紗夜子の銃は、いつも、天を貫くような音がする。UGなら誰でも持っているありふれた銃なのに、紗夜子が持てば、それは一級の演奏者が素人の楽器を使って奏でた神なる一音のように、力を持つ。
 それが、奏者が望まなかったことでも。

 自分の、遥か目の前で、崩れ落ちた少女司祭の亡骸を前に立ち尽くす紗夜子は、だらりと下げていた両腕で、自らの肩を抱えた。俯き、膝が震えている。司祭の頭部は吹き飛び、手足もバラバラだった。頭を撃った後、紗夜子が徹底的に手足をつぶしたからだ。
「……どうして」
 トオヤは近付いてその声を聞いた。紗夜子がだだをこねるようにして腕を振り回した。
「どうして、撃たなかったの!?」
 紗夜子がいくら優勢であっても、シールドを解いた一瞬は誰でも平等に命の危険がある。少女たちがぶつかりあうその時、司祭たちの攻撃は止み、紗夜子の友人の顔をした司祭は、驚愕の表情を浮かべて額に穴をあけられ、爆散した。捉えられた表情は、予測不可能だった何らかの事態が司祭に起こったことを示していた。
 紗夜子の言葉からすれば、それは。

「撃たなかったのではありません。撃てなかったのですよ」
 思い描いた答えは上から降った。建物の上から跳躍し、軽々と地上に降り立ったのは、黒い髪の美しい女だ。トオヤは銃を構えた。見覚えがあったからだ。
「上から命令が下ったのです。今のわたくしにも、あなたを攻撃することはできません。上が誰を指すか、お分かりですね?」
 おかあさん、と紗夜子の唇が動いた。
『四番目のテレサ』は、破壊された司祭を見下ろした。軽蔑はなかったが、石ころを見ているような、何の感慨もない表情だった。
「アイコの策も失敗だったようですね。あなたがかつての友人と相対すれば、動揺して簡単に殺せるだろうと考えたようですが、さすがは【女神】候補。これほどのことでは動揺しては、【女神】にはふさわしくありません。安心しました。それでこそ、わたくしと戦うにふさわしい」
 テレサがこちらにやってくる。深緑のスーツから伸びる手足はしなやかで、長い髪は高貴さを感じさせるほど艶やかだ。
「第一の【魔女】は行方知れずで候補にも認定されていない。だから、わたくしとあなたで最後の〈聖戦〉を行います。わたくしとあなた、どちらが強く、【女神】の座にふさわしいか、勝負をしましょう」
 歩み来るテレサが倒れた少女の腕を踏んだ時、傍らの紗夜子から怒りが膨らむ。
「そこから退きなさい、テレサ」
 テレサは片眉を上げ、気付いて嘲笑った。
「あなたの友人ではないのでしょう? わたくしの友人でもありませんもの。これは、ただの、死んだ機械」
「退けと言っているの」
 何か光のようなものが轟き、テレサが硬直した。トオヤは紗夜子の声に聞き慣れない響きを感じ、息を呑む。立ちこめる雲の影と空の光が、天高いところの風でものすごいスピードで流れていく。まるで呼ばれたように渦を巻く。中心にいるのは、紗夜子だと、錯覚する。刹那走った春の雷の光のように、声が響く。
「立ち去りなさい、傲慢な【魔女】。お前に、他人の命を踏みにじる権利なんてない」
 テレサは動けない。射竦められたように。上半身は引くのに、逃げてはならないという意識があるために下半身は留まろうとする。彼女が人体ならば汗をかいて震えていたに違いない。目は閉じられず、喉は乾いただろう。トオヤがそれと似たような状態だった。ただ、テレサのように恐怖は感じていない。
 相手はたった百六十センチ程度の少女で、服は汚れてすり切れ、銃の残り段数は少ない。【魔女】にとっては恐るるに足らない人間のはずだった。
 テレサにとっては理由のない脅威と恐怖の対象で。
 トオヤにとっては、素晴らしく美しく、清廉な存在に見えた。
「――消えなさい!」
 命令だった。
 テレサは弾かれたように跳躍し、姿を消した。
 唸っていた空は、風によって雲を払われ、曇り空には淡い光がまだらに輝き始める。紗夜子は後ろ姿で表情は見えないというのに、醜い表情をしていないのがそれだけで分かった。澄んだ悲しみを抱き、磨いた決意を胸に、紗夜子は空を見上げる。
 第二階層、そして第三階層。目指す、女神の座が紗夜子の瞳には映っている。
 UGたちが【聖女】と呼ぶ理由が分かった気がした。

(俺とは、違う)



     *



 テレサ・クロイサーは歯を鳴らした。例えそれが淑女のマナーに反していても、彼女は苛立ちの行き場を求めた。臆した己が信じられなかった。
「サヨコは人間なのに。わたくしと比べて劣っているのに」
 人間としても未完成だ。幼く、美しいというよりも可愛らしいという印象の方が強い。しかも敢えて言うならという消極的な表現で、彼女は美女でもなければ、美少女でもなかった。
 なのにあの目。怖気をふるう。奥底まで見透かすような恐れのない瞳に、無意識に恐怖を感じていた。たかが人間の、色彩と空間を認識するだけの瞳など恐れることはないはずだ。人間の瞳は真偽を百パーセント正しく見極めることはできず、一般的な視力1.0以上より遠くを視認できない。熱も探知できない。テレサにとっては玩具に等しい。
「【女神】が何を考えているのか分かりません。これは〈聖戦〉ではなかったのですか? 【魔女】が戦い、最後に残った最強の個体こそ、次世代の【女神】になるはずなのに、どうして、人間が」
 あれが【女神】の血を引くからか? そんなはずはない。それだけの理由なら、サヨコよりずっと優秀な遺伝子を持つ人間はいる。彼女は片親にセシリア・アルファ=テンの血を持つだけで、中身は普通の人間と変わらない。もし第三階層に育ったのなら脅威になったかもしれないが、所詮、今のサヨコの戦闘能力は、援護を受けつつ司祭一体を撃破する程度。
 なのにどうして、こんなに恐ろしい。
「一体どうして、【女神】は『殺害不許可』の命を……」
 彼女は記憶からその理由をはじき出そうとした。多くのドライブを開いていくと、気にとまったものがあった。
『――予言をあげるわ、テレサ』
 姉妹、ダイアナ・ロヴナーの記憶が再生される。
『数に入れなかった最後の一人にお前は負ける。その子は一人で戦わない。都市を引き連れてお前に立ちふさがる。お前は、負ける』
「負けるはずがありません。この、わたくしが!」
 記憶の姉に答えたとき、目の前に白衣の女が立ちふさがった。
「お怒りのようね、テレサ?」
「……アイコ・タカトオ」
 高遠の長子、アイコが笑ってやってきた。
「あなたに用はありません。あるのは、サヨコです」
 アイコの表情に苛立ちが浮かんだが、彼女はすぐにそれを嘲笑に変えた。
「つれないこと。あなたのその不満を解消してあげようというのに」
「わたくしはあなたの玩具ではありません。サヨコの襲撃に失敗したからといって、わたくしを利用するのはお止めなさい」
「サヨコが憎いでしょう、テレサ?」
 アイコは微笑む。テレサは苛立った。女神を模したその笑い方が癇に障る。感情を殺しきれておらず、ただ笑みを浮かべただけ。余裕も、絶対性もなく、楽しんでもいない。嫉妬に駆られ、欲望を渦巻かせる、卑小な人間そのものの表情だ。
「私も憎い。どうしてセシリアはあの子ばかり贔屓するの? あの子は、ただの人間でしかない。あの子が次期【女神】候補なんて、何か裏があるに違いないわ。あの子がすべてを勝ち取る前に、殺してしまわなければ」
「【女神】が何か企んでいると?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。でも、このままでは私たちは道化だわ。一矢報いるべきよ。認めさせるべきよ。そうは思わない?」
 テレサはその言い分に、賛同する部分を見つけた。
 しかし安易に答えることはできない。この手足、意識のかけらに至るまで、テレサは【女神】と繋がる【魔女】なのだ。【女神】の意に反することは、例え、テレサ自身が望もうとも、動かすことはできない。
 すると、アイコが急ににやりと笑った。
 テレサの認識は、ある部分で正しくはなかった。
 人間は目だけですべてを見ているのではない。五感すべてを働かせて、相手のすべてを感じ取ることだってできるのだ。そこに意志があるのなら、アイコはテレサの苦悩を推測することができた。だからこそ、その言葉は的確にテレサの望みをすくいあげたのだった。

「私たち、あなたを【女神】の束縛から解放できてよ」


      



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