表示させたプロフィールは、文字ばかりの中に、写真画像が貼付けられていた。髪を後ろに撫で付けた硬質な印象の男性と、黒い髪をまとめあげ、泣きぼくろが印象的なドレス姿の美しい女性が写っており、彼らと共にカメラに視線を向けて微笑んでいるのは、髪を高くひとつに縛った少女だ。
 高遠家の写真には、ひとり娘の亜衣子しか写っていない。紗夜子の姿も、セシリアの姿もなかった。
 零街の司令部。機器はたまり場と比べてこちらが充実しているとはいえ、トオヤがひとりになりたいところに、二人の友人は普通の顔をしてやってきて、パソコンを触り始めたのだった。本部から本部データベースのアクセス許可コードをもらってきたらしい。先ほどから第三階層のデータを閲覧し、高遠家のデータを見ている。パソコンに向かっているジャックの背後、部屋の隅のいるトオヤからは、彼が見ているデータが覗き見えた。
 本部からもらったデータ、そのリンクを辿っていくと、一般公開されているプロフィールをまとめたページから、UGが収集したデータに移動する。本部が収集したデータは、悔しいが、先攻部隊がまとめたデータにはない詳細な情報が掲載されている。
「サヨコ・タカトオの母親は、ローゼット・タカトオになっとる」
「高遠夫人か」
「うん。十五年前に病死しとる。娘は……」
 ジャックは黙った。何かに集中するような沈黙のあと、「なんやこれ」と小さく呟く。
「こんなん知らんで」
「何が載っている?」
 ディクソンが覗き込み、ジャックが読み上げた。
「娘が二人おる」
「紗夜子さんじゃないのか」
「違う。エリシア・タカトオ」と言ったジャックの続きに、場はしんと静まり返った。
「十四年前、二六九年に死亡。享年、十歳」
 足を机の上に載せて交差させていたトオヤは、十四年前、と胸の内で反芻した。
(紗夜子は三歳……覚えてるはずだな)
 なのに一言も言わなかった。
「エリシアっつったら、サヨちゃんが第一階層で名乗ってた名前やんな?」
 ジャックが振り向いたが、トオヤは回答を拒否した。考えていたからだ。
(セシリアがアンダーグラウンドからいなくなったのは十八年前。紗夜子はその一年後に生まれている。十四年前に問題の姉が九歳だというなら、そいつはセシリアの娘じゃない可能性が高い。その上の亜衣子という姉もだ。セシリアの血を継いでいるのは、紗夜子だけか)

 紗夜子はセシリアのことを「十一年前、私を捨てた」と言った。紗夜子が落とされたのと同じ年だ。
 この数字は何か意味があるのだろうか。ふと問いがもたげ、あるのだろう、とトオヤは考えた。
 紗夜子が本当にセシリアの娘であるなら、第三階層が紗夜子を優遇しないわけがない。セシリアが紗夜子を捨てたと言うのなら、セシリア自身がそうと望んだのか、セシリアがいなくなったためにタカトオが紗夜子を捨てたのかどちらかだ。
 ずっとタカトオへの憎しみを叫んでいた紗夜子。紗夜子を追いつめるのが父親であるタカトオなら、紗夜子を第三階層から追放したのは父親か。

「サヨちゃんの記録はないし、セシリアがタカトオの娘を生んだって記述もないな。データ化されてないっちゅうことやろか」
「それとも、何者かがデータを削除したか、だな。……ということは、紗夜子さんには戸籍がない?」
 ディクソンが呟くと、「いや、エリシア・ブラウンであると思うけど」とジャックが考えながら答える。
「それでも、架空か他人のものやと思う。サヨちゃん個人のは、あるかどうか俺ではちょっと分からんな。んで、俺が気になっとんのは、セシリアの娘やということは暫定としても、父親って誰なん?」
「普通に見れば、高遠氏だが」
「あのセシリアが惚れる相手とは思えんかったけどなあ? 確かにロマンスグレーの見目のいいおっちゃんやったけど」
 高遠氏に唯一面会したジャックは思い返したようだ。トオヤも新聞やマスコミに登場していた男を思い出す。灰色がかった黒髪の、理性と冷酷の間にあるような目をした男だ。汚らしく老けてはおらず、品のあるいかにも「高遠氏」といった上流階級の男だった。
「それに、ローゼットっちゅう奥さんおったんやろ。ん、ということは、ローゼットとセシリアが同じときに高遠家におったっちゅうことか?」
 げえっとジャックが呻いた。子どもを作った女が二人とも同じ家にいて、腹違いの姉妹として育つ子どもたち。歪まない方がおかしい。主導権はセシリアが握っていたに違いないのだ。セシリアは憎しみを向けることのできない存在だろうと、彼女を知っている人間はすぐに分かる。だから、子どもたちは紗夜子を憎んでいたかもしれない。父親も、また。
 そうだとするなら、紗夜子がセシリアとタカトオの子であっても、セシリアはタカトオと愛のある結婚したわけではない、ということか。しかしタカトオ以外の別の人物が父親である可能性も否めない。あのセシリアが、誰かと結婚をするというのが、まったく結びつかないからだ。
 セシリアが子どもの父親に望む相手。
(…………)
 がつん! と蹴飛ばしたスチールの机がへこんだ。ジャックもディクソンも驚く。
「どうしたん!?」
「……胸くそわりい」
 相手を想像したら、あの技術はあっても軽薄で、何にも考えていなさそうで悪巧みばかりする、中年親父のことが浮かんだのだ。

 過去、幼いトオヤの目に、セシリアにとってライヤは特別であると映っていた。どんな人間も手中に収めてしまうセシリアにとって、上位であるとは言わないが、対等かそれに似た立場にあったのがライヤであり、ボスだった。それ以外の大人たちは信奉者でしかないと、子どもの目にも明らかだった。
(俺が親父を気に食わないのは)
 そこに原因がある。
 セシリアはどう見ても親父を特別視していた。ライヤはまったくそれを意に介さなかった。分かっていたのか、いなかったのか。どちらにしろ腹が立つことには変わりない。求めて止まなかったものに一番近いのは、自分の嫌いな人間だ。そして、その人間はそのことにまったく気付いていないのだ。
 トオヤは不意に、二人とも黙っていることに気付いた。ディクソンを見、ジャックを見る。ディクソンは少し肩をすくめて目をそらしたが、ジャックは明らかに何かある顔で笑った。困り顔だった。
「……言いたいことがあるなら言えよ」
「や。……なあ?」
 ジャックはディクソンを見たが、ディクソンはそもそもその前に背中を向けていたので、完全に無視する状態だ。
「そもそもディクソンはセシリアのことよく知らねえだろうが」
「なんで俺が言語化せなあかんねん! ああああ言う言う言う、言うから! あーもう! もしセシリアが子どもを産もうって考えるなら、その父親は親父さんちゃうかなって思ったわい!」
 座っていたところに覆い被さるように覗き込んだトオヤに悲鳴を上げ、ジャックはその指摘を放った。トオヤは拳を振りかぶり、ジャックがぐっと息を呑んで腹に力を入れた瞬間、目の前で拳を止めた。
 ジャックは椅子の上で脱力した。
「こわっ。トオヤ、こわ! 止めて、言わしといて殴るの止めて!」
「もしそうなら、どうする、ジャック」
 低い問いかけに、ジャックは黙った。「どうする」ともう一度聞いた。ジャックからため息を吐き出す。考えたくないのは、トオヤも同じだった。
(紗夜子は……親父の……)
 ナイフが身体に埋まった時のような、心臓に近い、臓器の奥を振動させるような衝撃が身体を貫いた。傷を負ったときのようにひりひりと痛み、じくじくと血が流れ出しそうになる。胸に渦巻くのは不安だった。どうしよう。どうすればいい。
 でも、何が『どうしよう』?
 トオヤはジャックの前から退くと、上着を持った。
「どこ行くん?」
 ジャックが聞く。
「トレーニング」
 思考が絡まり、自分が見えなくなったときは、とりあえず前に進む。身体を動かすに限る。それゆえの行動だった。扉を閉めたトオヤには、室内のジャックとディクソンの呆れたようなため息が重なった音は、聞こえるはずもない。


      



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