深夜になって妹の部屋に忍び込むと、大きなベッドの上で、彼女は小さな身体を丸めるようにして眠っていた。縋るところを求めているような姿に胸が痛み、そっと揺り起こした。
「ん……えぃちゃん?」
「来て」
 そう短く言うと、部屋を出、家を抜け出した。庭である広大な森へ入り込み、息を切らして走る。暗闇は二人を覆い尽くそうと頭上に広がり、固い地面の感触はどろどろとした沼のような錯覚をさせた。息が苦しい。胸が痛い。空いた手で引いた妹の手は熱く、されるがままで哀れだった。

 少し開けたところに出た。一際大きな椎の木が、大きな影となって立っている。その足下で、抱えていた二つの包みを開いてみせた。
 月光に光る、二つの銃。
 それを、持って帰ってきた、入っていた箱に収める。ずっと放置されていた銃を錆び付かせずに守っていた箱だ。きっと、十年経っても守ってくれるだろう。
「なにするの……?」
「タイムカプセルよ」
 持っていた小さなスコップで、椎の木の根元に穴を掘り始める。
「大人になったら開けるの。十年後、開けるんだよ。その頃、私たちまだ子どもだけれど、今よりずっと大人に近いよ」
 吸い込んだ息は、何故か震えた。

「だからそんなに早く、大人にならなくていいんだよ」

 可哀想な妹。母の偏愛を注がれて、大人と同じように扱われる彼女。姉たちが向けられない愛を注がれている、幼い子。その愛は歪んでいて、なのに決して否定しない子。
 どうして、普通になれないのだろう。どうして、普通の少女として生きていけないのだろう。第三階層でなくて、例えば第一階層だったら、この子はもっと自由に生きていけるのではないだろうか。
「何も出来なくても、私はあなたのこと、だいすきだよ……」
 泣くつもりなどなかったのに、段々と胸の痛みが激しくなり、鼻をすすることになってしまった。妹は気付いているだろうか、じっと掘られる暗い穴を見ていたが、そっとその両手を汚して手伝ってくれた。
 穴はそれほど深くならなかった。木の根が邪魔したのだ。銃を丁寧にくるみ、箱に収め、穴に埋めた。
「大人になったら、開けようね。私たちの、勇気の証」
「うん」と幼い妹は微笑んだ。

 でも後から思えば、彼女は姉の気紛れに付き合ってくれただけなのだ。自分に降り掛かる運命を知り、自身が普通になれないことを知って、すべて諦めているのに、勝手に抗おうとする姉に、心優しい妹は笑ってくれただけだったのだ……。

 妹の所在は、絶対にセシリアの知れるところにある。戻ってきた二人を出迎えたのはやはり銀の人で、優しげだが愉快ではない微笑みで「何をしていたの」と聞いた。
「どちらでもいいわ、お答えなさい」
「わた、し……」
「私たち二人の秘密です。約束したんです、一緒に大人になろうって」
「わたくしと勝負をするつもりなのね」
 不意の言葉はすとんと落ちた。
 そうだ、自分は今、女神に喧嘩を売っている。
「あの子は私が守ります」
「あの子は守られない。守られるのはあなた。あの子はあなたより強くなり、あなたより大人になる」
 翼を広げるような圧する気配でもって、彼女は言う。

「生きなさい。何もできない自分に嘆き、泣き叫びながら。多いに足掻き、多いに生きなさい。そして、絶望なさい」
 その表情が憐れみを浮かべた。
「守るべきものを得たとき、人は大人になる。子どもの無邪気さを忘れ、無慈悲さを知る。可哀想な子。子ども時代を賛美する子ども。あなたこそ、歪みそのものにほかならないのにね」

 ――歪みは正されるでしょう。
 最後に女神はそう言った。

 頭の中を女神の予言が回り、鏡の中の自分を虚ろに見ていることに気付いた。メイドが髪を梳いていてくれている。されるがままになっていると、また思考の海へ沈みそうになる。
(私は、まちがっていない。でも、『私』はまちがっている……)
 気付いていることだった。保護欲が強いことは自覚している。妹を守るということに執着していることも。九歳の子どもらしくないというのなら、そうなのかもしれない。カウンセリングにかかれと言われたことはないので、分からない。
 扉が叩かれた。返事をすると、鏡に映っている扉から、妹が入ってきた。
「どうしたの?」
「…………」
 暗い目をして、こちらを見ている。
「お嬢様、早くお休みなさいませ」
「うん……」
 妙な空気だった。メイドの手から離れ、妹の前に膝を突く。かわいい頬が真っ白だ。
「ねえ、どうしたの? 眠れないの?」
 透き通った目で遠くを見ている。
「どうし……、」
 次の瞬間、妹は袖の中に握っていた何かを投げつけた。
 ぎゃあああと悲鳴が上がる。
 振り向くと、背後に迫っていたメイドの手から、ナイフが滑り落ちるところだった。
 声を聞きつけた警備たちによって、メイドは取り押さえられた。絨毯に広がる血の染み。右手首に突き刺さった細い刃は、確かに妹が投げたものだ。
(私を狙って……!?)
「えぃちゃん、けが、ない?」
「……っ!」
「だいじょうぶ、なら、いい」
 妹はこんな時にでも誰かを励ますような笑みを浮かべる。焦燥が胸を焼く。こんな、こんなこと。
「お願い、もう二度としないで! だめだよ、このままじゃ、このまま、じゃ……」
「えぃちゃんは、ころされてもよかったの?」
 あまりにも真っすぐすぎる問いに、言葉が消えた。
「そ……そんなこと……」
「だったら、きけない。わたしが、えぃちゃんを守るんだもん。そのためだったら、なんでもする」
「だめだよ! 絶対だめ!」
「どうしてだめなんて言うの?」
「あなたが子どもだからだよ! どうして分かってくれないの!?」
 肩をつかんで揺さぶる。
「まだ三つなんだよ!? 成人だって認められる二十歳まで、まだ十七年もあるよ! そんなに早く大人にならなくていいって言ったでしょ? そんなことできなくても好きだって、私言ったよ!」
 聞いてるの!? 反応しなくなった妹を揺らす。
「お願い、誰かを殺すなんてこと、しないで……!」
「どうして、そんなに大人がだめなの?」と、雫が落ちる音のような問いかけが聞こえた。

「だれかをまもれるなら、わたしは、かみさまだってころせるよ」

 絶望なさい、と女神の声がする。
 これを恐れていた。急に、すべての恐れが形を成した。
 この子は、女神の子だ。自分と違って、女神の血を引く唯一の子だ。姉と自分は、妹と父親の部分でしか血がつながっていない。だからこそ、母はこの子に愛を注ぐ。育てようとする。自分と、同じものに。
 だから、きっと、この子は殺すだろう。大人になり、母を殺すだろう。
 女神を、殺めるだろう。

 見下ろした先に、ナイフがあった。刺客が持っていたものだ。誰にも回収されずにいたらしい。よく研がれたらしく、輝いていた。命を奪うためのものだった。

(この子は、大人にしちゃ、いけない)

 悲しみを生むだろう。自身の悲しみに沈むだろう。誰かを不幸にしながら、自分も不幸になる。そして、そのことに気付かない。傲慢な神に似た、人間になるだろう。

(その前に)

 光が目の前に。
 感触は重たい。

(大人になる前に)

 妹の瞳は澄んでいる。


(私が)


 振りかぶった。


      



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