それもきっと空腹だからだろうと、何か食料を求めて集会所の扉を開けると甘い香りが押し寄せた。目眩がするほどの焼き菓子や軽食の香り。途端、お腹の虫が反応して大きな音を立てる。その音を聞きつけたのは、今この時部屋の主たる少女たちだった。
「キサラギ!」
 集会所でお茶をする、目を丸くした幼馴染みたちに、キサラギは情けなく笑いながら近付いた。
「もうお腹ぺこぺこ。ちょっともらっていい?」
「当然よ、どうぞ」
 席を一つ空けてくれ、お茶を注いでくれる。机の上に広がるのは、紅苺の砂糖漬け、干し果物の盛り合わせ、柑橘系のタルト、チーズのケーキ、扁桃を練り込んだ焼き菓子、野菜と薄肉を挟んだパンなどなど。目の前に並ぶ食べ物と、湯気の立つ香茶にうっとりする。
「ああ、生き返る……」
「いつ帰ってきたの?」
「さっき。このジャム美味しい!」
「あら、ありがと。甘すぎたなと思ったんだけど」
「ううん、そんなことない。余ったら持って帰っていいかな」
 口を動かしながら、これ美味しいあれが欲しいとあちこちに手を伸ばすのを、少女たちは呆気に取られて見ている。しかしやがていつものことねとそれぞれに納得し、苦笑を浮かべた頃には彼女たちは食べるのを止めて、キサラギのお茶を注ぐのに専念し始めた。
 ほとんどの皿が空になる頃、キサラギはようやく一息をついて、何杯目かのお茶をすする。満足して緩んでしまった頬で、言ってしまった。
「こんな時間にお茶って太らない?」
 ぶおんと何かが飛んでくるのを反射的に首を引っ込めて回避する。避けられて後ろでからーんと音を立てたのは、お盆だ。金属製。かなり、硬い。
「キサラギ? 殴るわよ?」
「もう武器使ってきたじゃん! 殴るとか以前の問題!」
 慌てて茶器を手にしたまま第二撃を回避する。のんびりして他の娘たちはそれを見やり。
「あなたはいいねえ、運動してるもの」
「運動っていうか、仕事っていうか……」
 そこではたと思い当たった。
「そうか、昼間は忙しいもんね。昔みたいにお昼にお茶会ってできないか」
 彼女たちは微笑んだ。
 皆、キサラギと同じ年頃の娘たちだ。彼女たちは誰も仕事を持って、更に結婚もしている。家のこと、竜狩りの街の女としての仕事に追われ、こうして集まれるのは夜になってしまうのだ。
「別に悪いなって思う必要、ないんだからね」
 心を読んだかのように一人が言った。
「そうそう。キサラギの仕事とあたしたちの仕事は別物じゃん」
 皆頷く。キサラギは静かに微笑みを浮かべ、茶器に映る灯火の光を見た。
 彼女たちは女としての仕事をし、結婚もした、女の象徴を掲げる子たちだ。毛色の違うキサラギを仲間にしてくれてはいるものの、キサラギは自分で彼女たちとかけ離れていることを知っている。お茶会に混じっている自分は異質だった。
 茶器を置き、服の裾をいじる。下着代わりの服の上から隙間無く胸当てや脛当て、篭手などをつけている。金属類は外したが、それでも女がするには奇妙な格好だ。華やかな色はどこにもなく、唯一女らしいと言える赤色は使い古された色。
 友人たちは明るい色の裾の広がる服を着て、小さな布靴の飾り玉の縫い取りが可愛い。
 昔は、よく叱られた。あんな危ない仕事を、こんな綺麗な顔や身体に傷をつけて。だから少し前まで、キサラギは彼女たちを避けがちだった。いつから、こんなに理解を示すようになったのだろう。
「なに、黙っちゃって」
「ん、いや。……なんかみんな、大人になったよね」
「何言ってんの。あんたも年変わらないでしょうが」
「大人になったのなら……そうねえ」
 にっこりと、微笑まれた。
「竜狩りと結婚したから、かな」
 優しい空気がキサラギを包んだ。眼差しは温かく穏やかなもの。皆、笑っている。何故か、彼女たちがずっとずっと大人になってしまったような気がした。そしてその目は、キサラギの知る遠い人によく似ているのだった。
 しかし次の瞬間。
「って結婚って! 結婚って!」
「結婚! 恥ずかしい!」
「まあ平たく言うと? 恋をしたわけで?」
 きゃーというかぎゃーというかな黄色い声が爆発し、圧倒されて仰け反った。顔を真っ赤にして相手を叩き、けらけら笑って手を鳴らし机を打つ。何がそんなに恥ずかしいのか、よく分からない。言いかけたことがどこかに行ってしまって目をしばたたかせる。
「おやまあ、盛り上がってるねえ」
 そう言って扉を開けて現れたのは、彼女たちの親くらいの年齢に当たる女たちだ。
「あたしらもちょっと寄せとくれ」
「あんたたちそんなに騒いでると明日に響くわよ!」
 幼馴染みたちも少し苦手なところがあるが、この世代の女性たちはまた苦手だ。子ども扱いされてしまうのである。それも、幼児のように。現に。
「ああ、キサラギ、おかえり。怪我してないかい?」
「何か食べた? ……なにこのジャム、砂糖食ってるみたいだわ。歯に悪いからあんまり食べちゃだめよ」
「そんなに細いのにお茶ばっかり飲んでないで、肉を食べなさい、肉を」
 そうして結局は。
「何かあったらおばさんに言うんだよ」
 となる。女性たちから茶菓子を山盛り盛られた皿を受け取りながら、大人しく返事をする。口答えすると何を言われるか分かったものではないことは、この街で一年暮らし続ければ分かる。
「あ、そうだ。キサラギ、あんた帰ってきたんならユキのとこに顔出してやんな。来るまで待ってるから来てくれって言われたよ」
「本当!? じゃあ、行ってくる!」
「お待ち。これ持っていってやりなさい」
 もう遅いから明日にしようと思っていたところだったので、飛び跳ねるように席を立った。お盆の上に様々な茶菓子をもらって、キサラギは町の中心部に向かう。
 中心とは普通竜狩り本部であるが、本当の街の中心部としてみるのなら物見塔がそれに当たる。物見と言ってもその機能はほとんど果たしていない。街を作る頃まず建てられるものなのだが、ここから街が広がっていくと、機能を外側の出入り口に建てられる物見に譲り、竜狩りの街としての象徴となっていくのだ。
 かつて詰め所のようなものだったので、部屋はいくつも残っている。現在、一階部分の一つの部屋には二人の住人がいた。一人はキサラギの友人、もう一人はその母親だ。時折手伝いの女たちが入れ替わりで年老いた母親を手伝いに来るのだが、しかしそれ以外滅多に誰も近寄らない中央部分に住んでいるのは、友人の障害に理由があった。
「こんばんは……おばさん?」
 燈籠の側で縫い物をしていた女性が、顔を上げて目を細めた。
「キサラギ。おかえりなさい」
「ただいま。ユキは?」
「お待ちかねよ」
 母親との会話もそこそこに、キサラギはいそいそと上がり込むと、繋がる奥の部屋の覆いを開ける。
「ユキ?」
 声をかける前に、床の軋む音や風の動きを察知して彼女は振り向く。長い髪が柔らかくふわりと泳ぎ、桃色の唇がキサラギにだけ喜びの笑みを浮かべた。
「キサラギ、おかえりなさい!」
 ユキが辺りを探る前にキサラギは近付いて、彼女に自分を触れさせ、そうして抱きしめる。花束のような香りを確かめて長い間抱き合った後は、ユキが感触を確かめながらこちらに目を合わせるようにするのを待つ。慣れたもので、余計な部分に触ることなく小さな手が頬を包んだ。
 布で覆われている彼女の目が、優しく微笑うのが分かった。
「本当にキサラギだわ。おかえりなさい」
「ただいま、ユキ。……あ」
 思い出して、離れる。ぱたぱたと裾をはたいて。
「私、におわない? 一応汚れは落としてきたんだけど」
「ううん。キサラギは外の香りがする。風の匂い。草とか、お日様の温かい匂い」
 くすぐったくてキサラギは笑う。だからユキが好きだった。
「ねえ、今回の竜はどんな竜だったの?」
 声を弾ませてユキが尋ねる。キサラギは出発前に繰り返した作戦会議の話から語ってみせた。どこからその情報がもたらされたのか、セノオの竜狩りは何を思ったか。誰が任務を帯びるかという話は、結婚したばかりの妻を置いていかなければならない若い竜狩りの物語に繋がる。一方で、慕う娘と約束を交わした竜狩りの話。少しの嘘と若干の誇張を織り交ぜ、好き勝手に話して聞かせた。それに相槌を打ち、息を呑み、笑うユキは、キサラギにも笑顔をくれる大切な存在だった。
「キサラギはお話が上手ね。村の婆樣方にも負けないもの」
 語り部の老婆たちと比較されるのはいつまでも照れくさい。
「これでも小さい頃は文学少女だったんだ。あの頃は本を読まない日なんて一日もなかったよ」
「うそ! 絶対うそだわ!」
 お腹を抱えて笑い始めたユキだったが、ふと、呼び声がしたので声を潜めた。覆いが捲られ、母親が顔を出す。
「ユキ。レンが来ているわ」
 さっとキサラギは表情を硬くした。ユキを見ると、俯いて、膝の上の手を握りしめている。その小さな震えを見れば、キサラギはいつものように立ち上がることを決意した。
「私が出るよ。ユキ、いいよね」
 短い間の後、こくんと頷かれたので、キサラギは外への扉を開ける。
 扉が開いたことに期待を表した訪問者の青年は、そこに現れたのがいつものキサラギであることに落胆したようだった。毎回懲りないものだ。
「帰った方がいい。ユキは会わない」
「ユキがそう言ったのか?」
「ああ」
 レンは痛みを堪えるように拳を握りしめている。冷ややかにそれを見、キサラギは用が終わったと踵を返す。
「待ってくれ」
 縋り付くような呼び止められ方に、不快もあらわに見返した。
「なんで、ユキは会ってくれない……?」
「……『なんで』?」
 唇を歪めた。よく言えたものだと。
「ユキは許してないからだよ。……あれは事故だったなんて、言わせない」
 十年前のこと、少年たちがふざけて小さな蜥蜴を殺して遊んでいた。それだけでも残酷であるのに、虐殺に使っていた小刀は、止めようとしたユキの目を傷付けたのだ。
 事故と思いたければ思えばいいと思う。自分たちの非道を正当化し、光を失い更に隠されなければならないユキの気持ちを無視できるのなら。片方は潰れ、もう片方は――。
 そしてキサラギは自己嫌悪を覚える。レンが言い返せないのを知っていっているのだと気付くからだ。これでは虐殺と変わらない。心に対する拷問のようなものだ。傷だらけにする分、たちが悪い。
 レンは唇を噛み締め、小さく謝罪をする。ごめん、と。だがキサラギにはどうすることもできない。渡してほしいと言われた花束を黙って受け取り、去っていくのを見送る。
「……レンは?」
「帰った」
 花束でももうちょっといいものを贈ればいいのにと思う。仕事帰りに摘んだ萎れかけの野花ではなく、もう少し派手なもの、匂いの分かるものを。
「なにしてるの?」
「ん? ……ああ、花を生けてる。レンがくれた。多分今日の仕事の帰りに摘んできたんだと思う。桜草とれんげ草と菫。桜草の桃色が、光みたいに鮮やかだ。でも、ユキが見えないのに花なんてさ」
 ユキが近付いてくるので場所を譲る。ユキは手を伸ばして花瓶に触れ、茎を辿り、花に至る。花びらは濡れたように柔らかそうで、同じように柔らかい白い指が小さな花々を撫でた。
 思わず花瓶をひったくった。
「あ」
 ユキが目標を失った不安そうな声が、キサラギを我に返す。
「あっ! ご、ごめん! あ、あんまり触ると萎れるよ。部屋に飾ろう」
 言い訳をして花瓶を運ぶ。何故か見ていられなかった。寂しげで遠いところを見るような、ユキの立ち姿が、どうしても。キサラギの足音が止まったことに気付いた彼女は、少しだけ首を傾げ、微笑む。キサラギは、親友が怒っていないことを知って安堵する。

    



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