「それじゃあ、よろしくね」と声をかけたものの、生徒たちは返事もしなかったし、顔も上げなかった。それでも仕事をするのだからえらいと思う。
 カウンターを任せて司書室の扉を開けると、そこには思い思いにパイプ椅子に腰掛ける、美少年たちがいた。
「遅い」
「まだ五分でしょ」と香芝に佑子は呆れつつ、割れにくいという理由で揃えたマグカップで四人分の紅茶を出してから、話を切り出した。
「『暁の書』について調べてみたの。私、学院創始の書って聞いたけど、具体的なサイズ、ページ数も分からない状態だったのね。別に我が家に代々受け継がれてきた本があるわけでもないし……」
 と言いながら思い出したのは人形のことだった。
「うちにあるのは日本人形くらいかな」
「あの薄気味悪い人形か?」と香芝。
「そう思うよねえ。でも本人には言わないでね。何があるか分からないから」
 香芝の顔が引き攣った。
「中の人がいるのか……」
「あなたたちは『暁の書』がどういうものかは知ってるの? 加瀬理事長から具体的な説明はあったのかな」
 三人は揃って首を振った。やはり幻の本ということになっているらしい。そして常磐を除く二人の顔が渋くなった。「それすら知らなかったのか」と呟いた香芝が、佑子の巻き込まれ具合を物語っていると思う。
「現物は見たことがないんです。僕はアルバムと文集が一緒になっているようなものだと聞きました。第一期生の記録だという噂もありましたね。だから女子校時代の文集かアルバムだと思ってたんですけど」
「俺は赤い本だと聞いた。後は羽宮と同じだ。嵯峨は?」
「私も大差ないな。第一期生の写真と文集、学院の創設に関しての小文だとか。学園の七不思議に似たような赤い本の話があるせいだと思っているが」
 うんと佑子は頷いた。予想通りだ。
「実物を知っている人はいないみたいね。でもどういうものかって話は広がってる。私も伝説の話は聞いた。元ネタがあるはずだよね。多分、これのせい」
 彼らの前に、一冊の本を置いた。
 分厚く、重い、面白みのない布張りの装丁と古い紙の本だ。
「それは?」
「蔵書目録。図書館が受け入れた本が記録されてるの。これの二年目にあるんだよね。『黎明暁星』っていう本が」
 三人は目を見張った。
「それが『暁の書』なんですか?」
「それで?」
「ここから改訂されるごとの目録を調べたの。『黎明暁星』がどういう本かは、目録で大体分かるんだ。分類法って知ってる?」
「ラベルについてる数字ですか?」
「ざっくり言えば。この『黎明暁星』は379。分類法は改訂されてるけど、多分社会科学、教育の、高等教育に分類されてる。それで、この学校でこれに分類されている本をざっと調べてみた。そしたら、この分類には卒業アルバムも含まれるわけ」
 さすがにここまで調べる人はいなかったみたいだね、と佑子は腕を組んで苦笑した。鍵のかかる、薄暗く何かが潜んでいそうな書庫に、千ページ越えの蔵書目録を何十年分も当たり、図書室の本を全部眺めることは、さすがに司書以外にはできまい。
「『暁の書』は卒業アルバムなのか?」
「その可能性が高いということだ」
「そして、『黎明暁星』が紛失本として目録から消去されたのは、昭和四十一年のものだった。嵯峨理事は、昭和三十七年に加瀬理事長がこの学校にやってきたと言った……よね?」
 確認のために嵯峨を見る。頷きが返ってくる。
「つまり、三十七年から四十一年の間に、加瀬さんは『黎明暁星』をご覧になった可能性が高い。そして、この間に失われたのだから、当時の教職員は行方に心当たりがあるかもしれない。期間の限定はともかく、嵯峨理事がおっしゃったのはそういうことで、多分すべての人間に聞き取り調査をしたんだと思う」
 三人は黙って聞いている。
「ただ、私が推測するに……嵯峨理事は、多分香芝理事も羽宮理事もだけど……本にはたどり着いていないと思う。そう信じたい。だから、もう一度当時の人に話を聞きにいこうって思ってる」
「大丈夫ですか?」
 真っ先に心配するところは常磐らしい。うんと佑子は請け負った。
「任せなさい。それより君たちもうすぐ文化祭でしょ。準備日は私、外回りにするから、その時に話を聞いてくる予定を取り付けたよ」
「……文化祭……」
 常磐が苦悩の声で呟いた。
「どうしたの?」
「気にしないでいい。女史、聞き取りはいつ終わるかな?」
「文化祭の最終日にはまとめておくわ」
「だったらその日に報告を聞こう」
「嵯峨っ!」
 めずらしく常磐が焦っている。嵯峨とは違った意味で涼しげな顔が、果実のような朱色に染まっているのを見て、佑子は眉をひそめた。
「嵯峨君、何か意地悪してない? どうしたの、常磐君」
「いやっ、……なんでもない、です……」
 浮かせた腰を下ろしてしまう。嵯峨の方を恨めしげに見ているが、嵯峨はふふんと鼻を鳴らした。
 よく分からないが、仲がよくなったのは分かった。表情を緩めてそれを見てしまう。
「文化祭は見に行きたいと思ってたよ。男子校の文化祭って初めてだから」
「近くの女子校から手伝いをもらうんだ。毎年の後夜祭のダンスはもちろん、今年は少し派手にやろうと思っている。楽しんでくれ」
「今年も見せ物になるのか」
「覚悟しろよ、香芝。羽宮がいるからな」
「……言うんじゃなかった……」
 どこか彼らも興奮して大きくなる声は狭いゆえに籠っていて、ちょっとうるさいなあとも思ったが、それよりも、うきうきした。微笑ましくて、にこにことその光景を眺めてしまう。

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