昼食はさんざん悩んだ末に、ファストフードを選んだ。所持金と食べたいものと場所を選ぶと、何故かこうなってしまったのだ。トオヤが何でも食べられると知っている紗夜子は、トオヤが食べたいものに合わせようと思ったのだが。
「お前の飯の方がうまいしなあ」
 と言われてしまっては、レストランで、などと言えようもない。お弁当でも作ってくればよかったが、初デートで手作り弁当は重いだろうと思って選択肢から除けてしまったのだ。後悔しても遅い。しかし、こうなったらとことん『普通のデート』っぽくしよう! という決意が働いて、「ファストフードでハンバーガー!」と言ってしまったのだった。トオヤは、そんなでいいのか、と不思議そうな顔をしていた。
「今度!」と紗夜子は目を合わせられない状態で言った。
「今度、お弁当作ってくるからっ!」
 トオヤは笑う。
「楽しみにしてる」
 ハンバーガーのセットにかぶりついた後は、同じアミューズメントパークの中をぶらりとした。ゲームセンターに行きたいと言うと、トオヤは特に反対はしなかった。じゃらじゃら、ぎゅーんぎゅーん、という機械音がうるさく、奥では少年たちが対戦ゲームにたむろし、女子中高生たちはプリクラに群がっている。ちょっとだけ撮りたいな、という気持ちになったが、嫌がられたらショックなので言わないでおいた。
 しかし、トオヤは「あれ、しなくていいのか?」とプリクラ機械を指差したのでどっきんとした。
「あ、あれ? プリクラ?」
「俺やったことないからよく分かんねえけど。証明写真と同じなんだろ?」
 頷く。そして、勇気を振り絞った。
「……一緒に撮ってくれる?」
「おう」と、気軽にトオヤは応じた。躊躇したことはまったくの杞憂だったらしい。並んでいる間、物珍しそうに機械を見ている。カバーのモデル写真やうたい文句を眺めて、「美白? 睫毛効果? なんだそれ、すげえな」と言って笑う。
 順番が来て、中に入った。
「結構広いな」
「荷物置いてね。後ろに立って。私が操作するけどいいよね?」
「任せる」
 カメラはこれ、後ろ下がりすぎると背景が出てくるから気をつけて、という注意をして、コインを入れた。カメラの映像がモニターの映ると、トオヤは感心した声を出した。
「近距離だな」
「遠距離にもなるよ。指示通りに動いてね!」
 かわいく、かっこよく、キメキメで。そんな指示が音声として飛び出し、トオヤは律儀に言う通りにしているのがおかしくて、写真はすべて笑顔になった。適当に落書きをして、出来上がったものを二人で分けた。「よくできてる」と言う台詞が、金髪の見た目に反して機械に慣れないおじさんのようだったので吹き出してしまった。
 ゲームセンターをぐるっと回って、景品に文句を付けたりしていると、不意にトオヤの姿が見えなくなった。あれっと思って戻ってみるが、いない。動かない方がいいとは思ったのだが、やっぱり不安になってしまったせいで、少しだけ動き回ってきょろきょろしてしまう。それがいかにも子どもっぽかったのか、「どうしたの?」と声をかけられた。
 見れば、髪の毛を染めていたり、ガムを噛んでいたり、気だるそうだったりにやにやしていたりする、あんまり第一印象のよくない少年四人組だ。
 でも、恐るるに足りない。アンダーグラウンドにはこういう少年たちは当たり前にいるし、声をかけてはならない種類の人間は見ただけで分かる。にこっと笑って言った。
「大丈夫です。ちょっと連れが見当たらないだけだから。声かけてくれてありがとう」
 少年たちはしばらく瞬きをしていた。もしかしたらこんな答えが返ってきたのが初めてだったのかもしれない、と思うぐらいに不思議そうな顔をしている。まいったなあと呟いたのは誰だったのか。今度浮かべた彼らの笑顔は本物だった。
「ほんとに一人で大丈夫?」
「大丈夫、すぐ見つけられるから」
「紗夜子!」
 ほらね、とトオヤに向かって手を振り、少年たちに笑った。なるほど、と彼らは言った。
「カレシがキミのこと見つけられるわけね。ゴチソーサマ」
「これ、あげる。俺らもう使わないから」
 少年の大きな手のひらに一掴みのゲームセンターコインを渡され、受け止めきれずに慌てる。それをくすくす笑って、じゃあねと彼らは去っていった。ありがとうと声をかけると、ばいばいと答えて、外に消えていった。
「よかった、ちょっとよそ見したらいなくなってたから」
「ごめん、私もちょっとうろうろしちゃって。さっきの人たちにコインもらったよ」
 お札を一枚使うよりも枚数がある。このゲームセンターでしか使えないので、使う人が持っていた方が得だとは思うが、なんだか悪い気がした。
「気前いいな。何かしてやったのか?」
「ううん。でもいい人たちだったよ」
 トオヤは片眉をあげて、ふうんと相づちを打った。
「じゃあありがたく使わせてもらえよ。一枚くれ。何が欲しい?」
 紗夜子が差し出したコインを一枚、爪で弾く。何がと言われても困ってしまうが。
「ええと……じゃあ、あのキーホルダー」
 クレーンゲームの猫のマスコットを指差すと「オッケー」と言ってゲームを開始した。
 最終的に紗夜子は猫のキーホルダーとお菓子を袋いっぱいに手にし、いくつかのゲームで遊んだが、コインは使い切れずに、小さな子にあげてしまった。アミューズメントパークを出て、どこに行こうかと尋ねると、「ちょっと付き合ってくれよ」と言われた。

 モノレールに乗ると、学校を終えた放課後の高校生たちが乗っていた。もし知り合いがいて気付かれたら嫌だな、とちらりと思うと、トオヤは車両の隅に、紗夜子を隠すように立ってくれた。もしかしたら偶然なのかもしれなかったが、そうしてくれたと思うだけで嬉しかったから、いい方に解釈することにする。
 車窓から見えるエデンは、うっすらと金色に染まっている。晴れているから、階層がよく見えた。第一階層に切り込みを入れるように斜めに影が差していた。目を戻すと明るい色の空と太陽が眩しく、光が染みる。
 高校生たちのおしゃべりが、不思議に遠い。この日常は自分のものではないという違和感がある。疎外感にも似ている。私はひとりきりだと叫ぶときの気持ちだ。冷たく、暗く、静かなのに泣きたい感覚。この中の誰も、紗夜子が友達を撃ったなんて知らないし、それより以前に何があったのかも知らない。
 トオヤでさえも。
 窓に映るトオヤの顔を盗み見ると、彼もどこかに心を飛ばしているようだった。

 彼に知ってほしい、と思った。すべてを知ってほしいというその感情は、心臓に切り込みを入れるみたいに飛び出してきた。それは、ずっと紗夜子が封じてきた欲求だった。今まで関わってきたすべての人に対して引いた、絶対的な境界線を自ら取り払う。過去を知ってもらい、自分を知ってもらうのは怖いことだと思ってきた。誰かの重荷になるかもしれないし、逆に受け止めてもらえないこともあるだろう。自分が抱えてきたものは誰にも受け入れてもらえないと思っていたから、誰にも、一言も、言ったことがなかった。
 高遠紗夜子が、いったい、何をしてきたのか。

「次の駅で降りる」とトオヤが言って、紗夜子に視線を投げた。

 駅を出る。中央区のビル街だ。しかし表側には回らず、裏側に向かうと、静かになと紗夜子に注意して、こっそりその裏手の階段を上っていく。格子で封鎖されているところは乗り越えた。「昔はこんなんなかったんだけどな」と言っているから、以前に来たことがあるらしい。扉の上まで上りきったところで、飛び降りようとした紗夜子に手を伸ばして、抱き上げるようにして地面に降ろした。
 すると、トオヤはにやっと笑った。
「天使を抱きとめるとしたらこんなかもな」
 一気に赤くなったに違いない。トオヤが吹き出した。
「からかわないで!」
「しぃっ」と指を立てるが、そのトオヤがまだ笑っているので、紗夜子は怒鳴りつけたいのを一生懸命堪えなければならなかった。
 鉄柵に囲まれた最上階に出た。ずいぶん高いところにあるらしく、街が見下ろせる。
「ずいぶん変わったな。十年くらい前までは、ここが一番高い建物だったのに」
「ここに何かあるの?」
 ん、とトオヤは言った。
「リアが、昔、俺をここに連れてきたんだ」
 あの人が、と呟く。見上げた階層の、更なる遥か高みにいるセシリアが、こんなところにいたのは不自然で、何かの間違いのように思えた。現実感があまりない。
「色々思い出そうとしてみて、思い出した。ここで、リアは泣いてた」
「泣いてた?」
 信じられない、という言葉に、トオヤは泣いてたんだ、ともう一度言った。
「『寂しい』。そう言ってた気がする。俺はまだ五歳で、リアをうまく慰めてやれなかった。だから、誰かを守ればいいって言ったんだよな。ガキの考えだから、いまいちよく思い出せねえんだけど」
「寂しいから、守るの?」
「誰かを守れるくらい強くなれば、寂しくなんてないだろうって思ってた。でも、寂しさってのは自分の心だけの問題じゃないんだな。生きてる限り、みんな何かが欠けてて、望んでるものがあって……世界があるから寂しいんだろうと思う。リアは、多分、寂しすぎて、人とは違う存在になったんじゃないか。そう思った」
 よく分からないな、とトオヤは苦笑するが、説明は止めなかった。
「【女神】になれば、常にリアはエデンの一部で、世界の一部で……この世のすべてが側にあって、何もないことなんてないだろ。ないとすれば同一の存在だけで……だから、リアはお前を選んだんじゃないか」
「私?」と紗夜子は驚いた。
「自分と同じ存在や、理解者を求めたんじゃないか、ってな」
 そんな風に考えたことがなかった。セシリアという人は絶対的で、完璧で、隙がなく、手に入らないものは何もない。欲しいと思ったものはすでに手に届くところにある。そういう存在であって、何かを求めるという気持ちを持っていないと思っていた。でも、確かに、絶対的な存在はセシリア一人だから、孤独であると紗夜子たちは思える。本人がそう感じているかどうかは問題ではなく、そう見ることができるのだ。
(待ってるの、おかあさん……?)
 わたくしは紗夜子を愛しているわ。
 その声が、別の温度を帯びる。
「そして多分、親父のことも」と呟き、トオヤは階層を見上げ、ふっと目を閉じた。耳を澄ませばあの時の声が聞こえるというように、風に髪を遊ばせて。

「紗夜子」

 トオヤが聞く。


「エリシアって誰だ」


 トオヤを見つめた。真っ黒の瞳の中に、信頼を見た。紗夜子は答えた。本当は、そうして聞いてもらいたかったのだ。


「……私の姉さん。私の、二番目の姉さん」


 そしてどうか罰してほしい。

「私が、最初に殺したひと」

 この血に流れる罪を。
 愛した人の血に濡れた、この手を。


      



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