砂時計のような形をした大陸の上方に、草原地帯はある。
 草原地帯は王制が廃止されて久しく、いくつかの大きな街が、住民から選出した街長を中心として、それぞれの境界を守って治めている。街の数だけ領地あるようなものなので、非常に小さな国のようなものが草原にはいくつもあった。その領地は大方どこもお互いに協力的で、領地を巡って戦争が起こるようなことはない。
 その理由は、草原地帯に敵とも言える竜が存在することにある。
 かつて大陸北方の草原地帯には、草食竜のみが存在していた。しかしいつからか人間を捕食する竜が現れ、人間は自衛を余儀なくされる。その技術を専門職とした者たちが竜狩りと呼ばれるようになり、竜は多くが狩られ、竜狩りは幼子たちの憧れとなった。今でも語られる英雄譚はこの時代のものが多い。
 竜は人間を捕食する。人間は集まらなければ生きていけないという事実が草原にはあった。竜狩りは人間の守護者だった。
 だがしかし、竜の血が人間に病を及ぼすと分かってからは、竜の血に触れやすい竜狩りは遠巻きにされ、必然的に彼らは各々だけで組織となり、竜狩りの街を作って彼らのみが暮らすようになった。
 竜の血は病をもたらす。ゆえに、竜の血に触れてはならない。
 しかし竜人の血がそうであるかは、まだ誰も知らない。
(けど私は知っている)
 乗せた武器の数々で総重量がとてつもない荷台で、剣を抱えて丸まっていたキサラギは目を覚ます。この揺れの中でよく眠れると自分でも思うが、その気になればすぐ目が覚めるし、なにより動きっぱなしの一日でようやく休息を得たのだから、うとうとするのは当然のことだ。
 大きく伸びをして、ふっと天に息を吐く。空の星が吹かれたように瞬いた。幌付きの馬車ではなく剥き出しの荷台に載っているのはこれを見るためだ。星の形をなぞり、今の季節を知る。今は春、空にはこぐま座の側に金色竜座が輝いている。地上の竜の始まりを生んだとされる巨体の、長い尾が大きく、しならせながら空を駆けていきそうだった。
 草原を行く馬車の列にはかがり火が焚かれていて、地上の赤い星のように瞬いて見えるはずだ。しかしこれは獣避けと竜避け。日も落ち星が輝く夜に草原を行く人間は、犯罪者か竜狩りかと言われるくらいだ。あるいは、『親書を携え王国を救わんとするひた走る騎士』、と友人に話した古い伝説を思い出し、ふっと笑った。
 竜狩りたちは本拠地であるセノオに到着する。西方に位置する中規模の竜狩りの街セノオは、中心に高い物見の塔を立て、そこを中心にほぼ円形に街を広げて壁を作り、北と南に門を配置している。どちらも入ってすぐのところに市が立ち並んでいるのは旅人のためだ。旅人は多くが竜狩りで、ここで情報と食料と装備を補充していく。奥に行けば行くほど、住人たちの住居や仕事に関係する建物が立ち並ぶようになり、大体は男ばかりになる。建物はどれも木造で、大きくて二階建てだ。これはどの竜狩りの街にも言えることで、つまりセノオは一般的な竜狩りの街の作りをしていた。
 夜店を出す女たちや非番の男たちに帰還を祝福されながら本部のある奥へ進む。この瞬間は好きだった。戻ってきたことを実感できる。夜の街の光は地上の宝石、夜の草原に大きな星のようで。
 馬車を降りると、キサラギは仲間たちに声をかけて、竜狩り長に報告に行くことにした。ハガミがあくびをしたキサラギを見てにやっと笑う。
「おう、姫騎士がお目覚めだ」
「誰が姫だ」
「寝顔は可愛いのになあ」
 ぽん、と頭に手を置かれてくしゃくしゃにされる。いつでも肩を越すことがなかった髪は、乱れるほど綺麗ではないが、それでも肩に少し触れるくらい伸ばしたものなのだ。ひとしきり撫でられたそれを手櫛で整えながら、むっとむくれる。勝手に寝顔見やがって。
 つんと顔を逸らし、街の中央部分にある本部に向かう。むくれているのに気付いたのか、足音が追いかけてきた。
「そういえば、キサラギ、お前、成人の証を約束されてなかったか?」
「あ」
 キサラギは飛び跳ねる。
「そうだ、長に言われてたんだった!」
 気分が一気に上昇する。飛び跳ねてしまった。
 二十歳未満に授けられる成人の証は竜狩りの誉れだ。基本的に二十歳で成人と見なされるが、竜狩りの場合、特に武勇の誉れ高かった者が二十歳に至る前に成人を言い渡されることがある。竜狩りが成人を向かえた場合、所属を自由に変えることが出来るのだ。セノオを出て他の竜狩り組織に所属することも可能になる。
 だがハガミが顔をしかめたのはそれをキサラギが忘れていたことではない。
「お前なあ、父親を長って呼んでやるなよ」
「仕方ないじゃないか」
 扉を開いてもらい、側を通りすぎながら彼の胸を叩いた。
「本当の父親じゃないんだから」
 現在キサラギの保護者となっている大人、セノオ竜狩りの長であるイサイはまだ三十代半ば。竜狩りと思えない穏やかで落ち着いた風貌、だが細身から繰り出される剣戟は凄まじいもので、しかし出身のために竜はほとんど相手にしたことがないらしい。噂によると、山脈を越えた、王国地方に人間だったという。言われてみれば髪も目も色素が薄く、イサイというのもこちらに来てからの名だとか。
 曖昧になってしまうのは、養父が過去を話さない性質であるのと、キサラギが聞きたがらなかった子どもだったということがある。キサラギが教えられたのは身体や武器の扱い方、生きていくための知識で、どちらかというと師という認識の方が強いのだった。養父は養父なりに、養女となった子どもが求めているものを与えようとしたのだから、キサラギは別に悲しく思ったことはない。
 そのイサイは今回の任務にたずさわった竜狩りの隊長格を集めると報告を促した。キサラギがいるのは第三部隊副隊長という立場にあるからで、しかし部隊がいくつかある中の、まだ若いキサラギには実際名ばかりの称号だった。
「何か報告はありますか、キサラギ?」
「ふわあ……ん?」
 あくびを噛み殺さず堂々と大口を開けていたキサラギは、目を向けられて固まった。笑い声はしなかった。誰しもイサイの前では姿勢を改めるからだ。笑ってくれた方がよっぽどいいのに、と若干責任転嫁しつつ、ゆっくりと顎を元の位置に戻し、口元を覆っていた手を拳にして咳払いする。
「ええと……情報が一つ」
 頷いたのを確認して、発言する。
「西の方向に黒竜が飛ぶのを見た方がいます。今回の依頼人です。後日もう一度来てお話していただくようお願いしておきました」
 黒竜とイサイが呟く。他の皆も胸の内では同じ単語を呟いただろう。中規模組織になるとそういった大物を狙う気風は小さくなるが、狩れば名を上げられるものだからだ。
 しかしイサイはそれに関して何も言わなかった。
「分かりました。報告は以上ですか?」
 声は聞こえない。では、とイサイはそれまでの真剣さを払拭するように微笑んだ。
「キサラギの成人の件を」
 分からないようにしたいのに思わず顔が緩んでしまうキサラギだ。賛同の声がハガミから上がる。
「十七歳にしちゃあ一人前の腕です。成人しても問題ないと思います」
「私もそう思う。成人後も一年ほどここで実戦を積むといいと思うんだが」
「待て」
 それまで一言も発せられていなかった重い声が制止する。一瞬冷たく沈黙した場を和ませるように、イサイは微笑んで「何ですか、街長?」と隅にいた初老の男を見つめた。
「十七歳の、それも少女を、竜狩りとして成人させるのはいかがなものか」
 嫌な言い方だと気分が一転してキサラギは苦い顔をしたくなる。いつもの確信。街長は、私が嫌いだ。
「また、何を言ってるんです。キサラギは十分な実力を備えてます。指揮官の指示を受け、的確な指示をし、機転もきく。あんたの息子とは」
「実力は竜狩りたちが認めるところです。だからこの話が出たのですよ」
 やんわりとハガミの言葉を遮ってイサイは言った。ハガミは口が滑ったと目を逸らして口元を押さえていたが、目を見ると笑っている。だが大半の竜狩りたちは同意見だったらしく、にやにやと街長を見ていた。だからキサラギも苦笑するしかない。
「実力は認めるところ、と言ったな。だが認めていない者たちがいるぞ。私に訴えてきた。キサラギを成人させるのはどうか、とな」
「どうせお前の息子だろうが」
 思わずハガミの足を蹴る。装備のままの固い長靴の爪先がすねにぶつかり、妙な痺れが彼の足下から頭上まで走っていくのが見えた。それでも悶絶しないのはさすがだがキサラギは謝らない。これ以上話をややこしくしたくないからだ。
 困りましたね、と気付いているのかイサイは笑って首を傾げた。
「どうすれば認めてくれるのでしょう?」
「巨大竜を狩ることが出来たなら、と」
 竜狩りたちの目が厳しくなる。誰かが罵倒し、また別の誰かが呟いた。
「あの餓鬼、ろくに狩ったこともないくせに無茶苦茶言いやがって」
 だが実戦経験が浅いから無茶が言えるのだろうとキサラギは思う。
 巨大竜狩りは綿密な計画がなければ成功しない。時間と手間ひまをかけて、人を集め武器を揃え、天候すら読んで、事を運ぶ。キサラギが本格的に竜狩りとして参加してきた五年間に巨大竜を狩ることはなかったが、あまりにも大きな仕事になることは、何度かの竜狩りの経験で分かるようになる。だからそれ以前の問題の街長の息子エンヤはお山の大将と呼ばれるのだ。
 どこまでも馬鹿だと思うと、さきほどまで浮かれていた気分が萎えてきた。それ以上に、ひどく冷たい怒りが拳の中に固まってくる。
「私は別に構いません、成人できなくても」
 吐き捨てるように言い放ったのを、キサラギ、とイサイが眉を寄せた。
「成人できなくても、好きな時に出て行くだけですから」
「許可無しに未成年の所属変えは許さんぞ」
「街を出て行った者は束縛できません。私は勝手に大人になる。人間は、あなたやあなたの息子に認められて大人になるわけじゃありませんから」
 言葉を無くした街長の前を通り過ぎ、イサイだけに礼をして部屋を出た。礼は組織に属する竜狩りの礼。踵を整え、剣を剣帯に下げたまま垂直に立て、指先まで伸ばした両手を足に沿わせて、深々と頭を下げる。嫌味ったらしいのはご愛嬌、竜狩りたちには分かるだろう。
 扉を閉める寸前、街長がイサイに怒り心頭といった様子で噛み付くのが聞こえたが、あの養父はうまく受け流してくれるだろうと友人の元へ向かった。足音は、自分でも分かるくらいかなり怒っている。

    



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