「…………って、その試合直前に閉じ込められるって、私は馬鹿か!?」
 馬鹿だろう、とセンなら言う。間違いなく。あの冴え冴えとした目で。
 取っ手を掴み、扉に足を当てて前後に揺らす。がたがたと板は上下に揺れるだけだ。気を抜いていた。勝負をすると宣言したから、そこですべて決着がつくものだと思い込んでいたが、こういうところで小細工をしてきたらしい。
 武器に手出しされるのは勘弁と、それだけは気をつけていたのだが、よく考えればここは騎士たちの宿舎でもあるので、細工のしようはいくらでもある。もう少し気をつけておくべきだった。
「試合に遅刻したんじゃ、不戦敗だって言われるに決まってる! まったく!」
 よほど頑丈にできているのか、前後や上下に揺さぶるだけではびくともしない扉を前に、キサラギは肩で息をしていた。無駄に体力を使っている。この上は、窓から壁を伝って降りるか、扉をぶち破るか。
 そう思ったとき、扉の向こうで人の気配がした。がたがた、と何か重いものをどかす音がして、扉が開く。
「!」
「キサラギ。何故君がまだここにいる」
 立っていたのは、驚きではなく不審の目をしたオーギュストだった。
 廊下には、重そうな椅子が並んでいる。どうやらこれを積んであったらしい。それらをどかしたオーギュストの腕力にいささか驚きつつ、尋ねた。
「そういうあなたこそ、どうしてここに?」
「エルザが『キサラギがまだ来ない』というので、ブレイドと様子を見に来た。ここは私の管理下にあるからな」
 言って、なるほど、と彼は目を細めた。
「妨害か」
 冷ややかな呟きをキサラギは取り上げないことにした。
「助かりました。ありがとう。遅れないうちに、先に行きます」
 だが、その進路を塞がれる。
 顎を引き、距離をとると、目が合う。
 視線が絡め取られていく。気に入られていないことは分かっていたが、何故ここにきてこうなるのか。
 この距離は嫌だ。センを思い出して仕方がない。
「……あの。通してください」
「君を見ているとなんとも言い難い気持ちになる。これはどういうことだろう」
 知ったこっちゃないです、と思わず口から出そうになったし、同時に、私も同じ気持ちなんですが、と冷静に呟く自分もいた。
 もっとも気をつけねばならない相手だ、彼は。龍王国の王族、恐らく、竜人として強いものを秘めている。本能として人間を襲う竜人の性質が、人間であるキサラギに反応するのは仕方がないことだが、それ以上に探るものが、オーギュストの視線にはある。
 キサラギは身じろぎした。居心地が悪い。関心を抱かれるということは、相手を知ろうとする心の動きだ。それがなまじセンと同じ顔をしているから、錯覚してしまいそうになるのだ。
 ――少しでも、私を思ってくれるのか、などと。
「君は、」
 センと同じ顔をした、あなたは。

 ――誰だ?

「おや、殿下。見つかりましたか」
 とぼけた声が聞こえ、どちらも夢から覚めるようにして動いた。心なしか距離が開いたが、一歩も動かなかったので、心理的なものをそう感じたのだろう。
(いけない。ぼーっとしてた)
 やってきたブレイドが、呆れた表情でキサラギを見下ろした。
「いいです、言わなくても分かってますから。すぐ行きます」
 意外と抜けてるなとか、隙を見せたのかとか、キサラギがよく分かっている。オーギュストの脇をすり抜け、塔を駆け下りた。だがその直前「キサラギ」とオーギュストが呼んだ。
「君を閉じ込めた者たちには、相応の罰を与えておく」
「必要ないです」
 何を思って言ったのか分からなかったので、そう答えた。
「私が勝てばいいだけの話、でしょう」
 オーギュストは、顔を歪める笑い方をする。
 さっさと背を向けたのでキサラギは気づかなかった。去っていくキサラギを見ていた男たちが、意味ありげな表情で笑っていたことに。

 演習場には、観客席が設けられていた。わざわざ大工を呼んで作らせたものらしい。一段高くなっており、前方には防御壁がある。脇に登るところがあるが、試合場からは、手をかけながら跳躍しないと、上に登れないようになっている。
 小走りで現れたキサラギを止めたのは、眉間にしわを寄せながらほっと息を吐いたエルザリートだった。
「キサラギ。もう時間なのに姿が見えないから、どうしたのかと思ったわ。いったい何をしていたの」
「ごめん、閉じ込められてた。オーギュストには、さっき会ったよ」
 オーギュストは、冷たいくせに、エルザリートのお願いを素直に聞くこともあるらしい。いつもそう優しければいいのに。
 エルザリートは素早く視線を走らせ、到着したキサラギを苦々しく睨んでいる男たちの集団を見遣った。まあ勝てばいいだけだから、とキサラギは怒りに目を燃やす彼女の肩を叩く。多分よくあることだろうと思ったからもある。
「お前、一週間もしない間に、よくこんなに引っ掻き回せるな」
 久しぶりに顔を合わせたエジェは、来るなり馬鹿にしたようにキサラギに言った。
「人気者でしょう」
「悪目立ちしすぎなんだよ、馬鹿か。自分から殺される確率上げてどうする」
「だから強くならなきゃね」
 エジェとエルザリートは黙り込んだ。キサラギの目は、今から対戦するルオーグたちを正面から見据える。
「腐っても、王太子の騎士でしょう。騎士がどれだけ強いものなのか、見極めるいい機会だよ。ここで失敗したら、私は生き残れない。だから、本気でいくよ」
 それはキサラギ自身にも言えた。大きなことを言いながら、ここに立っていることを、周囲に知らしめる機会なのだ。後ろから悠然とやってくるオーギュストは、キサラギがどれほどのものだと思うのか。彼の騎士を打ち倒すキサラギを、どのように。
 鐘が鳴る。
「対戦者は、試合場へ。その他の者は、これより試合場へ立ち入りを禁じる」
 ブレイドの宣言がキサラギを促す。試合場へと変わった演習場で、審判役として立っていたイルダスが、めんどくさそうに木剣を手渡す。
 対戦は、五回。最終回がルオーグだ。キサラギは五連戦だが、問題ないと言ってある。毎日鍛錬はしていたし、エルザリートのおかげで食事は十分にもらっていたから、マイセンに到着した時よりも体力は戻っているはずだ。
 剣を握り、ゆっくりと呼吸を整える。剣に神経を通すように、自分の一部にしていく。
 聞こえていた人の声、風の音が、自身の呼吸音の中に混じっていく。
 血潮の巡る音が、手のひらから聞こえる。音は全身を伝い、心臓を中心にする。
 生きている。ここにいる。戦うための装備を始める。
 キサラギの様子が変わったことに、多くの者が気づいた。そこにいるだけで光を放つような明るさが息を潜め、静寂に包まれていく。何もない空白のようなものが生まれ、人々はその中心にいるキサラギから目を離せない。
「……キサラギの雰囲気が変わった……」
 エルザリートの呟きに、エジェが頷く。
 それらの気配すら、遠くにいてもキサラギは感じ取ることができる。
 草原を旅立ってから、不思議と、以前より自分が新しくなったような気がしていた。戦う感覚が馴染み、それ以外のものも、より鋭敏に感じるようになったのだ。まるで、もう一人自分がいて、五感以外のもので世界を受け止めているような。
 けれど、あともう少しで何もかもが分かりそうなのに、最後の壁がどうしても分厚いという焦燥も感じていた。しかしそれを越えることは、二度と戻ってこられないという意味でもあることも、知っていた。
(――さあ、キサラギ。草原の戦士の力、思い知らせてやろうじゃないか!)
 キサラギが一度剣を振り、構えたことで、相手も剣を構え直した。
「始め!」
 開始の声と同時に、キサラギは地を蹴っていた。
 木剣は怯み硬直した相手の手首を鋭く打つ。ぼき、っと硬いものが折れる音、感触が剣を通じて伝わってきた。絶叫がほとばしり、試合場は、一気に青ざめる。
「手がっ、手があっ!」
 ふうん、と笑ったのはブレイドと、一部の騎士だった。
「指だな。握り方が甘いから、当てると折れるんだ」
「よく言うよ。思いきり狙ってやったくせに」
 観客席で何人かが同じようなことを囁いた。キサラギの剣筋が見えていたということだ。
「狙って折れるものなの……?」
「使い手がそういう細かい調整が得意だっていうことと、相手の力量によりますね。キサラギの気配が変わったのを察知して、相手は動揺して、正しい構えを取ることができないまま、試合開始になりました。キサラギは、相手が体制を整える前に、一番獲りやすい手を狙ったわけです」
 エルザリートに問いに答えたブレイドはやけに嬉しそうだ。
「キサラギは弓も使えると言っていましたから、目も相当いいし、動きの微調整が効くんでしょう。こりゃあ、全戦あいつの圧勝かな?」
 戦闘不能の宣言を経て、二試合目に入る。さすがに二人目はキサラギを警戒していた。一人目への仕打ちに闘志を燃やしているが、その底で淡い恐怖が揺らいでいる。
 試合開始の号令で、キサラギは再び、接近戦へ持ち込むことにした。同じく手を狙ったが、うまく受けられる。当然だ。同じ攻撃を受けて止められないのなら、彼は騎士として決して上等ではないということになる。
 だが、次の手で思いきり右、三撃目で左と攻撃したキサラギは、それを受け止めた相手の足を、足ですくった。声なき絶叫で相手がひっくり返り、その喉元に切っ先を突きつける。
 二人目は恐怖で足が緊張していた。真っ先にそこを掬うよりも、少し搦め手を用いて、左右に揺さぶって体制を崩させた後、足払いをかけることにしたのだった。
「キサラギは、あそこまで強かったのね……」
「と、いうよりも、人と当たった回数が多い感じですね。戦い慣れてるんじゃなく、試合に慣れてるんでしょう。喧嘩慣れしてるってやつです。お、入った」
 三人目は、連続攻撃で倒れた。受け止めきれず、木剣が肩に入り、呻いた相手が膝から崩れ落ちる。キサラギは、それをさらに追うことはしなかった。ぴたりと剣を当て、どうするか無言で問う。降参、の宣言を聞いて、観客席はざわざわとし始めた。一方的な試合に、キサラギの評価が変わりつつあるらしい。
(あと、二人)
 エルザリートが目を丸くしながら拍手をしている。その隣で、エジェが難しい顔をし、ブレイドが感心したような観察の視線を向けてくる。そして、オーギュストは。
 君は誰だ。そう言った声が、耳の奥で反響している。
 それを聞きたいのはキサラギの方だ。センなのか。そうじゃないのか。何を知っているのか。知らないふりをしているのか。
 戦い続けることで、本当にあんたにたどり着けるのか――?
 思考の渦に巻き込まれたキサラギは、無意識に身体を動かしていた。考える前に、相手の動きを勝手に判断して、剣を使っていたのだ。
 四人目は、脇腹に一撃を喰らって、耐えたものの、胃の中のものを吐き出して、降参を告げた。確かに、吐くのには体力がいるよな、とキサラギの冷静な部分が妙な感想をつぶやいている。
 ルオーグが試合場に出てきた。キサラギを、驚異と警戒の目で見つめている。
 双方に、新しい剣が渡される。
(……ん?)
 回っていた思考が、ふと、引っ掛かりを覚えて緩やかになった。
 なんだか、先ほどより、少し、重い。握り慣れない感触なのは、何の細工もされていない新品だという証だろうか。見ると、ルオーグも何か気になるような顔をしている。しかしそれ以外は、木を削って作られた剣だ。
 過敏になっているのかもしれない。閉じ込めるなんて子どもっぽいことをされたから。
「調子に乗るなよ、奴隷の異邦人。調子よく勝ってきたようだが、俺はそうはいかない」
 ルオーグの軽薄な子どもっぽい雰囲気が一掃されつつあった。つるんでいる仲間たちが倒されたという危機感よりも、騎士としての意識を高めつつある。キサラギを、騎士として認め始めたのだ。
 キサラギは微笑した。最初から、そういう態度で挑んでくれば、こんなつまらない喧嘩をせずに済んだのに。
「始め!」
 キサラギの初速を、ルオーグが捉える。弾き返した手でキサラギを狙うが、避ける方が早い。キサラギは、体勢を崩させるために積極的に手と足を狙ったが、四戦中に見せた手の内を学習しないほど、ルオーグは馬鹿ではなかった。

    



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