訓練の合間の休憩に入っていた妹を連れ出した。屋敷周りの森の中を、枝を折り、根を踏みながら歩く。幼児の歩みに合わせるから二人の遠足はゆっくりとしていたが、時間が経つにつれて妹は不安そうに言った。
「えぃちゃん、どこいくの?」
「探検だよ! この先に古いお屋敷があってね」
幼い頃、姉と探険したところだ。めずらしくセキュリティも断絶し、扉は解放されていて、虫や風が入り込んで朽ち果てていた屋敷。その虫と不気味さを姉が嫌がって二度と来れなかったが、今でも一番面白かった体験だった。
「そこ、足下気をつけて」と言った途端、妹は転んだ。泣き声が響き渡り、彼女をあやしあやし進まなければならなかった。それでもなんとか辿り着いた屋敷は、妹を震え上がらせるのに十分な重々しい空気をまとっていた。
そびえ立つ洋館。壁の塗りは剥げ、ひびが入り、割れた屋根は鴉たちの止まり木と化し、侵入者たちをぎょろついた目で見下ろしている。窓ガラスはほとんどなくなっており、風が吹き込む音か、かたかた、ぎいぎいという音がどこか遠くから聞こえていた。
「K……I……R…………A? よめないね」
「とても由緒ある家だったって聞いたよ。当主さんはすごい人だったって」
中は暗かったが、ただ傷だらけであるためにほのかに明るかった。ぼろぼろになった床や崩れた壁を踏んでいると、鼠が走り、家が軋んだ。放置されたままの家具はぼろぼろになっており、ききいと鳴っていたのはクローゼットの扉だ。記憶よりもずっと朽ちている屋敷を見て、青ざめる妹に対して、段々と奮い立ってきた。楽しい。まるで、物語の幽霊屋敷のようだ。
「何か残ってないのかなあ」
「えぃちゃん、よくないよ。不法侵入だよ。セキュリティがいきてたらどうするつもり?」
「だいじょうぶでしょ。ここ、何年も廃墟だもの」
二階へ上がってみる。高価だろう絨毯はぼろぼろに朽ちている。
「っあぶない!」
えと思ったとき、上から石が落ちてきた。
瞬間的に足が止まったせいか、降られずにすんだ。
「えぃちゃんだいじょうぶ!?」
「へ、平気……」
なんとか立ち上がる。埃を被ってしまったので、全身を叩くと、煙をまとったようになった。
「ああ、びっくりした。ありがと」
よっぽど怖かったのだろう、上の方を食い入るように見つめながら、青ざめた顔で頷いた。
「やっぱり一番奥だよね。行ってみよ」
取りあえず廊下の突き当たりまで行ってみる。かさこそとかすかな音が聞こえてくる。だが、まだ真昼の光で辺りがよく見えるので、怖くはない。
最奥の扉はそれほど凝った作りではなく、並んでいる他の扉と似たようなものだ。魔王の城のような雰囲気はない。押し開いてみると、木が割れるのではという感触のあと、埃を舞い上がらせて開いた。
執務室のようなところだったらしい。足がもげて、傾いた机が鎮座している。椅子は倒れていた。
「何かないかな?」
「持っていったらどろぼうだよ」
「へいきへいき。誰も管理してないんだから」
そう言いながら、机の引き出しや、壁の戸棚を開けてみる。本が収まっていたであろう棚には何もない。本だけは持っていくのか、と妙な気持ちで棚を眺める。その内、妹も興味を惹かれたのか、あちこちを触り始めた。
第三階層では、このような屋敷はめずらしい。新しい人間の手に渡るか、取り壊してしまうのが常だ。放置されるにはそれなりの理由があるのだろうが、全然分からない。
すると、がたがた、と妹が何か揺らしている。
「どうしたの?」
「これ、かぎ、かかってる」
彼女が指し示したのは、鍵のついた戸棚だった。
「え、……ほんとだ。うーん、こういうとき、ヘアピンとかでがちゃがちゃっとできたらいいんだけど」
「ヘアピン」と繰り返される。コミックのようだが、できるはずはない。実際にやってみて、自分ほどの腕では不可能だと知ったのだ。だが、妹は髪をまとめていたピンを一本引き抜くと、鍵穴に差し込んで上下に動かし始めた。
「……なにやってるの?」
「解錠」
かちゃり、と錠の回る音がして目を剥いた。
「開いたの!? すごい!」
どきどきしながら引き出してみる。中には、銀色のケースがひとつ。取り出した奥には赤いランプが点灯している。
「奥のは……電子ロックだね。さすがに、むり……」
開けられてしまうとこちらも何とも反応しがたいので、ほっとした。
しかし、これは誰にも見つけられなかったということなのか。まだ電子ロックが生きているなんて思いもしなかったが、もしかして人の出入りがあるのだろうか……と考えていると、妹の視線が、銀のケースに向けられているのに気付いて、笑った。
「じゃあ、こっちのケース、開けてみようか」
「うん」
宝石や王冠や、何かすごいものが入っている予感がした。指先まで伝わる鼓動で震えながらそっとふたを持ち上げてみると、そこにあったのは。
「…………ピストル?」
子どもの手にはあまる大きさの銃と、玩具のような、飛行船に似た形をした銀色の何か。
妹は躊躇なく、クッションに収まった黒い銃を取った。
「どっちもピストルに見えるね。こっちはずいぶん古いものだ……旧式だよ」と妹は黒い方を示して静かに言った。
「これははじめてみる」
玩具みたいなそれを指したので、ふうんと頷いて、それを手に取ってみた。引き金がついている。無意識に人のいない方へ先端を向けて、引き金を弾いた。きゅん、とファンが回るような音がして、先端が向いた方向にぱっと火花が散った。
二人して唖然とした。
「なに……なにこれ!」
「レーザー銃……みたい」
「そんなのあるの? 初めて見るよ?」
「わたしも、はじめてみる……」
こんなものが眠っているなんて、思ってもみなかった。かつてのここは、何かの研究所か、危ない人間の隠れ家か。ともかく、ものすごいものを見つけたのは確かだった。
「やったね! 大発見だよ!」
妹はきょとんと目をまたたかせる。
「だいはっけん?」
「第二階層のひとたちに見せたらすごいって言われるに決まってるよ! すごい技術だよ、これ!」
「たしかに、レーザー銃はすごいけど……だいはっけん、なの?」
「そうだよ! ほら、早くみんなに知らせにいこう!」
銃を箱に詰めて、抱えた。来た道を戻るが、疲れよりも、これからのことが口をついた。
「あのお屋敷、すごいところだよ。もしかしたら、新しい技術が眠ってるかもしれない。私たち、その第一発見者だよ!」
「うん」
「きっとみんな恐がって調査できなかったんだね。でも私たち、全然怖くなかったね。すごいよね!」
「うん、えぃちゃんといっしょで、わたし、ぜんぜんこわくなかった!」
「でしょ!? 私たち、最強だよ!」
「うんっ!」
転んでも笑いながら家に辿り着く。ぼろぼろの姿をガードマンたちは訝しそうに見下ろしたが、それすら気にならず、家に駆け込んだ。そして、立ち止まった。
長い階段に伸びる影。上から見下ろす、白い人の姿。
笑いは、消えた。
「どこへ行っていたの?」
言いつけを破ったことに気付いた妹は、もう口がきけなくなっていた。
「セシリア様、私たち……」と言いかけたのを、セシリアはぴしゃりと遮った。
「あなたには聞いていません。……さあ、お答えなさい」
そう言われても、可哀想に、ぶるぶると震えるだけだった。
「そう……口のきけない子には、口がきけるようにしなければね。いらっしゃい」
さらうように腕をつかんで連れていく。妹は、けれど、こちらを見て泣きそうに笑ったのだ。仕方ない、という大人がするような顔をして。
その夜、帰ってきた父に、叱られた。
あの人のやること、言うことに決して逆らうなと厳命された。
でも、あの人は間違ってる。あの人はきっと、娘の楽しそうな笑い顔なんて見たことがないはずだ。だから、間違っている。