やがて全員が誰ともなしに顔を見合わせ、苦笑する。まだ終わっていない、むしろ更なる熱を上げる祭りの中へ向かうべく出口に向かった時、嵯峨が香芝を呼び止めた。
「香芝。お前、誰に誰を呼びにいけと言われたと言った?」
「ん? 尾野辺に、加瀬理事長をだ。あいつ、暗闇でも目が利くらしくてな。体育館が真っ暗になった時、俺の目の前に来て、理事長を呼んで図書館棟の屋上へ行けって言ったんだ」
 嵯峨は顔をしかめた。
「嵯峨君、どうしたの?」
「尾野辺って……何組の?」
「三組に決まってるだろう」
「ほら、香芝の後ろに控えている」
 常磐まで言い添えて、何を言ってるんだと心配そうな、いぶかしむ二人に対して、嵯峨は。
「知らない」
 と言った。
「尾野辺なんて生徒、知らん。私はお前たちのいる三組の生徒を把握してるが、尾野辺という名の奴はいないはずだ。例え本当にいても、尾野辺なんてめずらしい名前は、記憶にあると思う」
 間が、あった。
 そして四人同時に気配を感じ、屋上を振り返った。
 厳つい顔の黎明生の少年がいつの間にかそこに立ち、微笑んでいた。
「――約束をした。古い古い約束。繰り返し唱えた、私たちの約束」

 ――約束をしましょう。この学院を愛し続け、守り続けることを。私たちは、いつまでも暁の子どもであったことを誇りに。いつまでもいつまでも、誇り高く。

「新しい時代の、黎明の子どもたち。あなたたちが、これから押し寄せる未来に負けることなく、しあわせになるように。見守ってる。いつまでも」
 言葉をなくす四人の視界で、少年の姿は二重写しのようになって、立ち姿はゆらゆらとぶれた。ピンク色の色彩と、長い髪がちらついた気がして瞬きをすると、もうそこには、誰もいなかった。
 代わりに彼が立っていた足下にあったのはガラスケースに収まった日本人形で、佑子が駆け寄って抱え上げると、彼女はいつものように、ほんのりと笑っている。
「……おや。その子はミキ様かね?」
 先に行っていたはずの理事長がひょっこり顔をのぞかせた。
「ご存知なんですか?」
「うん。わしがここで教師をやっていた頃、校長室に飾っとったよ。そうか、君が持っていたのか」
「あっ」と香芝が声を上げる。そして失礼にも指をさした。
「『校長室の人形』! 七不思議の!」
「七不思議? そうか、七不思議になっとったかあ」
 やけに理事長が嬉しそうに言い、「祖父が」と佑子は声を一瞬詰まらせ、言った。
「祖父が、託してくれたんです――この中に、『暁の書』を隠して」
 加瀬がはっと目を見張り、次に染み入るような顔をして微笑んだ。そして、その丸く温かい大きな手で、佑子の肩をゆっくりと撫でた。
「……わしらが若い頃にも、自殺やいじめ、閉じこもり、学級崩壊といった様々な問題があって、わしたちもそれに絶望しかけたこともあったんじゃよ。声は届かない、何をすればいいのか分からない、誰も助けられず世界は変わらない。生徒たちも自分の希望も失われていくばかり。そういう時、ひとりの生徒が現れて……」

 ――『あんたたちは教師として私たちの人生に関わったんだ、最後まで責任を取って導いてもらいます。私たちに、希望を見せてごらんなさい!』

「……創立者の孫だというその生徒、彼女が大切にしていた『黎明暁星』こそが、わしらの希望だったんだよ」
 ふふふ、と思い出して顔をほころばせる加瀬から、その生徒の名前は口にされることはなかったが、つながりに気付いた佑子は目を閉じ深く頭を垂れた。その上に、優しい重みで言葉が降った。
「ずっと、持っていてくれたんだね」
 加瀬が笑う顔が、嬉しくて。祖父が笑ってくれたように思えて。
(じいさま。……ばあさま)
 祖父が毎日語ってくれた物語みたいに、この日々は、大人に仲間入りした二十五歳の佑子の胸をわくわくさせてくれた。そして願った。常磐たちにとってもそうであればいい。
「ありがとう、じいさま。ばあさま。ミキ様」と感謝を込めて、そっとミキ様のケースを抱きしめた。
「愛だな」
 嵯峨が笑って言った。本当に、若者というやつはその言葉が大好きだな。そう思いながら、さすがにそれをてらいもなく言える年ではなくなってしまった佑子は「愛じゃないよ」と言った。
 訝しげになる彼らに、佑子は笑った。
「――祈り、だよ」

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