全員が下馬する。進み出たのは、フォルディアの外交官クエドとエタニカ、相手側はグレドマリアの騎士だ。
 相手はクエドより、縦にも横にも大きく、麦色の髭を蓄えた雄々しい顔をしている。陽光にきらめく勲章と、裏打ちされた青い外套が鮮やかだった。
「ようこそいらせられました。これよりフォルディア王女アンナ殿下をお守りする、バルト・レドと申す。グレドマリア王国近衛騎士団長を務めております。後ろに控えるは我が騎士たち」
 太くしゃがれた声に応じて、白地に金の縫い取りを施した騎士たちが目礼する。クエド外交官の視線を受けたエタニカは、間違いないと頷いてみせた。
 バルト・レド将軍。戦場で何度か見かけたことがあったが、エタニカは内心で驚いていた。騎士団長が出てくるとは思わなかったのだ。どうやらフォルディア王女に相応の敬意を払うつもりでいるらしい。
「お出迎え、誠に感謝致します。こちらも王都に到着するまで同行させていただきます。また、こちらにあらせられる、エタニカ・ルネ殿下が、アンナ殿下の相談役としてしばらく滞在いたします」
 エタニカは会釈した。殿下、という呼び名のむずがゆさに叫びそうになる。
 故国で、日陰の者をそう呼ぶことはない。
 これは対外的に、特例として付属させたあだ名のようなものだ。誰もエタニカを『殿下』だと思ったことはないはずだった。そして、グレドマリアにも、妾腹の王女が物好きに剣士になったという噂は聞こえているはず。滑稽を通り越して羞恥で顔が赤くなる。
 しかし、バルト将軍は穏やかに笑ったのだった。
「よろしくお願い申し上げる。私では行き届かぬところがありましょうし、慣れぬ異国の城で姉君が支えになっていただけるのなら、アンナ殿下も安心なさいましょう」
 将軍の物言いに好感を覚えたエタニカは、ふと馬車を見遣ったが、ナラはこちらに首を振ってみせた。どうやら、また泣き始めてしまったらしい。
「申し訳ありません。王女にご挨拶いただきたいのですが、どうやら体調が思わしくなく……」
「承知しております。近いうちにご尊顔に拝謁できることを楽しみにしております」
 挨拶は終わった。合流し大隊になった一行は、街道をしばらく西に進み、やがて北に向かって、グレドマリア王都アレムスを目指す。
 愛馬の背に揺られていたエタニカは、並んだのがバルト将軍だったので、軽く微笑んで会釈する。将軍は、先ほどのしかつめらしい表情は消えて、陽気な、親しみのある顔をしていた。
「こんなところでお会いすることになるとは、時代は変わるものですな」
「……まさかバルト将軍に覚えていただけているとは思いませんでした。私は隊を率いることはあっても、将軍のように武功をあげているわけではないので」
 近衛騎士団の長を務めるように、バルト・レドの名と武勇は国内外で有名だ。グレドマリアの守護の剣であり盾。長大な剣を用いて戦場を駆け回る様は竜巻のようだと言われている。
 そんなバルトは、服装こそ騎士団長だが、相手に対する敬意と年下への気安さを滲ませる、ただの気のいい壮年の男性にしか見えない。エタニカと並べば祖父と孫といった風情だろう。
「ご謙遜を。エタニカ姫といえば、見事な黒髪と美しい金目はもちろん、舞うように剣を扱うと若い者たちには女神のごとく讃えられているというのに」
「そのような賛辞は過ぎるものです。讃えられるのならば、将軍のような方に『戦鬼のようだ』と言われる方が嬉しいのですが」
 将軍は目を丸くし、噴き出した。
「なるほど。では、もし私が姫について口にすることが許されるのならば――まだまだ青いと言わざるを得ない」
 エタニカは破顔一笑した。
「そのお言葉、何よりも励みになります」
 行く道なりの黒く突き出した固い岸壁は、かつてこの地に降りた竜が火を噴いたせいだと言われている。
 彼方の国の神々から遣わされた神の僕たちは、次々に人の国に舞い降りると、火を吹き、水を起こした。地表は黒く焼かれ、石は溶けて赤く燃えたぎった。洪水はそれらを洗い流そうと渦を巻いた。人間は、船を出して災いから逃れようとした。
 この時の船に、音楽を愛する者と剣を携えた者がいた。剣士は炎を断ち、奏者は音楽を奏でた。奏者の楽に免じて、竜たちは人を許し、彼方の国へ帰っていった。水が治まった大地に、両者は国を作った。
 その末裔が、フォルディアとグレドマリアの二国に別れている。そして今でも剣を奉り、音楽を鎮めの技として奏で愛する。未だ魔法が片隅に残る、そんな国だった。
 からから、と小石が転がる音がして、エタニカは黒岩の上を仰いだ。
 何か動くものが見えた気がする。
 動物だろうか。街道を横断する放牧の群がいるのかもしれない。バルト将軍に注意を促そうとしたときだった。ひゅっと空を切る音がして、先導者の目前に矢が立った。
 馬が竿立ちになる。鳴き声に一行が足を止めた一瞬だった。わああっと、鬨の声を上げて、何者かの一群が岩山を越えてやってきたのだ。エタニカは腰から剣を引き抜いた。
「騎士たち! アンナを守れ! 余地があればグレドマリアの援護を!」
 隙間なく馬車を囲んだ騎士たちは抜刀して構えた。
 だがそれよりも早くグレドマリアの者たちが、無頼ものを斬り捨てていく。
 中でもバルト将軍の剣風は凄まじく、群れているところに突っ込んでは、あっという間に蹴散らしてしまう。零された者は彼の部下が確実に仕留めた。フォルディア騎士の出る幕はほとんどない。
 鉄壁ほどの攻勢と、油断ない防御に、こちらがただ者ではないと判断したらしい。
 襲撃者は、高い笛を吹いて尻尾を巻いて逃げていく。
 追うなと将軍が命じる。ものの数分の出来事だった。新手が来ないと判断して、剣士たちは、緊張をわずかに緩めて息を吐いた。
「スタンレイ! 被害の確認を」
 告げて、エタニカは馬車に走っていった。アンナ、と声をかけて中を覗き込むと、泣きそうな顔のナラと、彼女が揺さぶっているアンナが目に入った。
「アンナ!」
「気を失ってしまわれたんです! なんて恐ろしい国なんでしょう……!」
 安堵した。気を失ってくれてよかった。泣いて取り乱せば、精神薄弱な王女と噂が立って、アンナ自身の信頼にも関わる。
「しばらく寝かせておいてやってくれ。今日までよく眠っていないだろうから」
 スタンレイの報告によると、グレドマリアの騎士たちが数名残り、近くに領主館があるので、斬った野盗どもは彼らが対応してくれるという。
 人が抜けるため、護衛の陣形を再構成させる中、クエドがやってきて不満げに言った。
「迅速な判断は買いますが、我が国の騎士が腕に自信なしと思われたのではありませんか」
「この国のことを知っているのは、この国の方々です。相手が手練であった場合、確実に追い込めるのは、グレドマリアの騎士たちだと思いました。それに、功を逸るほどフォルディアの騎士は落ちぶれておりません。外交官殿。守ることは、攻め込むよりも難しいことです」
「さすがは【剣姫】。守りに徹してくださったおかげで、思う存分戦うことができました」
 十以上年下の娘に静かに諭され、クエドは嫌悪の顔を隠そうとしなかった。バルト将軍が来なければ、まだ何か言っていただろう。
「こちらこそ、将軍が味方でこれほど心強かったことはありません」
 バルトは厳しい顔つきで頭を下げた。
「面目ない。まさか、あのような不埒者に襲撃されるとは」
「被害はなかったのでしょう? そのように謝罪されることはありません。しかし……あれは、我が国や貴国に叛意を持つ者たちなのでしょうか」
「恐らくは脱走兵が野盗に堕ちたものでしょう。嘆かわしいことだ。我が身の不足を思い知らされる」
 きゃっ、とかすかな悲鳴。
 驚いて馬車を見ると、扉が開き、アンナがベールも被らずに姿を現している。どうやらつまずいたらしい、倒れ込むところを、側にいたグレドマリアの騎士に支えられていた。
「アンナ!」
 騎士は、優しく添えていた手を離し、エタニカに譲った。エタニカは慌ててアンナを車の中に戻し、腕をさすってやる。自国でも秘されていた王女が素顔を見られるなどとんでもない。
「アンナ、大丈夫か?」
 アンナ? ともう一度呼びかけると、アンナはゆっくり瞬きをし、こくりと頷いた。まだ精神状態が落ち着いていないらしいと判断し「少し休むか?」と尋ねたが、アンナは心ここにあらずといった様子で瞬きを繰り返すだけだ。
(よほど驚いたんだな。可哀想に)
 ナラにアンナを託し、止まってしまった行程を今度こそ再開した。警戒を続けたおかげで、無事に日が落ちきる前に都に到着することができた。



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