<<  ―    ―  >>

 聖堂の中央に置かれる箱ならば、死体を収める棺と相場が決まっている。それは、戦場ならどこにでもある木製の棺桶だった。高貴な身分でもなければ、彫刻など施されず、ただの木枠や桶の中に折り畳まれて、土に埋められる。辛うじて贈られた花に埋もれ、死者は眠る。祈りの言葉と鐘の音に導かれ、星神シュリアの元で星になって輝く、その死の旅立ちの前。
 ――青い髪の女が起き上がる。
 死人装束を身につけた女の唇から、はあ、と息がこぼれ、聖堂に響く。甘いような、艶かしい、苦しそうな吐息。
 女の青い瞳は聖堂の星十字を見上げ、自分を見下ろし、皮肉な笑いに顔を歪めた。
 そこにいるのは一体なんなのか。
「レシュ、ノルティア……?」
 かすれた呼び声に彼女が反応した。子どもが近しい者に見せるような透き通った目で彼を捉え、彼らは絶句する。
 女は――笑ったのだ。



第1章 青い女



 目覚めは時間を飛び越えることに等しい。例え五百年の時であっても夢から覚める時は一飛びに越えられる。小川を越えるよりも容易に時が流れるのだ。
 夜の冷えた空気を吸い込んで、添い寝相手の剣を取り、起き上がる。
「隊長、時間です」
「今行く」
 はっきりした声で返答すると、身につけたままだった胴衣の位置を直し、使い込まれた篭手と足鎧を素早く装着した。髪を紐でまとめあげると、頭巾を持って寝所にしていた茨の茂みから出る。
 風が冷たい、明るい夜だった。ようやく夜半を過ぎたところで、月も星も冴え冴えとしていた。これから開始される作戦に、空が晴れていることは好ましくはなかったが、東風の様子だとあと半時ほどで曇り始めるだろう。
「城塞の様子は?」
 端的な問いにアイサイトは答えた。
「静かです。日中、都に使者を出してましたが、それ以降は動きがありません。平穏そのものです」
「ったく、どこの坊々だよ。自国との関係不安定な隣国に遠足に行く大馬鹿は」
 酒焼けしたしゃがれ声で罵ったのは、小汚い姿をした、しかし彼の刃と同じく眼光の鋭いアクスだ。周りから笑い声があがる。薄汚れた外套や、洗っていない身体、伸ばしっぱなしの髭の彼らに、レシュノルティアは「騒ぐな」と肩を揺らしながら言った。
「大馬鹿だから報酬も法外なんだろう。私たちの行方を突き止めて依頼してくるんだから、よっぽどの要人か……」
「大うつけだ」と後を続けたイアーのにやにや声に、また笑い声があがった。その野卑な笑い声に、レシュノルティアの娘らしい高い笑い声が混じる。
「その通り! だが大うつけでも私たち銀青傭兵団にとってはい金づるだ。せいぜい搾り取ってやろうじゃないか。でも深入りはするなよ。報酬を受け取ったら素早く解散すること。消されてはたまらないからな」
 寄せ集めだがそれぞれ名のある自由兵たちは低く笑った。束縛を嫌う彼ら傭兵がこうして集まるのは報酬が高額なためだ。
 銀青傭兵団が受ける暗殺や虐殺以外の表沙汰にできない依頼は、戦争をするより効率よく稼げる仕事だ。しかしそういった金払いのいい客の中には、他の組織や別口を使って、こちらを始末しようとする輩が少なくなかったのだった。
「城塞攻略とは腕が鳴るじゃねえか」
 楽しげにアクスが言い、その通り名に由来する大斧を担ぎ直す。
「城を攻略するのがそんなに嬉しいのか」
「城を落とすのは男の憧れなんだぜ、レシュ。まあ、今回は落としちゃなんねえけどよ」
 正体不明の組織に襲撃されたとはいえ、城が陥落すれば外交問題に発展してしまう可能性がなきにしもあらず。つくづく残念だとでも言いそうな声にレシュノルティアは苦笑を浮かべ、闇の中から見張りの灯火が揺れる城塞を望み、今回の依頼をさらった。
「――今回の任務は、あのファルム王国国境城塞に捕らえられているという、『グレイ』なる人物を秘密裏に救出すること。その際、誰一人痕跡を残してはならないし、捕らえられてもいけない。万が一捕縛された場合、一切を自身の責任として負うこと」
 依頼人が誰かということは聞かないし、その救出対象の名前以外は知らされていないが、城塞に忍び込んで虜囚を解放することは戦争行為とほぼ同等だ。今回、銀青傭兵団は盗賊を装い、城塞に侵入し、内部を引っ掻き回す一方、対象を保護する手はずになっている。盗賊が捕まると縛り首だが、こうして集まっている彼らがそんなへまをするはずがない。――永の旅路にレシュノルティアが手に入れたのは、そういう穏やかでない者たちへの信頼だった。
 月が陰った。雲が集まり始めている。
「風の精霊がいい風をくれるようだ」
「……お前って、時々生きてる時代を間違ってるよな」
「そうそう。そういうのって、今時信心深いばばあでも言わないぜ」
 イアーとアクスが呆れたように言う。レシュノルティアは巻き付けた頭巾の内で笑い、告げた。
「行くぞ」

 城の背後にそびえる鼠落としの杭の山を静かに登っていく。国境を警備すべく築かれたファルム国の城塞は、エルディア国との情勢は不安定ながらも、相手側に動きが見えないためか、今夜は静かなものだった。
 小山を登っているかのような身軽さで先頭を行くのは、侵入の達人マウスと、普段は猟師をしているハンターだ。二人は足音すら立てずに頂上にたどり着くと、壁に爪の付いた縄を引っ掛けてこちら側に垂らしてから、あっという間に向こうに消えた。やがて殴り合う音と昏倒するかすかなうめき声が聞こえる。見張りを倒した音だ。
 二人が投げた縄を使い、アクスや、大槌を持ったハンマーや大剣を背負うブレイドたちが壁を越える。マウスたちが転がった見張りを物陰に隠している間に、レシュノルティアたちは砦の中に侵入を果たした。
 傭兵たちは仲間が揃っていることを確認すると、それぞれに散開していく。アクスやブレイドたちは門を開けるために、マウスやハンターたちは城内を掻き乱すために。レシュノルティアの目標は、この砦の北にある塔の地下牢だ。そこに『グレイ』は捕らえられているらしい。
 闇を伝って北に向かった。兵士たちが巡回しているが、手に明るい松明があるかぎり、彼らは闇の中に潜むレシュノルティアを見つけることは困難だ。それほどまでに闇は濃く、光とは一線を画している。
 親しい闇をまとって、レシュノルティアは駆けた。
 最大の難所は塔の入り口だった。準備段階で内部調査を行ったアイサイトの言葉通り、見張りが二人立っている。離れた建物の影に潜んで、空を見上げた。
 青い月が雲の隙間から見えた。風が強いせいで光は頼りなく、雲に隠れては現れる。
 やがて、カンカンカンカン、と金属板の鳴る音がした。
 来た、とレシュノルティアは身構えた。突然の警鐘に城内の空気が張りつめ、騒然とし始める。見張りの兵たちもまた、何が起こったのかと強ばった顔を見合わせた。
 そこへ、彼らと同じ装備をした兵士が走ってきた。
「お前たち、侵入者だ! 城内に火をつけやがった、急いで消火に当たれ!」
「しかし塔の警備は!?」
「後回しだそんなもん! 今朝使者を出したばかりだぞ。もし都から将軍や殿下がおいでになった時、城が陥落していたら……!」
 兵士たちはその一言に青ざめ、慌てて火の元へ走り出した。彼らの目指す先、夜の中にももくもくとのぼる煙は、火の色を含んだ灰色になっている。
 見張りがいなくなると、レシュノルティアはその場に残っていた兵士に素早く駆け寄り、声をかけた。
「ご苦労、ミラー。鍵は」
 男は、親しげな口調の古参兵の役を脱ぎ捨てた、静かな声で答えた。
「牢獄の鍵は地下入り口の柱に。手枷の鍵は城主が持っていて、手に入れることができませんでした。対象は、一目ご覧になればお分かりになるかと思います」
 笑いを含んだ言葉にレシュノルティアは眉を上げたが、問い返す時間を惜しんだ。
「了解。気をつけて逃げろ」
「かしこまりました。隊長もお気をつけて」

<<  ―    ―  >>



―  INDEX  ―