夜になるとシェラが訪ねてきた。肌を見せないのはこの城に仕える人々に共通しているらしい、紺色の裾の長い服に頭巾という格好だった。
「どう、快適にしてる?」
「ええ。食事も美味しいし、お風呂も気持ちよかった」
それはよかったとシェラは笑い、いつもの調子でどかりと椅子に腰を下ろした。
「いつもの格好じゃうろつけないから、制服に着替えるの。一応この城での仕事は免除されてるんだけど、新人だと勘違いされて仕事を押し付けられてこの時間よ。ゆっくりする暇もありゃしない」
セレスレーナに出されていた果物を勝手に咀嚼しながらうんざりしたように言う。
「シェラは女官だって言ってたけど、どうしてディフリートの船に乗っているの? 危険な旅ならご家族が反対したでしょう」
「あたし、両親がいないから」
さらりとシェラが言って絶句した。
「父親はどこにいるか分からなくて、母親と暮らしてたんだけど物心つかないうちに死んじゃったから、この城で働いてる叔母に引き取られたの。歳が近いからってディーの女官に配属されて以来の付き合いだったもんだから、あいつが翔空士になるって言ったときに一緒に行けって国王陛下に命じられちゃったのよね。カジも同じ。ここに来るまでは他の空船に乗ってた経験を買われて、護衛として乗り込んだんだって」
「それは……ごめんなさい」
「いいわよ、別に。いないものはいないんだから」
謝罪を口にしたが、シェラはあっけらかんと笑っている。
「翔空士になったのは見合う報酬が用意されてるからなんだけど、案外悪くないなと思ってたわよ。ディーのことはよく知ってたし、カジは無口だけどとっつきづらいってわけじゃなかったから居心地よくってね。困ったのはディーがアーヴレイムの王子だって自覚が薄いことくらいだったかしらね」
セレスレーナは深く頷いた。まったくその通りだ。おかげであんな醜態を晒すはめになってしまった。
「彼は自分がなりたいもののために翔空士になるんだって言ってたけれど」
「このフェリスフェレスは文化指数が高い先進国だから、他世界の状況を知っておきたいと考えたみたいね。翔空士になって中継船団に出入りしている間に知り合いもできるから、即位したら便利だって考えたんでしょ」
セレスレーナは目を見開き、呟いた。
「そんなこと、全然言わなかった……」
「本人にとってさして重要なことじゃないからでしょう。あたしはその『なりたいもの』っていうの初めて聞いたわ。詳しく聞いた?」
首を振ると「そう」とシェラは引き下がった。
「そこはレーナにしか言わないか。庭で抱きしめあってちゅーするくらいだもんねえ?」
「っ!?」
んぐぅっ、とセレスレーナは噎せた。咳が止まらなくなり涙になっていると、シェラがにやけ笑いとともに水を差し出してくる。
「げほっ、だ、誰から……っ」
「うわあ、ほんとなんだ? 思ったより展開早いじゃなーい」
シェラはどうやら噂を耳にしたが半信半疑だったらしい。だが確信を持たせる反応をしてしまったようで嬉しそうにしている。
水を飲んで呼吸を整えると、セレスレーナは彼女の笑顔に素っ気なく言った。
「……何を聞いたか知らないけれど、ただの事故よ。それよりも展開が早いってどういう意味なの?」
「そこはほら、あたしも乙女ですから。王子と王女が同じ船で旅をするって展開にそういうのを期待しちゃうじゃない?」
一言も言わず目を細めると、シェラは「ごめん」と口調を改めてきちんと座り直した。
「あたしが何を言っても茶化すように聞こえるだろうけれど、ディーはあんたが思ってるほど王族であることを軽んじてるわけじゃない。あいつはあいつなりに葛藤したってことは覚えておいて。あんたへの接し方については困ったものだけど、軽い気持ちでそういうことができるやつじゃないから」
付き合いの長いシェラが言うのなら本当かもしれない。けれど突然唇を重ねてきたかと思ったら一言目が「しまった」というのはやっぱりおかしいし理解できない。
(たとえば別の言葉だったら、こんなもやもやした気持ちにならないで済んだのに)
そのとき、シェラの左手首の腕輪が光った。オーディオンとつながっている通信機が反応しているのだ。彼女は中央の石を押し込み、呼びかけた。
「こちらシェラ。どうしたの?」
『こちらディフリート』
ぎくっとした顔を見られてしまったので、慌ててお茶を飲んで隠す。
『悪いが、レーナを連れて研究所に来てくれないか。持ち帰った《天空石》について気になる反応が出たんだ』
「何それ。まさか偽物だったとか言うんじゃないでしょうね」
『詳しくは研究所で話す。レーナのこと、よろしくな』
石の光が消え、通話が終わった。昼間の一件のことをまったく感じさせないいつも通りの口調に胸がざわめく。
しかし何か異変があったのは間違いない。シェラとふたり、城から少し離れた浮島にある王立研究所に向かうことになった。
城の雰囲気とは違い、人を寄せ付けない無機質さが感じられる建物の奥に入っていくと、白衣を着た人々が壁に設置された硝子板の画面に表示される文字や図を追っていた。壁の下に設置された装置を使って表示される内容を切り替えたり、通信装置を使って遠くにいる誰かとやりとりしている。
その中にディフリートがいた。昼間別れたときのままの格好だ。
「ディー、来たわよ」
「悪い、呼び出して」
視線が向けられたが、セレスレーナはそっと顔を背け、彼の隣に立つ銀灰色の髪を垂らした美しい女性を見つめた。眼鏡をかけた彼女は婉然と笑い、手を差し出しながら低くなめらかな声で名乗った。
「初めまして、セレスレーナ殿下。アーヴレイム王国王立研究所、神石部門主任のレティチカ・ワグレートと申します」
「初めまして、セレスレーナ・ジェマリアンナです。神石部門というのはなんですか?」
「《天空石》ならびに《半天石》に関する研究、開発、調査を行う部署を指します。他にも異世界に存在する特殊な鉱石についても研究を行っています。本日お呼び立てしたのはディフリート殿下が持ち帰った《天空石》のかけらについてお尋ねしたいことがあったからです」
彼女がくるりと画面に向き直ると、コルデュオルの湖に沈んでいた《天空石》が現れた。
「ご記憶かと思いますが、こちらは緑林世界から持ち帰った《天空石》のかけらです。当研究所で調査を行った結果、神石の鳴動が確認できましたので《天空石》に間違いありません。――確認方法について疑問が?」
問いかける前に気付かれたので頷くと、レティチカは本を読み上げるように説明を始めた。
「《天空石》として判断するには、神石として鳴動することが条件です。鳴動ととしては、音、波動、光の三つがあります。特殊な装置を用いて音を響かせ、波動を測定し、発光させることによって《天空石》であるか判断します。ご理解いただけましたか?」
「波動というのはおとぎ話などで出てくる魔力のようなもののことですか?」
「世界によって呼称は様々ですが、そう考えていただいて構いません」
レティチカは微笑み、画面に別のものを出現させる。セレスレーナの心臓がどきりと音を立てた。
「こちらの《天空石》のかけらはご記憶でしょうか?」
「我が国の宝玉でした」
見覚えがあるそれは故郷で王権の象徴だった星銀石だ。今は《天空石》と呼ばれるもののかけらだと知っている。
「鳴動を確認した結果、極めて不可思議な状態であることが分かりました。これは確かに《天空石》のかけらですが、最も重要な要素である、波動の反応が微弱なのです。まるで中身が空っぽ、あるいは眠りについているかのような」
はっと息を飲み込んだセレスレーナを見逃さず、レティチカは言った。
「恐れながら、貴国ではこの石を使ってなんらかの現象を起こす人物が存在したか、あるいは儀式などが行われていたでしょうか?」
どうやらこのために呼ばれたらしい。セレスレーナは記憶を遡り、ジェマリア王国の宝玉の歴史を語るべく口を開いた。
「それは、血統の試金石なのです……」
星銀石は、ジェマリア王国のとある王の時代に空から流れたきたという。落ちた湖の底で光っているそれを王が手にしてみると見たこともないような宝玉だったので、杖の飾りにすることにした。すると不思議なことに、王が手にしている間その石は光を放った。臣下が杖を捧げ持ってきたとしても光るのは王が触れているときだけ。幼い王子や王女に触らせてみるとこれもまた光ったので、その石は王族の血に反応するらしいことが分かった。
以来立太子する者はこの石に触れて光り輝かせることで、自らの正当性を訴えてきた。――セレスレーナを除いて。
「私は宝玉を光らせることができませんでしたが、不義の子ではありません。幼い頃から祖母にあたる王太后様とそっくりだと言われてきましたから。それに亡くなった母は父王を深く愛していました。不貞を働くような人でもない」
様々な人に何度も主張し、自らも振り返ったことだ。きっぱりと言うセレスレーナにレティチカは謝意を示した。
「失礼いたしました。それでは、殿下は何故その宝玉を光らせることができなかったか、心当たりはございますか?」
そうして思い出す。あの日――。
「――立太子の儀には父王と私、見届け人となる神官、そして各国の王侯貴族が参列していました。儀式が始まり、王の宣誓のもと、私は台座に置かれていた星銀石を掬い上げようと両手で触れたんです」
今思えばコルデュオルで拾い上げた石と同じ感触だった。滅多なことでは触れられない宝玉だったからかひんやりとしており、冬の寒い日だったせいにしてもやけに冷たいと思った覚えがある。
「両手で高く戴いたとき、光ったのが見えた。でもそれは一瞬で潰えた」
周囲のざわめきと青ざめた父と神官たちの顔を見て、光らない石を押し抱いた。どうしてと呟いたけれど石は光を宿すことはなく沈黙し続けた。
「二度と光らなかった。…………けれど」
でもその時本当は何があったのか、父と神官にしか語っていない。
セレスレーナは順番に彼らの顔を見た。
みんな真剣な面持ちで聞いてくれていると分かるけれど、信じてもらえるだろうか。自分を守りたいがための嘘だろうと糾弾されないだろうか。
「大丈夫だ、レーナ」
はっとするような眼差しでディフリートが見つめていた。
「何があったか話してくれ」
その目、言葉に勇気をもらう。
セレスレーナが見たもの。それは。
「両手で石を掲げ一瞬光ったその時。――幽霊が現れて、ぽかんとしていた私の口の中に、石の光を注ぎ込んだんです」