叫び声を聞いて物見高く顔を出した酒場の人々の背後、奥の机に男が一人、思考を巡らせる顔で座っている。近付いたゴウガは、困ったように眉を寄せて問いかけた。
「あんなこと言ってよかったのか、あの竜は……」
「構わない」
 一言で応じた男は、ずれた眼鏡を押し上げる。
「旅人だ。駒にするにはちょうどいい。街の住人ではないから、守る義務もない」
 その言葉通り、何の感慨も持っていないようだった。

   *

 午前中の市場は人で溢れる。広い通りに、昼食の買い物に来た女たちが商品に値引き交渉をしていたり、知り合いにあって立ち止まる光景や、買い付けにきた商人たちが馬車で行き交い、地方から荷を運んできた馬車が通り、売り子のだみ声が響き渡って、活気に溢れている。
 セノオより南に位置し、組織がいくつもあるためか、品揃えが違っていて目新しい。ついでに言えば怪しげな店も多い。マミヤ伝統の呪いの壷とは何だろう。少しずつ大きさの違うものがいくつもあるが、呪いが並んでいると考えると壮絶だ。
 巡らせていた首を元に戻したキサラギは、ぴきんと走る痛みにいたたと頭を押さえた。
「思いっきり殴りやがって……」
 思わず怒りに任せて叫んだキサラギだったが、それ以上噛み付こうとすると剣でごんと殴られた。思わず頭を抑えて呻くと、馬鹿じゃないのか馬鹿だろうと言外に匂わせる視線を向けられた。あの涼しげな顔は慌てふためきもしなかった、と思い出してむかむかしていると、血が巡って殴られたところがずきずきと痛んだ。
 だが今は買い物だ。宿で教えてもらった乾物屋に顔を出す。
「すみません、干し肉を銅七枚」
「はいよ! ……おやあんた、昨日叫んでたお嬢さんじゃないか」
 ぎく。頬の痩けた白髪の老女はキサラギを見知っているようだ。と言うより、付け足された「あの綺麗なお兄さんと一緒の」というところから、やはりセンの連れと見なされているらしい。
 さてまずいことになったと冷や汗をだらだらかいていると、にやりと老女が笑った。
「だめだよあんた。あんないい男捕まえて竜人野郎ってのは。せめてくそ野郎にしときな」
「はい?」
「竜人野郎って罵倒は新しいと思ったけどねえ」
 その時背後をりゅーじんやろーりゅーじんやろーと口々に叫ぶ子どもたちが通り過ぎていくので耳を疑う。なんだ今の。
 しみじみと老女は頷いている。
「そりゃあ、男に腹立つこともあるわさ。どうせお兄さんが言い寄ってくる女のせいで、ちょーっとあんたから目を離しちまったんだろうけど、そういうのを許す寛容さが肝心さ」
 話を聞いていくと、やがてぽかんとして何も言えなくなった。呆然としていると分かる会と竜狩り以上に眼光鋭く問われ、慌ててはあと頷く。
「あたしもねえ、あんたくらい可愛いときがあったもんさ」
 話はそれから老女の夫の話に及んで、亭主がいつものように酒代をせびったかと思えば実は月の国の王子で故郷に帰らなくちゃいけないから待っていてほしいと言うので追い出してさっさと寝ると本当にいなくなっていて、という嘘か本当か分からない話になり、しばらくして帰ってきたけれど結局は先立たれたんだよと声を詰まらせたので慰めると、最後は「良い子だねあんた」と鼻をかむ音で締めくくられた。
 何の話をしていたか忘れた。訂正すべきところがあったような気がするのだが。
 悲鳴と馬のいななきが通りの向こうから上がって周囲がはっと身を強ばらせた。この人通りだというのに速度を緩めない騎馬の一団が現れる。
「どけ、どけ! マミヤ守護団だ!」
 先頭を駆けてきた大馬の手綱を引いた男が叫ぶ。
「我らの道を邪魔するな! とっとと退け!」
 避け損なった少女に、男は剣を振り上げる。
 しかしその剣筋は飛んだ何か小さな物に逸らされる。剣の中央にぶつかったそれは人混みの中でくるくると円を描き、やがて多くの足の間を縫い、少年の足元に転がって拾われた。
「銅貨だ……!」
 だがざわめきでその声は聞き取られず、少年もまた路地裏に消えた。
 そして剣を逸らされた男やその取り巻きは、飛んできたものを視認できなかったようで辺りを見回していた。
「だめだよ」
 キサラギは小さな声に留められて柄から手を離す。乾物屋の老女が首を振った。
「あれは守護団の長さ。逆らえば、旅人も容赦しないよ」
 あれが、とキサラギは改めて男を見る。
 粗野で乱暴者なのがすぐに見て取れる。身なりもきちんとしておらず、鎧などは過剰で華美だ。あれでは重くて身動きが取れない。つまり、竜狩りとしての戦闘能力の質は低いと見た。
「ちっ……まあいい、祭りの前だ、許してやることをありがたく思え! 行くぞ!」
 大声で呟いた男は、仲間を引き連れて再び荒れるような速度で馬を駆けさせていく。
 嵐の後は、無茶苦茶な市場を残していった。店先も通りも荒れてしまっている。一団は傍若無人に通り過ぎたが、人々は誰も文句を言わず黙々と片付け始めた。お互いに協力的な心があるようだが、反抗的な言葉は一言も洩れなかった。
「仕方がないね……」
 老女もそう言ったきりため息をつくばかりだった。
 人混みにいて気付いたのは、竜狩り組織がやはり多いことだ。セノオと違って服装規定があるのか、所属によって装備が異なっている。そして、人々が無意識に避けている装備の者たちが目に留まる。
 マミヤ守護団。竜の宝を手に入れた者たち。
「あたしたちにも『宝』があったらねえ、張り合うくらいは出来るんだけど」
 無力感に苛まれる悲しい呟きが聞こえた時、はっと顔を上げた。自分のすべきことが閃いたのだ。
「ねえ、おばあちゃん。マミヤ守護団って竜の宝を持ってるんだよね」
「らしいねえ。拝んだことはないけど」
「私はね、持ってるんだよ」
 老女は目を瞬かせた。
「何をさ」
 潜り込めないのなら、あちらから引き込みにくるよう持っていけばいい。マミヤ守護団が欲しがるのは竜狩りではなく、何か重要なものだ。それは自身の力を大きくしたりするもの。取り込まなければ邪魔になるもの。何か秘密にしなければならないもの。
「竜の宝さ」
 ぽかんとする老女に、キサラギはにっこりした。

    



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