登校したら各種新聞をチェックして前日のものと交換し、朝の職員会議に出席。教諭からの連絡で授業に使う本を探して出しておき、昼休みまでに貸出カードのチェック、読書特集の案を出し、図書だよりの作成、その他事務作業、本棚の整理、掃除などを行う。
 昼食は司書室でお弁当だ。肉と炒め物と冷凍食品と。彩りのかけらもない、つまり色気もなにもない弁当箱の中身を見て、心の底から思った。見られなくてよかった、と。
(昼食が昼休みじゃなくて、よかった……)
 もし昼休みに食事をとっていたら、絶対に来る。必ず来る。
 羽宮常磐が、来る。
 今朝の醜態を思い出し、お弁当の上で頭を抱えた。
 二日酔いの、息が酒臭い状態でドアを開けた。マイナス五点。
 完全に部屋着で髪の毛もぼさぼさだった。マイナス十点。
 その状態で「好きだ」と言われた。――マイナス百点。佑子の、女としてのランクは最低だった。
 突如押し掛けてきた少年に京野は興味津々で、しかしこれからワンルームで女二人が支度をするのだから常磐を家にあげることはできず、急いで支度を終えて、京野とはろくに説明もできずに別れた。だって、言えるだろうか。彼女も知っている黎明学院の生徒を指して、「婚約者、っぽいものです」と。
 深く聞かない京野がありがたく、でも、ひどく、申し訳なかった。彼女の目が責めるような、でも何も言わない佑子に失望するような色を浮かべているように思えた。
 それでもどちらも本音や不満を口にせず、付き合いは続いていくのだ。友人が出来ては別れていく、繰り返しのひとつで。
「…………」
 黄金色の卵焼きに箸でぐっさり突き刺し、ゆっくりと口に運んだ。
 常磐と二人で登校したものの、教室に行ったと思ったら彼はすぐに図書館に来た。入れてやらないと可哀想だったが図書委員でもない人間を準備室に入れることはできず、なのに休憩時間ごとに中央棟に来て、広場の階段に腰掛けて、自分の持ち物らしい本を読んでいる。
 待たせても、締め出しても、来る。
 ……常磐は、どこか間違っている。
(だめだ……これ以上考えていると胃がいっぱいになる……)
 手早く昼食をかき込んで、開館する。
 最初に訪れたのは、やはり常磐だった。彼は軽く会釈すると、奥にある閲覧机に腰掛けて新聞を読み始めた。仕事の邪魔はしない、ということらしい。のぼせ上がっていてもそれくらいの分別はあるようだと、胸を撫で下ろす。
 次に入ってきたのは今日初めて見る少年二人だ。細長いのとふっくらしたコンビで、黙って入ってくると、置いてある腕章をつけてカウンターに座る。慣れた様子だ。図書委員らしい。
「こんにちは! よろしくね」
「あ、ども」
「こら!」
 二人だけで小突き小突かれた少年たちは、はっと息を詰めて、佑子の視線を避けるようにこそこそと身を小さくし、カウンターに目を落とした。恥ずかしがりなのかなと気にしないでいると、新聞をめくる音が大きく響き、三人してそちらを見てしまった。物憂げに頬をついた常磐がこちらに視線を投げている。
「羽宮だ」
「めずらしいね、彼がこんなところにいるの」
 二人が声を落としてそう言う。
 そうなのかめずらしいのか、と視線を投げると常磐と目が合った。
 微笑まれる。
 どきっとした。
(お、落ち着け私! 知り合いに笑っただけから! 普通だから!)
 まるで駆け引きみたいなあざとさがあって勢いよく顔を背けてしまったが、不自然だった、と少し罪悪感を覚える。どぎまぎした顔をぴたぴたと叩いた。
 しかしそんな感情に沈んでいる間に、続々と利用者が来館し始めた。カウンターの側、この木の温もりのある図書館では浮いてしまうパイプ椅子に浅く腰掛け、書店で購入した小説を開きながら様子を見守った。貸出、返却、調べものにおしゃべり、勉強。どこの図書館も変わらない。
 その内、昨日「彼氏は?」と質問してくれた生徒が入ってきたので、「こんにちは」と笑って手を振った。彼は、迷うように一瞬立ち止まると、ふっと目を逸らして奥へ行ってしまった。
(あれ。まだちょっと距離詰められてないか)
 次に入ってきたのもそうだったので、今度は笑いかけるだけにした。目を逸らされた。
(ええ……? 難しいな、高校生)
「すみませーん。小泉八雲について調べたいんですけど」
 カウンターに利用者が立っていた。慌てて読みかけの本を置いて立ち上がる。
「あ、課題? 大変だねえ。メモがあるんだったら見せてくれる?」
 すると、生徒は素早く佑子からメモを遠ざけた。
 きょとんとして顔を見ると、彼はこちらを見ようとしない。わざとらしいくらいに。
 先程から感じていた違和感が、みるみる形を成してくる。思わず館内を見回し、生徒たちの顔を見た。彼らは、さっと目を伏せたり、本棚に向き直ったり、ちらちらとこちらを見ながら話をしている。
(もしかしてこれは…………集団シカト?)
 まず思ったのは、「まじで? すっごーい!」という感嘆だった。一年一組から三年四組まで、全校生徒に命令が出ているとしか思えない。その号令が出せる存在がいるということだ。
「図書委員、手伝ってくれよ」
「え、えっと……」
 そしてこういう状況に、非常に燃えてしまった佑子だった。困ったものの、佑子に助けを求めることができないらしい図書委員に代わって口を出す。
「生年月日と略歴と、代表作が分かったらいいのかな? もっと詳しく調べるんだったら作家事典があるよ。著作のリストいる? 小泉八雲って日本人の名前だけど実は外国の人なんだよ、知ってた? 写真見たことないかな、すっごくかっこいいおじさまなんだよ! そうそう、お葬式で法名っていただくでしょ、小泉八雲はそれがあるんだよ。生きてるときはあだ名もあってね、かわいいんだよね! 調べてみようか!」
「…………」
 佑子はこくり! と頷く。
「…………」
「…………」
 これでもかと浴びせた情報に生徒は仰け反り、最後には、勢いにのまれて、頷いた。
(……勝った)
 満足感で胸を張りながら棚を探す。便覧類は閲覧机の側に並んでいる。梯子を上って届くところに、ちょうどハンドブックがあった。
「あ、あれだ。ちょっと待って、取るから――」
 梯子に足をかけた。けれど何故か、段がうまく支えられていないような違和感があった。
 ばきっ。足下で何かが割れた。
 足が落ちた。身体が下に滑り落ちる。

「――っ!!」

 床にぶつかる嫌な音がした。

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