<<  ―    ―  >>

「静かだな。死体が動くとは思えないくらいに。同一犯とは限らぬが、犯人は死体を集めてどうしようというのだろう?」
「魔術」
 なんだって? と問い返したグレイに、交差する墓標を見つめながら答えた。
「魔術……今は呪術と呼ぶが。そういう術において、最も効果的な触媒というのは、生き物の血と肉だ。もちろん、子どもや女や生きた者の血肉の方が力はあるが、それを大量に集めるには多数の行方不明者を出すことになる。なら、今この世で最も効果的な収集方法はなんだ? ――戦争が一番、効率がいいんだろう」
 戦場で死体が消える、という異変について、レシュノルティアが出した結論だった。
 あの時魔術師は言ったはずだ。力を集めるために城中の人間を殺したと。それでも足りなかったから自身の魔力を削ったとも言った。魔術師が死体を集めているのは間違いない。目的は恐らく、強大な術を仕掛けるためだ。
 別の誰かを不老不死にしようというのか、それとも別の術なのかは、魔術に疎いレシュノルティアには想像がつかない。魔術に詳しい者がいない現代で、予測を付けられる者もいないだろう。
 だが、どちらにせよ殺すだけだ。
 高いところから見下ろす墓地は、地上で見るよりも重い闇が霧のようにかかっている。十字架が無数に突き刺さっているのが、そこに死体があるはずなのに箱庭のような嘘くささを感じさせた。
 人の営みも、命も、目覚めれば一瞬に過ぎるような過去と同じもので、誰かが遊んでいる小さな作り物なのかもしれない、と急に怖くなった。
 そうであるなら。もし、本当にそうなら。レシュノルティアの痛みも憎しみも、父や、レイアスの死も、星が瞬く刹那でしかなく、何も悲しむことなどないのかもしれない。殺された者たちやレイアスには、救いがあるのかもしれない。
 ――でも、私が救うんだ。
 そうしなければならない。見えもしない神に願わずとも、永遠の命を与えられた自分が、地に足をつけ剣を手に駆けてきたからこそ、彼らを救うことができるのだ。
 だからどうか、力を。
 あの魔術師をこの世から消し去る力を。
 地上でうごめく影を捉え、レシュノルティアは歓喜に似た声をあげた。
「来た……!」
「なに……待て、レシュ!」
 飛んだレシュノルティアは、軽やかに地面に降り立つと、棺に近付いた影に飛びかかった。絶叫した影ともつれあいながら相手を押さえつけ、剣を突きつける。死霊かと思えるほどの甲高い悲鳴が上がった。
「お前っ……!?」
「レシュ! そいつは……」
「ひいいいっ、殺さないでくれえー!」
 何かがおかしいと動きを止めるレシュノルティアに、追いついてきたグレイが冷静に告げた。
「見覚えがあるぞ。そいつ、確かファルム国境城塞の地下牢にいた奴だ」
 おおんおおんと情けない声で泣く男に、レシュノルティアは脱力した。
「盗賊……墓荒らし、か」
 しかし感情は収まらず、うるさい、とレシュノルティアは盗賊を殴りつけた。
 それでもやっぱり気が収まらなかったのでもう一度手を振り上げると、盗賊はわあっと号泣したが、次の瞬間、レシュノルティアとグレイは手を伸ばして全力でその口を塞いだ。哀れな盗賊は今度こそ殺されると涙を浮かべ、レシュノルティアが影へ男へ引っ張り込もうとすると、グレイが静かにそれを担ぎ上げる。
 陰に潜んだ三人は、闇に目を凝らした。
 金属音が近付いてきていた。甲冑の音だ。
(ディピア兵……まさか、行軍か)
 グレイがくつりと喉を鳴らした。
「なるほど、よほど王の不興を買ったらしい……」
 獰猛な目をして低く呟き、兵たちの進行方向が国境であることを確認している。数は数十名ほど。レシュノルティアは囁いた。
「どうする、襲撃するか。あれくらいなら潰せるが……」
「だが、数が少なすぎる。別働隊がいる可能性が高い。駆けつけられると厄介だぞ」
 レシュノルティアの懸念を正確に口にしてグレイが呟く。やはりここは、砦に帰還してこの状況を伝える方がいいかもしれない。
 土のにおいの濃い森に、異質な金属音が響いている。嫌な音だ。ここも血で汚れるのか。そう思ってじわりと痛みを覚えたせいだろうか、レシュノルティアは盗賊を押さえていた手に力を入れてしまった。痛みに高く呻いた声が、ぞっとするほどはっきり影の中から響いた。
 耳聡い者がいたのか、行軍の足音が乱れた。グレイは驚き、舌打ちする。レシュノルティアが男を処理するべく剣に手をかけたと分かった瞬間、彼は男を解放した。悲鳴を迸らせて飛び出した盗賊にレシュノルティアは目を丸くし、歯を剥き出して呻く。
「なんてことを!」
「余計なものを斬る必要はない。行くぞ!」
 人の列の真ん中に飛びかかり、二人は剣を振りかぶった。
 あっという間にそこは小戦場へと変貌する。
 驚きのあまり木の根に足を取られた兵士を、レシュノルティアは一撃で屠った。身体のひねりを使い、今度は逆から剣を薙ぐ。今まさに降り掛からんとしていた刃を弾き返すと、足を振り上げて相手の胴を蹴飛ばした。
 風が巻き起こり土埃が舞い、ぶつかった幹から木の葉が落ちる。レシュノルティアの髪が、一気に空へ舞い上がった。飛礫のような枯れ葉に目を潰された兵士が怯んだ瞬間、レシュノルティアの白刃が彼の首に口づける。
 舞い広がる青髪は、花か翼か、それとも冷たく美しい死か。
 悲痛な叫び声。
「――魔物だ」
 青い髪の死神の噂は彼らの耳にも届いていたらしい、阿鼻叫喚の渦となった。一気に恐怖の底に突き落とされた彼らだったが、響いた笛の音に、レシュノルティアもグレイもはっとした。
 縋るように吹き鳴らされる警笛は怯えそのもの。その声に引き寄せられて、鬨の声をあげて兵士たちがきた。あっという間にその数が膨れ上がり、更に後ろからも別働隊がやってくる。
 グレイに手首を掴まれ、引かれるまでもなくレシュノルティアはひらりと死体を踏み越えて離脱しようとしたが、目の前から泡を食った盗賊が現れたことに、自分たちの進退を断たれたのを知った。
 レシュノルティアは歯を噛み締めた。
(なんという失態!)
 刃を向けられ、レシュノルティアはグレイと目を交わす。ため息とともに、二人は剣を投げ捨てた。

<<  ―    ―  >>



―  INDEX  ―