「ご説明、いただけるのでしょうな?」
 エタニカは黙ってベールを外した。将軍から何とも言えないうめき声が漏れる。
「まさか、本当に……エタニカ様とは」
 絶句から辛うじて踏みとどまった様子で零され、エタニカは苦く微笑む。これまでのことを説明しようと口を開く前に、シンフォードが「将軍」と呼びかけ、その役割を代わった。
 到着したその日にアンナ王女と付き添いの女官が消えた。恐らくは今行方が知れなくなっている騎士ライハルトが同道している。両国の関係を慮ってエタニカが一時的な身代わりを申し出、それを了承し、現在三人の捜索を行っている。ラメルには、王女のものと思わしき手がかりを得たために赴いたが、王女を捕らえていたはずの者たちが殺害されていた。
 順を追っていくと、とんでもないことをしていると熱と凍みの両方が昇ってきた。
 眉間にきつい皺を作って聞いている将軍は、馬鹿なことをと笑い飛ばすことはなかったが、苦く思っているのは間違いなかった。
「それで、手がかりはあったのですか」
 エタニカはシンフォードを仰いだ。
「王女は見つからなかった。それどころか関わった者全員が皆殺しだ。根城も探ったが、めぼしい手がかりもなかった。殺されたのは何ら関係のない無頼ものとしか思えない。ジュール司教は、囚われていたのが女性だったとも知らなかったようだ」
「髪は、確かにアンナのものだと思ったのですが……」
「姿を隠すために王女が切ったものを、女官が持っていたのかもしれない」
 手がかりが途絶えてしまった。分かったのは、やはりアンナが城を出てしまったということだけだ。アンナとライハルトは、どこへ行ってしまったのだろう。
(ラメルからならば、フォルディアはさほど遠くない……)
 ふとそんなことが浮かんだが、有り得ない。故国へ戻ってもあの子の逃げ場はないはずだ。アンナを国から出したのは、国王その人なのだから。
「協力者が他にいるのでしょうか。何故、三人は別れて逃亡することになったのか……」
「王女のことを知っているのが口封じした者たちだけならば、最初から囚われたのは女官一人で、二人はそのとき別の者に匿われていたのだろう。……二人にそこまでしてやる理由がある者に心当たりがないが、一度浚ってみた方がいいかもしれない」
「私もラメル周辺を調査いたしましょう。知っていればもう少し目を配ったのですが、お恨み申し上げますぞ、殿下。このような大事に何故我らを頼ってくださらぬ」
「閣下。私が極秘にとお願いしたのです。殿下は無茶だとご存知でした」
「姫は懸命な方だと存じておりまする。ですが、これはさすがに殿下がお止めするべきだった」
 バルトはエタニカを責めない。孫にする優しい目をするだけだ。違うのだと訴えるようとするが、バルトはエタニカに何も言わなかった。
「殿下はこれからいかがされます」
「アレムスに戻って体勢を整えたい。疑わしい者を挙げておく。姫、貴方もフォルディア国内の様子を探っておいてほしい。ここまで来ると、単に逃亡を助けているだけとは考えられない。和平が成立して困る輩がいるのかもしれん」
 唾を飲み下した。
 そんな恐ろしいことがあるわけがない。しかし、底知れぬ不安が胸の底に渦を巻いていた。これは単なる妹の逃亡ではないのかもしれない。飲み下したものが重かった。自分の信じている物が揺らぎ始めている予感だった。

       *

 ロルフはいつも扉を軽快に叩く。先ほどはそれに騙された。彼一人だと思い込んだのだ。返答したシンフォードは、顔を覗かせた友をすがめた目で見遣り、嘆息した。ロルフは悪びれない様子で言う。
「手当してもらったんだな。意外にしっかりしている人のようだ」
「そんなに信用ならなかったか、王女は」
「弱みでも握られているのかと思った。脅しでもされなければ、お前があれほど大事にするとは思えなかったからな。でも杞憂だったようだ。医師か緊急事態でもなければ肌を見せたくないお前が、彼女の手当を受けたんだから」
「演技だとは思わないのか」
「あの場合なら『見せるのは忍びない』と追い返すことが可能だった。それをしなかったお前は間違いなく彼女に心を許しているよ」
 彼女の手を思い出す。気遣っているが、ためらいがちな弱々しいものではなく、しっかりとした手つきで段取りよく手当をしていった。こんな傷は嫌というほど見てきたのだろう。
 けれど、いつでもまっすぐな目をしていた。戦場を見てきたとは思えない。彼女の眼差しはベール越しでも、息を呑むほど強いときがある。顔を背けなければ射抜かれてしまうのではと思う。高潔で濁りのない、光そのもの。驚愕するくらいに無垢で、大胆なときには呼吸を忘れてしまう。だというのに、怒りは苛烈だ。妹を語るときの表情は優美で、羨ましくなる。
「嫌だな、思い出し笑いか。そんなに彼女が大事なのか? 性格は? 美人か?」
「勤勉で、義務を重んじ、融通はきかないところがあるが、寛容だ。愛らしいというよりは、凛として気高い」
 今、まばゆい衣装に身を包むその娘は、裾をさばくことに必死で、絹の手袋を不自然に感じている、本来なら思いきり地を蹴って疾駆し剣を握ることをさだめとする騎士だ。しかし、どんな王女よりも、貴族の娘よりも、気高く美しいとシンフォードは知った。
 ただ、その輝きには常に不安の影が差す。妹王女への懸念が突き刺さってやまないのだ。早く取り除いてやりたいと思うが、シンフォードは顔を険しくした。もし、この推測が誤りでないのだとしたら。
「目を離せない。危なっかしく不器用な時があって、必死になっているところは庇護をそそられる。勇敢で物怖じせず、正しいことを口に出来る勇気あるひとだ。話しているとまた新しいところが分かって、飽きない。それに、抱き心地がとてもいい」
「だきごこち?」
「抱くと、とても温かい。感触という意味で」
「えっと…………柔らかいの?」
「とても」
「……お前の婚約者の話だよな?」
 少し考え、答えた。
「私の愛しい人の話だ」
 しかし、その真実の名は公に口にすることができない。いつ本当の名を呼べるのか。たったそれだけことで、胸に締め付けを覚えている。
 ロルフは天を仰いだ。
「友よ。それは恋の始まりだ」
 シンフォードは微笑した。
「陳腐だ」
「そうとも、月並みでありきたりだが、真理だ。運命だよ。……こら、何を笑っているんだ」



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