイアナを見るなりびくつき、じりじりと距離を取った。右足が動かないことはすでに聞いている。だから地面を足をこするようにして、江上七重は逃げようとした。
 当然だろう、ダイアナの容姿モデルは彼女の母親、ロクハ・エガミで、髪色や長さ、瞳の色を除けば、そっくり写したような見た目をしている。
「あなた、だれ」
 不意に、逃げ足を止めて七重は言った。警戒心というより、敵意だった。
「お母さまは死んだのよ」
 十歳の七重はすでに両親の死を理解していた。ダイアナの見た目に惑わされることなく、相手が化け物であると知っていた。
「私はダイアナ。【魔女】ダイアナ。あなたを守りにきたのよ」
 気を逆立てるようにして睨む彼女に、哀れな子だとダイアナは思った。小さな身体にどれだけの悲しみを抱えているのだろう。誰にも吐き出さず、泣きもせず、立とうとする、その姿を、ダイアナは可哀想で、可愛らしく思った。
「あなたのお父様が、あなたのお母様とそっくりになるように依頼したのよ」
 七重はびくついた。そしてみるみる青ざめた憎しみの表情をはっきりと浮かべた。
 彼女は両親の不仲に気付いていた。父親が、言うことの聞かない母親の身代わりに、彼女の見た目と同じロボットを制作させたという、あまりにも醜い所行にも気付いたのだ。
 軽く腕をさすり、唇を噛む。その顔は、十歳の子どもがする顔ではない。
「じゃあ、あなたはなに?」
「何だと思う?」
 ダイアナはあえて尋ねた。
「あなたが決めて。あなたの望むようにしてあげる。わたしは、何になればいい?」
 なんと答えるかは分からないが、絶対に言わないものは分かっていた。だからきっと何かしら皮肉っぽいことを言うと思った。でも、七重はしばらく考えていたが、何も言わなかった。

 七重がダイアナに最初に命じたのは、喪服を着てパーティに出席することだった。江上家と関わりの深い、とある家の夜会に招待された場所で、ダイアナはあえて喪服を着て、素顔を晒し、七重の後ろに立って人々に挨拶をした。
 どの顔も見物だった。そして囁き合った。一体どういう魔法であんなことになっているのだろう。姿形は同じだが、性格が違う、別人なのではないか。特に主催者の顔は見物だった。七重はその老人に言い放った。
「江上家はわたしが継ぎます。ダイアナはわたしに与えられたロボットです。わたしが三氏の一人として立ちます。おじいさまにも、邪魔はさせません」
 江上藤一たちの後押しを受けていた七重は、実の祖父たちとの対立が深かった。特に祖父は七重を若すぎると言い、結婚相手をあてがおうとしていた。
 しかし、七重はすでに調べあげていた。自分の両親の死が、お互いを殺し合おうとした結果だということ。それに加担したのは祖父であったこと。その祖父の動機は、自身を拒んだ嫁への復讐だったこと。
 そっくり同じ顔のダイアナは、エガミの隠居から一度も目を離さずに責め続けた。
 やがて、順当にエガミ当主の座を継いだ七重は、言った。
「家族には、ならなくていい。友達もいらない」
 いつの間にかその顔には皮肉な笑みが浮かぶようになっていた。少女らしくない、捻くれて歪んだ少年の顔だった。
「でも側にいて。あなたじゃないとだめだわ」
「どうして?」
 ダイアナは尋ねる。素直に不思議だったからだ。
 嫌われているはずだった。利用されるだけのつもりだった。なのにどうしてそんな顔をするのだろう。
「あなたは、わたしを置いていかないから」
 ダイアナは目を見開き、三本の足で歩んでいく七重を見つめた。
 息を吸い込み、誓う。

 ――人の身でない自分の生きる意味があるとしたらそれは、きっと、あなたの行く道を見守るため。
 戦う宿命を負ったわたしが、本当の守護者になれる理由が、あなただわ。
 あなたを守ろう。あなたが目指す道を決して邪魔することなく。例えわたしが必要なくなったとしても、わたしはあなたを邪魔したりしない。

 だからあなたは、あなたの未来を選べばいい。





     *





 不測の事態は大きな不祥事となった。ホテルのロビーは騒然とし、避難するのは第三階層者ばかり。この日のため、第一階層中央ホテルは、それまで宿泊していた利用客をすべて出して、第三階層者だけのホテルとしていたのだ。走り回る従業員たちの口から悲鳴に似て叫ばれる情報を統合すると、『地下二階が爆破された』『武装した集団が入り込んできた』のみで、要領を得ない。
「私たちはどうすれば……!」
「お客樣方はもう出てゆかれました!」
 悲鳴が上がる。撃たれた、撃たれた、と叫び声。
「軍は守ってくれないんですか!? 第三が来るからって軍が警護してましたよね!?」
『第三』という呼び方を咎める者は誰もいない。
 軍がやってこないのは、このとき北部Aサーバーが襲撃されていたことが理由だった。このとき、第一階層の各要所に規模の大小はあれどUGによる攻撃が発生しており、軍の勢力が削がれていたのである。
 その従業員たちも、総支配人の判断で避難を開始した。ホテルの各所で、銃撃戦が開始されたからだ。

『地下一階より。第三階層者、脱出完了した模様』
『了解。退避を開始しろ。全員退避後、出入り口を封鎖』
『地上一階、従業員が避難を開始しました。三十分ほどで完了すると見られます』
『了解。必要があれば従業員を装って誘導してくれ』
 右耳に嵌めたイヤホンから、UGたちが情報を交わす声が届く。
 中央ホテルから北に位置する、地上十階建てのビルの屋上にディクソンはいた。身を伏せ、長身のライフルを立てかけ、第三階層へ帰っていく高級車を見送る。さすが警備も厳重で、軍が動いているようであり、退避の統率も取れている。無茶をする警護対象もいないようで、帰還はスムーズに行われている。
 一般人に被害は出すなというのが本部からの命令だ。今のところ、UGたちは直接狙うことはしていない。巻き込まれた場合は責任を取れないが、今回の任務は高遠紗夜子の保護であり、彼女をアンダーグラウンドへ引き込むことだ。大っぴらに戦争をしては、後々の計画に支障が出る。
(トオヤ。お前にはまだ力が足りないな)
 本部から、まだ年若い、次なるUGの指導者となるべき二人の監視命令が出て、彼らと過ごして数年。まだ、二人には自分の感情に振り回されるところがあった。自分の感情が先立ち、周囲に折れるということを知らない。揺るぎなさはそれでいいが、自分の感情が先立ちすぎる。
(まあ、トオヤが折れたのは成長だろうが)
 今日になって突然独自潜入の形を取ったのはやはりいただけない。
 第三階層者を狙うなと命令されたディクソンがここにいる理由は、狙撃命令が出たからだ。対象は、必ず徒歩で現れるだろう。第三階層者の特権を持っていないのだから。
 風が吹きすさび、第一階層は揺れている。これから本格的に都市を揺さぶる、人間の力を予感させるように。
 そしてディクソンの目は捉える。
「――……来た」


      



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