「シンフォード様が伝えたことが、すべてです。それが全部よ」
 エタニカの館にいた小柄な老女は、まずそう言った。若い頃は可憐で愛らしかったのだろうと想像できる、小顔で目が大きく、所作の美しい貴婦人だった。
 彼女の言葉を打ち消すもう一人の声。
「いいえ、そうではありません。それを語るために、私はこうしているのです……」
 鈍色の仮面。
 顔の半分を仮面で覆う王妃エタニカ・ルネは、最初の言葉に向けて優しい否定を口にした。
 その年老いた美しい老婦人が二人並んだことが、文筆家の目を大きく見張らせた。
 ――アンナ・シア王女はあの日以降、誰の目にも触れぬよう隠された。アンナの子どもの父親は明らかにならず、母子は追放され、グレドマリア国内の地方で過ごした記録があるが、詳細は一切伏せられ、以降表舞台から姿を消した。隠棲の館に住まう者は誰もいないという噂が立ち、このことから、シンフォードが秘密裏にを処刑したとも、エタニカが国外へ逃がしたのだとも言われている。しかし、エタニカに似たこの老婦人は、もしかして……。
 白い帳が揺れ、午後の光が彼女を照らす。
 どの脅威からも遠ざけられた美しい朱金色が世界を満たしていく。
 エタニカは、苛烈な娘時代を忘れさせるほど、穏やかに微笑んでこちらを見守っている。すべきことを終えて、残された時間を見送る静寂が、そこにある。
 様々な疑問や不思議が残されていた。そのためにここに来た。
 しかし、尋ねるべきことは、たった一つという気がした。

「あなたは、運命の姫だったのでしょうか。聖女フレドリカのように、魔法の鍵――奇跡を手に入れた……?」

 婦人が「わたしは知っているわ」と呟く。
 並んだ二人は、しっかりと老いた指を仲睦まじく絡め合い、手を握っている。
 離れないように。――失わないように。
 そしてエタニカ・ルネ・グレドマリアは、身分には素っ気なさ過ぎる胸元の古びた鍵を握りしめた。そうして、時を経たからこそ美しい憂えた表情で、少女のような傷つきに眉をひそめながらも、こう答えてくれたのだった。

「それはどうか、あなたがきめてください」



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