掲げた石の光が視界を眩ませた一瞬、目の前にぼんやりとした何者かの影が現れた。
 長い髪の影は女性だろうと思われた。
 彼女はセレスレーナの持つ石を掬い上げると、ぽかんと開いた口の中に、雫を降らせるように光を注ぎ込んだのだった。
「口の中? 飲んだのですか?」
 レティチカが素早く尋ねた。セレスレーナは頷く。
「飲んだ、と思います。暑さも冷たさも感じなかったしその後何も変化はありませんでした。けれど気付いたときには、光らない宝玉だけが私の手元にあった。幽霊はもうおらず、それどころかそんなものは見なかったと周りにいた父王や神官たちは言いました」
 何か夢を見たのか、それとも啓示かと後に神官たちは討論を交わしたようだが、すでに遅かった。セレスレーナは宝玉を光らせることができなかった王太子という烙印を押されてしまったのだ。
 そっと唇を噛む。自国の誰に言っても決して信じてくれなかったことだったから、告白するには勇気が必要だった。語り終えた今でも不安で足元がぐらぐらしている。異世界の人々に『セレスレーナ殿下』と呼ばれているけれど、本当はその資格がないと思われても仕方がないのだ。
「どう思う、レティ? レーナの告白がその不可思議な状態に関係するのか」
 ディフリートが尋ねるとレティチカは考えながら言った。
「初めての事例です。ですが《天空石》のかけらの状態とセレスレーナ殿下の話を総合してひとつの仮説を立てることができます」
 レティチカは白衣の内側から丸い時計のようなものを取り出した。
「《天空石》の波動を捉える計測器の、当研究所で使用している高精度のものです。失礼を」
 そう言ってセレスレーナの前に立つと、彼女の手のひらの上にあった針が左から右へわずかに振れた。中央にある小さな球体はまっすぐセレスレーナを指している。
 かすかな驚きを静かに押し殺し、レティチカは頷いた。
「あくまで推測ですが、セレスレーナ殿下は《天空石》の波動を取り込まれたと思われます」
「取り込んだ!? それって《天空石》の力が内にあるってこと!?」
 驚くセレスレーナの疑問をシェラが代弁してくれる。
「そのことによって危険はないのか?」
「殿下ご自身が何も変化はないとおっしゃっておられたので、恐らく問題はないかと」
 そこで「あ」と気付く。
「それでコルデュオルの湖に沈んでいた《天空石》が光って見えたのか。私にだけ光が見えたのは、きっとそういうことなんだ」
「ほほう? そのお話、詳しくお聞かせ願えますか?」
 興味を示したレティチカに説明したのはディフリートだった。コルデュオルでの出来事を聞き終えると彼女はますます目を輝かせた。
「なるほど、《天空石》の力による能力の可能性は高い。しかし《天空石》の力を取り込んだ人間は初めての事例です。ぜひとも隈なく検査させていただきたいのですが……」
 眼鏡の奥の目が底知れぬ光を瞬かせたようで、ぞくりと後ずさりすると、ディフリートが割って入った。
「あんたが言うと洒落にならないから止めてくれ。レーナは実験体じゃない」
「何をおっしゃいますか。必要なことです。セレスレーナ殿下が取り込んだ力を《天空石》に戻さなければならないでしょう。そのためには精密検査を」
「レーナの血を採ったり身体の何から何まで調べられるのは俺の精神安定上よろしくないから、《天空石》の力を取り込んだ人間の前例や類似例を調べるところから始めてくれないか。世界は広いぞ、調べるだけで三日はかかる」
「私たちなら二日でやります」
「期待してる。その上で彼女の検査計画を立ててくれ。検査の時には俺も同席させてもらう。レーナもそれでいいか?」
 おかしな実験で弄ばれたくはなかったので急いで頷いた。
「必要なら協力は惜しまないわ」
 よしと頷いたディフリートは、レティチカに向き直った。
「聞いておきたいことがある。推測で構わないんだが、レーナが《天空石》を光らせることができなかったのは、彼女の血筋や生まれに瑕疵があったわけじゃないってことだな?」
「断定はできませんが、通常ならセレスレーナ殿下は《天空石》を光らせて儀式を滞りなく終了させていたと思います。ただ別の要因、殿下の前に現れた『幽霊』による干渉が儀式の失敗の要因になったことは間違いないでしょう。その幽霊が何なのかを確かめる必要がありますが」
「分かった。ありがとう」
 振り向いたディフリートの笑顔に、セレスレーナは言葉をなくして唇を震わせる。
 彼はセレスレーナが言い淀んだことで察したのだろう。石を光らせるという儀式に失敗したことがひとつの傷となっていたこと。それを口にするのも心を奮い立たせる必要があったこと。だから確認してくれた。何が原因だったのか。悪かったのはセレスレーナだったのかを。
(私のせいじゃなかった。私が王太子にふさわしくないから宝玉を光らせることができなかったのではなく、別の原因があった!)
 何もかも受け止めて立っていたつもりだったけれど、他人からこうして『お前のせいではない』と言ってもらえることがこんなにも安心することだったのかと思う。泣いてしまいそうだった。ディフリートに抱きついてありがとうと言いたかった。けれどちっぽけな自尊心と羞恥が、セレスレーナをその場に縫いとめる。
 それでもなけなしの勇気でお礼を言おうとしたとき、呼び出しの鈴の音がオーディオンの乗組員である三人の腕輪から響き渡った。
「こちらディフリート」
『カジだ。オーディオンで行っていた《天空石》の所在調査が終了した。少し見て欲しいものがある』
 ディフリートに向けてレティチカが頷いた。
「今レーナとシェラと一緒に王立研究所にいる。レティが許可をくれたから、オーディオンから研究所につないでくれ」
『了解』
《天空石》の表示が切り替わり、大樹の世界地図が表示された。枝に連なる実の内、端の方にある小さなものが赤く点滅している。
『城塞世界ファルアルジェンナから《天空石》の反応が消失しない。まだ石が残っていると思われる』
「…………なんだって?」
 ディフリートはレティチカに言った。
「ジェマリア王国の宝玉は《天空石》だって言ったよな?」
「ええ。先ほどの説明どおり、特殊な状態にありますが」
 そう言われてセレスレーナも事情が飲み込めた。城塞世界というのは故郷であるジェマリア王国がある世界を指しているのだ。そしてそこに《天空石》のかけらがあるということは。
「我が国の宝玉以外に《天空石》があったということ?」
『そのようだ』
 通信機の向こうでカジが言う。ディフリートは頭をかきむしった。
「……だっせえ。異世界に行っておきながら全部回収し損ねたなんて」
「ちょっと待って、あながちそうとも言えないんじゃない?」
 シェラが声を上げる。
「ファルアルジェンナに行ったとき《天空石》の反応はひとつだった。だからあの城の上に停泊したんだもの。ふたつあるなら次の座標を確認しているはず。それがなかったってことは、あたしたちがあそこに行ったとき《天空石》の反応はひとつきりだった。間違いないわ」
 航海士としての矜持が裏付けするシェラの言葉に、ディフリートは反論しなかった。代わりに《天空石》が新たに現れた可能性を考えている。
「ふたつ目が出現したってことは、埋まっていたものが地上に出てきたか、なんらかの変化があったってことだな」
 セレスレーナはシェラに尋ねた。
「そうやって新しく発見されるのはよくあることなのね? コルデュオルでもそうだったようだし」
「そうよ。地中深く埋まっていると計測器で捉えきれないのよね。地殻変動が起こって地表に近づくと反応が出るから、一度回収したとしてもまた現れることも多いの」
「なるほど。誰かが持ち込んだということではないのか……」
 するとディフリートとシェラ、カジがそれぞれはっとした。
 だがそれを打ち消したのはディフリートだ。
「その可能性は低い。《天空石》を運んでいる翔空士だったとしても保護装置に入れないわけがないからな。やっぱり新しく出現したんだろう」
 翔空士たちが《天空石》を運ぶときには特殊な保護装置の中に収めるらしい。その中に入っていると反応は感知されないそうだ。
『どうする、ディー?』
「決まってる。行くぞ、ファルアルジェンナに」
「レーナをどうするつもり? 城塞世界に行くならこの子が故郷に帰る機会じゃないの?」
 シェラの制止を聞いて、セレスレーナはディフリートと見つめ合った。
 帰りたい気持ちとそう言いたくない気持ちがせめぎあっている。でも帰らなくてはならないのだ。しかしディフリートはセレスレーナの涙の意味を知っている。
「帰すかどうかは明日考える」
 そう言ってディフリートは明朝出発することを告げた。心を揺らすセレスレーナは勝手に道を決められることを今は感謝した。もう一度よく考える時間が必要だった。



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