祭りで人手が多かったため、遺跡から煙が上がり出火したことで混乱は大きかったが、すべて速やかに治められた。というのは、祭りに乗じて反旗を翻そうとしていた竜狩りたちがいたためで、街の各地にまんべんなく配置されていた彼らが事を収め、更に消火まで起こったのだった。
中央塔は地下部分が一部焼失したようだったが、機能が滞ったところはなかった。窓から見える街はいつも通り市が開かれ、人の流れは変わりがない。一部黒々と焼けこげた区画はあるものの、平和と言えば平和だ。あの騒ぎで都ノ王の悪事が露見し、処刑が行われたとは思えない。
上階に位置する玉座に新しくあるのは、キサラギの見知らぬ男だった。昨日までとは違う都ノ王だったが、以前の王を知らないため特に感慨がない。ただ街が圧政から解き放たれればいいと願うだけだ。
「ありがとう。君たちのおかげで私たちは自由を取り戻すことができた」
だがそう言った男には覚えがある。マミヤに着いた夜に、酒場で話を聞いた三人組の一人、眼鏡をかけたケイと名乗った男だった。
白々しい礼の言葉にキサラギは答えなかったし、センも反応しなかった。利用されたことは分かっていたが、責めても仕方がない。旅人の身分もある。キサラギはモリヤを見殺し、センはマリを殺した。褒美を貰っても感謝はしないし、駒にされたことを恨みもしない。『竜の宝』の意味を聞かれても、竜を飼育していたとしか答えなかった。
「センと、……キサラギ?」
都ノ王は中年に差し掛かった穏やかな目の人物で、キサラギの名を呟くとじっと視線を注いできた。そして、それが笑みに緩められた。
「キサラギ。君は東の、キサラギの娘だろう? 都市キサラギノミヤの都ノ王の」
センがこちらを見た。珍しく反応したということは、かなり驚くことだったらしかった。キサラギももう忘れかけているが、確かに過去はそうだ。まさかその名を、今になって他人の口から聞くとは思わなかったが。
「キサラギノミヤ?」
「そう、十二年前、竜に滅ぼされた街だ」
都ノ王はケイに答え、懐かしそうな目をキサラギに向ける。
「君のことは覚えている。姉妹だったね。その年齢だと、君は妹の方だろう? いつも姉上の後ろにくっついて回っていた。何故分かったかというとね、今の君は、当時の姉上に瓜二つだからだよ」
いや本当によく似ていると笑った後、彼は残念そうにため息をついて、額を押さえた。
「姉上のことは残念だったね。私も竜狩りだったからよく知っている。あれはとてもよくできた娘だったのに」
「必要なお話はもう終わりましたね」
キサラギが口を挟むと彼は口をつぐんだ。気分を害しただろうが、こちらの気分はとっくに底にある。
「お尋ねしたいことがあります。灰色竜と黒竜のことです」
「灰色? ……君は、姉上の仇を」
「灰色竜の情報の最新は一年前のキズ山脈への飛来です。これ以上最新のものがなければ結構です。黒竜の情報を下さい」
竜狩りとして端的に話せば、都ノ王は少しだけ眉をひそめて、ケイを見て促した。ケイが口を開く。
「南東に黒竜の目撃情報が入ったのが三日前、更にそこから南での情報が昨日だ」
センを見る。小さく頷いたのを了承と受け、都ノ王と守護団長に向き合うと、竜狩りの礼で別れを告げた。
*
旅の竜狩り二人が出て行くと、玉座の間は静寂を取り戻した。ケイは飲み物を都ノ王に手渡しながら苦笑する。
「娘らしからぬ雰囲気の女竜狩りでしょう」
「それよりも控えていた美貌の男の方が恐ろしかったな。人ならぬ殺気を放っていたよ」
ケイは都ノ王と顔を見合わせて笑い、ところで、と声を潜めた。
「キサラギの姉が、何か?」
「ああ、君は若いから覚えていないか。うん、東に古都のキサラギノミヤという都市があってね。突如出現した灰色竜に壊滅させられたんだよ。生き残りは何故か見つからなかった。消えたように、死体も見つからなくてね」
都ノ王は物思いに沈んでいく。
「竜が街を襲った原因は、彼女の姉にあったと言われている。優秀な女竜狩りだったんだが、竜人を匿っていて……」
そしてふっと言葉を止めた。
「どうかされましたか?」
「いや、ただの噂話だがね。竜狩りの伝わるお伽話みたいなものなんだが。祭りで見たあの劇が実際に……」
*
宿代を払い、馬を受け取って出発しようとしていると、おおいと声がかかった。見ると、あの巨体は三人組の一人、ゴウガだ。
「待ってくれ。怒らないでくれよ」
第一声がそれかと苦笑した。
「怒ってないよ」
「だが旦那は怒ってるだろう?」
目を瞬かせた。何故センなのだろうと振り返れば、いつも通りの冷たい美貌にかち合う。怒っていると言えば、怒っているように見えるかもしれないが。
「いや、うん、まあいいけど。それで、灰色竜の情報だけどな」
ゴウガは身を屈めて耳打ちした。
「ここ一年以上情報がないのは知ってるよな。ということは、人間に見つかってないってことだろう?」
「まあ、そうだね」
「で、考えたんだ。竜のことは、竜に聞けば分かるんじゃないかと思って」
「なに?」
「竜人の郷だよ。竜人種の街。聞いたことあるだろう? そこに行けば、ありとあらゆる竜の話が聞けるかもしれない」
思わずセンを見やる。目を逸らされた。ということは。
(あるんだ、本当に)
「噂によるとキズ山脈の最も険しいところにあるらしい。行った人間の噂を聞くけど、帰ってきた奴はいないな。竜人は竜だし、竜は人を食うから」
それだけ言うと、彼は背筋を元通り伸ばして、頷いた。気休め程度で悪いなと行って頭を掻く。キサラギは首を振った。彼はケイに黙ってわざわざ追いかけてくれたのだろうから。
「ありがとう。情報として持っておく」
「こっちこそ、ありがとうな、キサラギ。それにセン。キサラギ、市場の乾物屋に顔を出していってくれ。俺のばあちゃんなんだ。仲良くしてくれてありがとうな」
驚いて目を見開いていると、彼はにかっと笑った。
「また来てくれ。今度はもっといい街になってるはずだ」
街を出るには市場を抜けなければならない。馴染みになった人々に別れを告げていると、粥屋のユミが、花を持ってあちこちを回っていた。
「あ、キサラギ!」
喜色を浮かべて近付いてきてくれるが、キサラギの手に括り付けられた馬の手綱を見て取ると、太陽の笑顔が少し曇った。
「……行くの?」
「うん。色々ありがとう。今度来た時また寄るね」
そして聞いた。「その花は?」
ユミは照れくさそうに笑った。
「街が大変なことになっちゃったし、ミヤ祭りもちょっとだめになっちゃったから。みんなの顔が曇ってるし、友達と協力して花を配って回ってるの。ほら、お祭り用の造花だから、狩れないでしょう? ちょっとだけでも暗い心を慰められたらいいなと思って」
「いいことだね。ユミらしい」
「ありがとう、キサラギ。助けてくれて」
首を傾げたのは礼を言われる覚えがなかったからだ。ユミは仕方がないなあと笑った。
「やっぱり気付いてなかったのね。私が前の守護団の団長に打たれそうになった時、あなたが助けてくれたのよ。乾物屋のおばあちゃんに聞いたの」
あの時、と思ったが、助けた相手を見た覚えがなかった。困惑した末に「ごめん」と言うが、ユミは首を振る。
「私、あの時仕方がないって思っちゃったの。打たれるのは仕方がないって。誰も助けないって分かってた。でも、助けられたんだよ、あなたに。それって、当たり前なのにすごい奇跡だったの」
ね、とユミははしゃいで手を取る。
「あなたは守護者だわ。竜狩りの、キサラギ。マミヤ守護団の支配下にあって、あなたは守護者だったの。あなたは、……き、キサラギ?」
キサラギはユミの手を押し抱き、きつく目を閉じた。
守護者と、呼んでくれるのか。秘密を抱え、誰にも話さず、真実を闇に葬って。見殺しにして、殺して、そんな竜狩りが、守護者と呼ばれるのか。
自問は尽きない。だが今胸にじわじわと広がっていくのは感謝と喜びだった。泣きたいくらいに、嬉しかった。
それを分かって、手が背中に回ってぽんぽんと撫でてくれた。
「あ!」
小さく声が上がる。周囲から上がる驚きの声、顔を上げた先に、素晴らしい光景があった。
空を、花びらが覆っている。色とりどりの、羽根のような虹のような。
「ナサキだわ。あ、ナサキ分かる? 花屋の子。花を集めて回ってるって言ってたけど、これがやりたかったのね」
どこからか風とともにやって来て、傷付いた街を慰めていく、枯れない花。うまい具合に風が吹いているのは、向こうから雨がやってくるからだ。だがその雨はきっと優しいはずだった。守護者と呼んでくれた彼女や、花屋の子や、市場の人々に降ろうとも、晴れ間がきっと訪れるはずだった。
センもまた花に降られている。綺麗と思っている様子はないが、どこか遠い目をして緩やかに瞬きをしている。
竜人なのに、何故人間のキサラギを同行させるのか。
竜人なのに、竜を狩る理由は。黒竜を追うのは。
その答えを刃のような美貌から読み取ることはできない。
訊くことはできるだろうか。答えて、くれるだろうか。絶対的な距離を保つ、竜人の男は。
(何を……期待してるんだ、私は)
考えたことを塗りつぶしていく。相手は竜だ、竜だと呟く。距離を保つことを意識こそすれ、他のことに気を取られている場合ではない。
だが再び表に現れてくる疑問が、キサラギに道を示す。知らなければならないことがある。そのためには、やはりセンの協力が必要なようだった。この道行きには、彼の力が。
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