「確かにその娘は、我がセノオの竜狩りに未成年の頃所属していた者」
何か思うところがあるのか、未成年の台詞にセノオの街長は不愉快を示した。
セノオとマミヤ守護団の会談の席は非公式に設けられた。セノオの街長は、街を封鎖しているのは竜狩りたちの独断だとし、そちらが追っている者が罪人であれば協力を惜しまないと最初に言った。
「十二年前、現在の竜狩り長イサイに、東の古都で拾われた者、と聞いている」
「素性で分かっているのはそれだけですか?」
街長は眉を寄せる。
「と、言いますと?」
「東の都市、キサラギノミヤは竜に滅ぼされました。未だ見つかっていない生き残り、唯一があの少女です。私たちは知らなければなりません。十二年前、街を滅ぼし、住民が消え失せた、あの竜の所行の原因を。私たちマミヤは、その原因があの少女にあると見たのです」
セノオの街長はなんとと二の句を告げない。付き添いであった者たちも、戸惑ったような囁きを交わす。
それこそがマミヤの王ケイの狙いだった。
「少女の姉は竜に変じて自らの故郷を焼き滅ぼしたのです。あの少女、キサラギが、竜人でないという保証がどこにあります?」
疑いに忍び込む影は、不審の扉を開く。都ノ王が見たセノオの者たちの目は、すでにキサラギの処分を心に決めていた。
*
凄まじい足音が近付き、ユキは身構えた。
「ユキ、キサラギは!?」
だが聞こえた声はもう馴染みとなったレンのものだ。しかしその声には焦燥があり、何か悪いことがあったのだと青ざめてしまう。
「どうしたの、ここにはいないわ」
「エンヤたちがキサラギを探してる。マミヤの都ノ王と密約を交わしたらしいんだ。キサラギを、竜人の妹だ、キサラギは竜人だって言って。あいつら、キサラギを狩ろうとしてる」
座り込んだユキを母親が支える。レンも膝を突いて抱きとめてくれたが、しかし礼を言う暇はなく、口にするのは一つだけ。
「お願い、レン、キサラギを探して! 助けて!」
「イサイさんや、ハガミ部隊長にも知らせがいったはずだ。大丈夫、必ず助ける」
ぎゅっと抱きしめてくれる。大きな身体はどんな形なのか今は分からないけれど、恐らくずっと成長してしまったのだろう。罪のない生き物を殺して歪んでいた、少年はそこにはいない。こうして、助ける、と言ってくれる。
レンが出て行く音を聞きながら、しかしユキは小さく震える手を押さえつける。
大切な友人。どこか遠くを見ていた幼い少女時代の彼女の立ち姿の記憶。つい先程ぶつけてきた言葉は、まだ弱くて傷付きやすい小さな心のままだった。キサラギに守ると言わせてはいけない。守ってやらなければならないのに。
ここにいるのは無力すぎる自分だ。自分は何も変わっていない。幼い頃キサラギと一緒にいたがり、彼女を遊びに巻き込んで時間が過ぎても離さないようにした、あの頃のまま。
キサラギを繋ぎ止められるのならそれでもいいと思っていた。弱い自分は心地よかったのだ。守られていることは安らぎだった。
だがそれはキサラギが安らげていないことを意味する。それでいいのかをずっと考えて、ある日、扉を開けた。扉を叩こうとしていたレンが驚いたように名を呼び、ユキは、久しぶりにレンを家へ招き入れた。
キサラギを守りたい。解放してあげたい。
「どうして私、何も出来ないの……」
この目が。
しかし布で覆った目が、確かな暗闇を見つめた時、気付いた。
夜が来ている。この目は、竜人の眼。キサラギが追う者たちが求めているのは、竜人。
*
「エンヤ?」
久しぶりに見た天敵の顔は、久しぶりというだけでなんとなく許せるものではある。だがその顔はひどく侮蔑を含んで、更にどこか殺気立っていれば、キサラギとて何かあるというのは想像がつく。
「おい、どうしたの、一体」
退路を確保しつつ、尋ねる。
「マミヤ守護団にお前を差し出す」
エンヤは剣を抜いた。街中で、竜狩りの剣を抜いたのだ。それは敵対行為。竜狩りでは許されない振舞い。
「そんなに私が嫌いか」
柄を握る。抜きはしない。手のひらにあるのは守護者の証だ。人を狩るものではない。
だがそれを目の前の青年たちは踏みにじる。怒りが沸き起こり、キサラギこそ侮蔑と憎しみをもって叫んだ。
「憎しみで竜狩りの魂を汚すのか!」
「止めろ、エンヤ!!」
キサラギの怒声そしてレンと人々の近付く音が、エンヤたちを怯ませた。その隙にキサラギは退路へひた走る。
「追え!!」
どちらもこの街の住民だった。路地という路地を知り尽くしている。あちこちを走り回り身をひそめるよりも、外に出た方が街に対して混乱は少ないと、閉ざされた門まで疾走する。
匿ってもらうにも、先程の面子には信頼するお偉方の息子の姿もあり、簡単に身を寄せられなさそうだったと、息を上げながら考える。だがそういった人間がエンヤに味方するということは、キサラギに対して包囲網を狭めるよう、マミヤによって働きかけられたということだ。
「キサラギ、だめだ、開けられない。君の姿がマミヤに知られたら、君がただじゃすまない」
「じゃあ一体どうなってるんだ。エンヤたちが私を追ってくる」
エンヤが? とサトナキたち門番は不審そうにする。
「マミヤの都ノ王は何を言ったんだ」
「お前の罪を」
はっとして振り返れば、いつの間にか街の重役たちが並んでいる。どの顔も暗く沈んでいる中、罪という言葉を使ったのは街長だった。
「キサラギの娘。お前の姉の罪を」
畳み掛けるように言った。声は確信に満ちすぎていて、キサラギはよろめきそうになりながらも踏みとどまる。
曇り空に雷鳴が響き始めた。まだ雨は降っていないが、時間の問題だ。
「お前が灰色竜を追うのは、姉の正体が灰色竜だったからな」
「……だから?」
だから、何だと言う。竜狩りが竜を追うのは当然の行いだ。
「お前をマミヤに差し出す。マミヤはそれで、セノオを街として留めてくれるそうだ」
「答えになってませんよ、街長。姉さんが灰色竜で、それが、なんですか」
「同じことが起こらないとは限らん」
同じこと。
キサラギが竜になること。竜になって街を襲うこと。街が滅びること。住民が皆消えてしまうこと。その根本は――人間が竜人に恋をすることか。
ものすごい音を立てて千切れ飛ぶ何かを聞いた。
「ふっ…………ざけんな!!」
手近に叩けるものがあったなら、粉々にする勢いで殴りつけている。
「私はこの街で育てられた! 竜狩りとしてだ。竜狩りとして見ていたのはあんたたちだ。なのに、私が、あんたたちを滅ぼすって? 竜になるって? 竜人だって? ――馬鹿じゃないのか!!?」
怒りのあまり言葉がうまく出ない。震える身体を押さえつけるのが馬鹿らしい。十二年間築いたはずのものが、呆気なく崩れ去っていくのだから。
今ならユキの問いに答えられる。今一番憎いのは、人間だ。人を狩る竜狩り。欲望のために人間を好き勝手に使う人間。勝手な思い込みや、剣を向けるほどの憎しみ。ずっと、ずっとそうだったのかもしれなかった。例えば始まりは、姉に対して勝手な噂、例え真実だったとしても悪評を振りまいた誰かだったのかもしれない。脱力にも似た悲しみで、キサラギは滲んだものを堪えて唇を噛み締める。
奥の方から近付くざわめきに気付かなかった。次第に静かになっていくことに顔を上げると、街長もまた振り返った。
「ユキ……?」
決して外に出てはならないと定められている娘の登場に、街長は糾弾の声を上げようとして、阻まれた。ここまで来るのに使っていた杖を落とした音が、高く響く。
ユキは目を覆っていなかった。瞼を開けば押し殺した悲鳴が上がる。片方の眼下は空虚。もう片方は竜の瞳。
キサラギは空を確かめた。雨雲に隠された太陽は、沈んでしまったのだ。
「竜人にならない保証がないのは、私も一緒ですよね」
しんとしたそこでユキの穏やかな声はよく響いた。響いて消えた時、キサラギは制止していた。
「ユキ、だめだ帰れ!」
「キサラギの代わりに私を差し出してください。私なら実験台になれるもの。マミヤ守護団がキサラギを欲しがるのは、竜人としてでしょう? 私なら、確かに少しだけ竜人みたいだもの。キサラギの代わりに、なれるわ」
キサラギは首を振る。そんなの取引にもならない。マミヤはキサラギを手に入れなければ納得しない。ユキを持っていかれる分、人の悲しみが増えるだけ。
「馬鹿なこと言うな! そんなの取引でもなんでもない! 私はそんなこと許さない。ユキは、私の人生はユキじゃないって言った。ユキが、私の代わりになれるはずがない!」
ユキはちょっと笑った。キサラギは焦る。何を言っても届かない気がして。
「ユキは竜人じゃない。ユキは人間だ!」
「じゃあ、センさんは?」
すっと何かが触れた。
「センさんは、違うの?」
「何の話だ……?」
街長の声は人々の代弁だ。しかし見守ることしかできない。
「竜と竜人は人を襲う……でも、彼らが人間を守りたいと思ったのなら、それは、彼らはもう竜ではないということではないかしら」
ユキは、知っている。キサラギはそう思った。いつも正直に話したことはない、先日までの旅のことも。だが、ユキは上手に本当を拾い上げて、真実を紡ぎ出した。
「私、キサラギを守りたいの。好きな人には、生きてほしい。ずっと未来を、長い長いさきを。光の方向へ。キサラギだけじゃなくて、セノオのみんなも。――分かって、くれる?」
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