第8章 誓   
    


 徒歩で日中歩き通して、懐かしいセノオの物見や街の壁が見え始めた。すべてが見える場所に立って、草原の音に耳を澄ませば、こんなに短いのにどれだけ遠くへ行っていたのだろうと思った。
 行ったことのない場所に足を踏み入れ、知りたかったことを知り、知りたくなかったことも知った。風に吹かれている自分が少しだけ頼りない気がしたのは、このさきどうすればいいのか分からないからだった。


「キサラギ!?」
「やあ、サトナキ。開けてくれる?」
 門番に声をかけると彼は驚愕を貼付けてキサラギを呼び、慌てて入口を開けて招き入れた。扉は厳重に封鎖される。封鎖、と言わなければならないように、いつもと違って厳重に扉を閉めているのだ。
「キサラギ、どうしたんだ。危ないのに」
「危ない?」
「待って、今ハガミ部隊長呼んだから。あの人から事情を訊いて」
 そうこうしている内に、巨体を走らせるかつての上司が来た。挨拶もそこそこに、彼はキサラギを本部へ追いやり、厳しい顔で詰問した。
「ここに来るのを誰にも見られてないな?」
「え、多分……」
 戸惑って答えてから、緊急を要する事態が起こっていると気付く。
「どうしたの」
「マミヤ守護団がお前を追ってる」
 端的に、ハガミは告げた。キサラギも余計な口を利かずに頷く。
「確かにあそこのごたごたに巻き込まれた。ミヤ祭りで都ノ王が変わった事件に」
「また都ノ王が変わったんだ。新しいマミヤ守護団の団長が、都ノ王を殺した」
 言葉を失う。都ノ王は、滅びた故郷の過去を知っていた男。団長は、あの眼鏡のケイという男のはず。
 詳しい話を求めると、ケイが都ノ王を殺したのは非公式な噂だということだった。マミヤからの亡命者がセノオに助けを求めて説明したことだと言う。そしてキサラギに向けた警告のために来たのだと。
「私を知ってたのか」
「もういないけどな。別の街に移らせた。『いつも話を聞いてくれてありがとよ』って言ってたぞ。痩せたばあさんと家族だった」
 乾物屋の老女だ。
「そこに大きな身体の青年はいた? ゴウガって名前の」
「いいや。そりゃあ孫のことだな。あのばあさん、孫が自分を犠牲にして逃がしてくれたって泣いてたな」
 では彼は守護団に残ったのだ。どうなってしまったのだろう。出来れば助けたいが、キサラギにその力や権限はない。
「お前の話に戻るぞ。で、マミヤはお前を捜してる。東の都市の生き残りを狩ってるらしい」
「生き残りがいたの?」
 驚くのはそこか、とハガミは苦笑しつつ、言う。
「実際には東の都市を訪れたことがあるってだけの人間を集めてるんだ。生き残りは見つかってない。キサラギ、お前だけだ。キサラギノミヤの生存者は」
 そのための厳重封鎖なのだと言った。旅人も入れず、すべて追い出して、住民は出て行ってもいない。仕事は当然できておらず、篭城が続いている。マミヤ守護団が小さいが軍を展開しているのだった。
「何を欲しがってるのかは分かる? なんて返事してるの」
「分からん。ただ単純にキサラギを渡せとだけだ」
 推測は立った。ケイはキサラギが東の都市の生き残りだと側で聞いていたのだから。東の古都の生き残りを捕らえているのなら、彼はもしかしたら何らかの噂を聞き及んだのかもしれない。キサラギノミヤの竜狩りが竜になったのだという、与太話とされる話を。だが知る者にとっては真実を。
 かつてのマミヤ守護団は『竜の宝』を隠していた。どこからか話が洩れたのだとしたら。
(私が竜人だと思い込んで、新しい『宝』として手に入れようとしてるのか)
「出て行ったままだって返してるけどな。だからしばらく出て行くな。竜狩りが人狩りたぁ、業が深い」
 まったくだと目を閉じる。マミヤはそういう土地になってしまったのかもしれなかった。
「灰色竜は?」
 少し不意打ちで聞かれ、戸惑う。だが、正直に返した。
「狩られてた」
「はあ!? どこに?」
「知らない竜狩りだよ」
 口にすると、姉が血を流して倒れている光景が、見てもいないのに浮かんだ。しかし焼き付くように映るのは、側に佇む銀の影。
 罪は狩られてしまった。もう目指すものがない。
 そして彼は、求めてくれない。
 キサラギはハガミの側をくぐり抜け、もう一つのことを追求される前に建物を出て塔に向かった。戻ってきた竜狩りに目を留めて声をかけてくれる仲間たちに軽く応じる。だが足は止めない。きっと何かを教えてくれる親友が、向かう先にいてくれるはずだったからだ。


「まあ、おかえりなさい!」
 ユキの母親は目を丸くして案内してくれた。来訪を教えられる前に、彼女は何かを感じていたようだ。ふっとこちらに顔を向けて、やって来たのが本当にそうなのか確かめている風だったからだ。
「キサラギ? わあ、おかえりなさい!」
「ただいま」
 二人にしてもらい、ユキを抱きしめる。変わらない。
「……悲しいことがたくさんあったの?」
「どうして?」
 小さな声に問い返したが、ユキは首を傾げただけ。
「それよりも、珍しいものがたくさんあったよ。話していい?」
 もちろんと嬉しそうなユキに、セノオを出てからの話をした。
 草原の風景や、降る雨が覆う景色とぽつんと灯る洋燈、マミヤの祭りの出来事、花の舞う古都、乾物屋の老女や粥屋の少女、南の街で偶然イサイに会ったこと、何故か竜人の郷に行くことになったこと。
「竜人の郷? キサラギ、作り話しないで!」
「本当なんだって! 竜の背中にも乗った」
 前代未聞だ、お伽話だとユキはばたばた手を動かす。それでどうなったのと続きをせがんだので、想像したものをさて話そうとすると、部屋に入ってきた者に呆然とした。
「ユキ、調子は……」
 相手もそうだったろう。
「レン……?」
「キサラギ……」
 狼狽えた様子を見て、反対にキサラギは怒りを覚えた。よくもここまで。
「よくもここまで足を踏み入れたな……!」
 立ち上がり追い出そうとする。が、反対側から阻まれる。
「待って、キサラギ! 待って!」
「――ユキ?」
「レン、今日は帰って。まだ説明してないの」
 その慣れた言葉の交わし方に、何も言えなかった。レンは大人しく部屋を出て行き、キサラギは、わけが分からずユキを見る。何故、あのレンと親しく話したりするのだ。
「どういうこと? レンは、ユキの目を」
「私、レンを許したわ」
 失わせたんだよと、言おうとして消えた。
「……許した?」
 ユキは首を振る。
「ううん、最初から誰も恨んでなかった。見えなくなったことを不幸だとは思ったけど、恨みはしてなかった。でも、恨んでいた方が周りは納得するのを知ってたの。だから、黙ってた。その頃、私も、自分の気持ちが分からなかったから」
 でも今なら分かると、強く、揺るぎない言葉。
「私、レンが好きよ。彼も、私を好きだって言ってくれた」
「でも、それが罪の意識からじゃないとは言えない」
 弱い友人だと思っていた。だから守ってやらねばと。だが、まずユキの強さに羨望するよりも、もっとどす黒く嫌なものが、口をついて出てしまった。
 レンはユキの視力を奪った。レンにはユキの言葉に逆らえない理由がある。
 目の前の親友が、どこか傷付いたように眉をひそめた。だが、口にした言葉は強い。そうね。
「そうね。でもね、罪の意識からでも、私はそのまま丸ごと彼が好きなの。彼はきっと、許されたと思ったわ。私はそれでいいと思う」
 キサラギに呼びかける声はいやになるほど優しい。傷付けたのに、ユキは許す。キサラギさえも。それは、しかし、責めているようだった。
「憎むよりも愛する方がずっといいと思ったわ……」
「愛しても、取り戻せないものはあるよ、ユキ」
 キサラギと名を呼ぶその儚さが。ユキの優しさが、キサラギを否定する。
「恋なんて、見失って溺れて自分の姿形を醜く変えてしまう。恋なんてしない。ユキの言う通りなら、私は誰も愛したりしない。誰も許したくない」
 許してしまえば、未来はない。竜や竜人を狩ることはできなくなる。竜は敵だ。狩るべきものだ。十二年間、ずっとそこに目的を見出してきたことを、否定してはならないのだ。
 教えてくれると思ったのに。どうすればいいか一緒に考えてくれると思ったのに。竜狩りのキサラギは、竜を狩る以外に方法を知らないから。
「キサラギ、あなたは何を憎んでいるの? あなたが狩る竜? それとも、何か別のもの?」
 そして寸のためらいの後に、こう言った。
「誰を、好きになったの?」
「ユキには分からない」
 それは剣を振りかぶるようだった。
「ユキには、私の、竜狩りの気持ちが分かるはずない!」
 心に斬りつけた、そう気付いたのは、ユキの前から走り去り、誰もいない場所を探している最中だった。
 だがどこにも行けなかった。街は封鎖され、外ではキサラギはおたずねものだ。どこにも行けない。行く場所を知らない。十二年間変わらない、歩いて歩いて歩き続けた。
 力つきて倒れる前に風の音を聞いた。空を、駆けた記憶。キサラギは求めるように門番のいる見張り台へ上る。一人にしてほしいと勝手なことを言って、空に近い場所から手を伸ばす。あそこに行けば成長できる、そんな風に、腕の付け根が痛むくらい手を挙げて。
 空へ連れていってくれたのは。
 苛立ちや軽蔑や嘲笑や呆れ、けれどそれは人に近付かないようにしていた心の防御で、本当はふとした折りに助けてくれる優しい、センの、手だった。
 未来を見てほしい。ずっとさきの、光を。
 あんなに、センに祈ったのに。なのに自分がそれを持っていない。何を得れば未来が手に入るのか分からない。呼吸が出来ないのに等しい。未来を目指さないと生きていけないのに、キサラギが持ってきたのは剣だけ。竜狩りの名と魂だけ。
 ユキには見えたそれ。手に入らない未来だからと言って、ユキを傷付けていい理由にはならない。
 伸ばした手は何も掴めず、手を下ろす。握りしめた拳は自身の温もりだけを知らせた。そこに何かが生まれればいいのにと、願うように額に当てる。
 太陽が陰る。流れる雲が一所に集まり始めた。雨が、降るだろう。
 その方向に、人狩りの姿。地平線に群れる竜狩りにキサラギは目を見開く。そして、街に向かって警鐘を打ち鳴らした。

    



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