フィオナのいる通りで、双方向から無数の火気が火を噴いたのを見た。隣を見ると、トオヤが銃を持ったまま紗夜子の肩をつかんでいた。
「怪我ないか」
「私は大丈夫。あれは……」
「UGたち、連れてきた。で、向こうも『司祭』たちが間に合ったらしいな。離脱するぞ」
頷く、つもりだったが、袖を掴んでいた。
「どうした」
「……『司祭』側の女の子、フィオナなの」
誰だ、とはトオヤは問わなかった。真剣な目で見つめ返し、紗夜子に向き直った。それだけで、紗夜子は涙腺の堤防が壊れつつあるのを感じた。
「ナスィームと違って助けられなかった……殺されたと思った、私の友達なの」
「エリシアー!」
無邪気な声が呼ぶ。紗夜子の身体は跳ね上がり、トオヤは全方向に気を配りながらその声を聞いている。
「私の恩人はあんたの姉さんだよ、エリシア!」
いつかの時と同じだった。弾幕、硝煙、無力感。そこに聞こえるフィオナの声は、あの時感じた絶望感を呼び起こす。
もう、戻れない。
許せない。絶対に、許さない。
「私、もう無力な自分のまま死ぬのなんて嫌。だったら戦う力が欲しいって思って、厳しい訓練にも耐えたんだ。戦って死んだなら、それは意味のある人生だって思わない。
ねえ、とフィオナは笑ったようだった。
「エリシア――死んでくれる?」
トオヤが素早く言った。
「聞くな。あれはお前の知ってる友達じゃない。機械が人間を表層をなぞってるだけだ」
「強さは人間の価値を意味してるんだよ。だから、どっちが強いか、勝負しよう! あんた、いっつもそうだったでしょ。私たちに対して、本気になったことなんてなかった。なんでもそつなくできて、誰かから拍手をもらえて、でも手を抜いて、みんなと合わせようとする。そういうのって、すっごいむかつく。みんなおんなじ? みんな平等? そんなわけないじゃない。だったらどうしてこの都市があるの? あんたは選ばれた人間なんだよ。みんなが欲しくてたまらないものを手に入れてるんだよ」
「紗夜子、行くぞ。来い!」
「だから、私はあんたを殺して、証明する。選ばれた人間なんてどこにもいなくて、ただの人間でしかないんだって」
友達に、なろうよ!
こだまする声は過去。もう戻れない彼方の光。この世界は常に揺れて、人を取り巻く全ては変わっていく。例えここが【女神】の治める永遠の街でも、人は変わる。生きる。そして、死んでいく。
「――わかった!」
トオヤが血相を変えた。
「おい!?」
「すぐに銃撃を止めて! 私とフィオナ、二人で勝負をするんだから!」
「そんなことできるわけ……」
『トオヤ』
無線が割り込む。ディクソンの声だった。
『銃撃が止んだ。突入するか?』
トオヤの目を真っすぐに見据えて、紗夜子は首を振った。彼が何か言う前に、弾倉を入れ替えた銃を持って、通りに出て行く。すぐさまUGたちが駆けつけてきて、紗夜子の周りにシールドを張った。膨張したプリズムの向こうに、フィオナの姿があった。
紗夜子はシールド装置を受け取り、ポケットの中に入れた。フィオナがこちらにやってくる。お互いの防衛線を乗り越えて、向き合う。
フィオナが皮肉に笑った。意地悪を言うときの顔だった。
「あんたに私が撃てる? エリシア。あんたは普通の女の子だよ。私みたいに、力を与えられてないんだよ。そんな玩具みたいな小さな銃で、私に勝てる? 私を、殺せる?」
息を、吐く。それはもう白くは濁らない。それだけの時間が過ぎて、紗夜子の手は傷だらけで、もし心が目に見えるなら、見られたものじゃない気がする。傷ついて、それが治りかけて醜くて、修復しようと色んなものをごてごてと貼付けていて不格好で、綺麗な色は決してしていないだろう。
そうだね、と言った声は小さくなった。
もう一度、今度はフィオナを見て言った。その時吸った空気は、それまでの硝煙のにおいを払い、澄んでいた気がした。
「そうだね。本当、そうだ。選ばれた人間なんてどこにもいなくて、みんな、普通の人間なんだ。切られれば痛いし、血を流す。血が流れすぎれば死ぬ。私に流れているのはただの赤い血で、身体の中身なんて全然、誰とも変わらない」
銃声は止み、雲と風がぐんぐんと迫って唸りをあげる音が聞こえている。足下に吹く風は冷たく、俯けば染みた。
「でも、あなたはもう違う」
フィオナは紗夜子を見つめ返した。紗夜子は肩をすくめて笑った。
「フィオナは、絶対、強さこそ価値なんて言わない。人間はハートだって言うよ」
このフィオナを模したサイボーグのうまいところは、フィオナが言うような台詞も言ったことだ。
『選ばれた人間なんてどこにもいなくて、ただの人間でしかないんだって』
きっと、もし紗夜子が、自分はエリシアでなく紗夜子という名前で、第三階層出身で、という話をしたなら、きっと笑いながら言ってくれる。
――階層とか関係ないって! 人間、大事なのはハートだよ、ハート!
「あなたは、私の知ってるフィオナじゃない」
「……紗夜子」
耳に聞こえていた風の音は、止まる気配を見せた。紗夜子は微笑んだ。言った。
「フィオナは私を、紗夜子とは呼ばない」
フィオナをベースにしたサイボーグ『司祭』の目から、人間らしい光が消えた。言い切った紗夜子に対して模する必要がなくなったためだ。
次の瞬間、司祭は跳躍し、紗夜子に対して一気に距離を詰めた。
(フィオナの四肢はサイボーグ)
紗夜子が払うように撃ち放った銃弾は、司祭の銃をバラバラにした。紗夜子はバックステップを踏みながら銃を撃つ。司祭が、予想しなかったらしい紗夜子の素早い反撃に、懐に入るのを諦め、着地地点を変える。紗夜子はそれにも引き金を引いた。
(一つを壊せても、他の三つが私を狙う)
紗夜子の芯が冴えていく。冷静に、一発ずつ、的確に司祭を踏み込ませないように弾を放ち、弾が尽きる前に後ろのUGに指示して新しい拳銃をもらった。今や攻撃は両手から放たれていた。司祭の表情に焦りが見え始める。まさか、紗夜子の戦闘能力が、司祭相手に一対一できるほどだとは思わなかったに違いない。
冷静に、相手を近づけないために攻撃するポイントを判別する紗夜子の意識の裏にあるイメージは、磨いたナイフだった。汚れを落とし、布で拭き、オイルを塗り、錆を取る。砥石で丁寧に研ぐ。指を傷つけて、手の薄皮が切れた。でも、血は流れない。流さない。痛むけれど、いつか、気付いたときにうっすら血が滲んでいるけれど。
今は考えない。すべきことがある
(核になる部分は、ひとつだけ)
司祭側が反撃を開始し、UGたちが躍り出た。頭上で銃声がいるのは、狙撃手が潜んでいたからだろう。そんなことに気を取られない。彼らは、守ってくれると言ったから。
走り出した。
フィオナが紗夜子に向かって疾駆する。その走行が直線として定まらないのは背後からの攻撃のせいだ。目の前でシールドのプリズムが展開する。しかし紗夜子は足を止めなかった。目を閉じもしなかったし、シールドが少しずつ機能を失いつつあっても、壊れることを恐れなかった。
シールドを切るタイミングは一瞬。紗夜子がフィオナを撃ち抜くその時だ。
(私は生きる)
――抱えていく、すべて。
ひとつの銃の声が、無数の音の中で高く響いた。