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 儀式の間で行われるのは賜福の儀と呼ばれるものだ。長老やその代理人の立ち合いのもと、神官や巫女によって、命山の神々やリリスの祖、歴代の族長にコウセツが無事に育っていることを報告し、この先も健やかに成長できるよう見守ってくれるよう願う。
(儀式をしなくても、コウセツのことはご本人たちに伝わっているんだろうけれど……)
 神官たちが粛々と進めるのでアマーリエはコウセツを抱いたまま静かにしていればいい。誰もが儀式に集中しているのをいいことに、リリス族の至高の人々の顔を思い出し、アマーリエは密かに笑っていた。
 年末年始の儀式は参加しなかったので、これがコウセツの初めての公式行事となる。飽きて騒いだり、疲れて機嫌を悪くしたりすることを心配していたが、コウセツは厳粛な雰囲気に戸惑い気味でも、厳しい長老たちの視線にもたじろがず、神官や巫女の脅すような発声や祝詞に泣くこともなく、ただただ不思議そうにきょろきょろと周囲を見回していた。
(……ん?)
 儀式もそろそろ終わる頃になって、コウセツがわずかに上をじっと見つめていることに気が付いた。小さな手を握っては開き、かすかに上下に振っている。
(……手を振っている?)
 もちろんそこには何もない。儀式中なので誰かが立っているわけでもない。でもきっとコウセツにはそこにいる何者かが見えているのだろう。けれど悪いものでなさそうなのは、いまにも笑い出しそうになりながら手を振って、動くそれを目で追いかけていることからわかる。
(あやしてくださっている……のかな?)
 目に見えない人々が我が子の存在を喜んでくれているのは、リリス族に嫁いだ異種族のアマーリエとその血を継ぐコウセツが受け入れてくれたのだと思えて、嬉しい。ありがとうございます、とそちらの方に目礼した。
 そうしているうちに儀式が終わり、全員が祭壇に一礼する。
「ありあとっ!」
 その瞬間それまで大人しかったコウセツの「ありがとう」が響き、アマーリエはぎょっとした。
 遅れて長老たちのくすくす、わははという笑い声が上がる。決して間違ってはいないだけに笑えてしまい、アマーリエもつい噴き出した。
 状況がわかっていないであろうコウセツは笑顔を振り撒き、キヨツグに「……ありがとうが言えて、偉い」と褒められ、頬を赤くさせてことさら嬉しそうに笑っていた。
 儀式の後は、祝宴だ。
 広間にいなかった付き添いの者たち、家族や子どもたちも出席を許され、互いに親交を深める。コウセツは宴の最初にしばらく顔見せして、この日の出番は終了となる。
 祝宴が始まるまでいま少し時間があるので、コウセツを乳母たちに託し、自分も喉を潤すなどしてアマーリエは短い休息を得た。椅子にかけたアマーリエに、女官たちが髪を整えたり裾の埃を払ったりと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
 一通りそれが終わったところで気配が退いた。彼女たちが退室するとともにキヨツグが部屋に入ってくる。
「……幼いというのに驚くほど元気だな、コウセツは」
 先に向こうの様子を見に行ったらしい。控え室にいる彼は飲み物と玩具を両手に、何をしてきたか乳母たちに一生懸命に話して聞かせようとしているという。
 いつもより騒々しい、いかにも何かが起こっている王宮の雰囲気や見知らぬ人々、状況に影響されないコウセツはもしかしたらかなりおおらかで鷹揚(マイペース)な性格なのかもしれない。
「キヨツグ様はお疲れではありませんか?」
「……私は、別に。初めての行事ゆえ、慣れておらず気を張ってはいるだろうが」
 あれ? と思って、すぐあっとなる。
 キヨツグが妻帯したのはアマーリエが初めて、つまり子どものお披露目会もこれが最初なのだ。族長家に近い人に子どもが生まれたばかりというところはまだないので、初めての儀式なのは当然だった。
(『初めて』……うぅ、勝手に顔が赤くなる……!)
 熱を持った頬に冷たい指の背が触れて「ひゃ」っと身体を竦める。
「……お前も、疲れているとは承知しているが、いましばらく力を貸してほしい」
 静かながらも真剣な台詞に、アマーリエも背筋を伸ばして頷いた。
 コウセツのお披露目会。それはただの祝いの行事ではない。
 我が子の披露目の式に、思惑を抱く者たちが集う。
 それは迎える側も同じことだったのだと、気付いた者は果たしてどれだけいたのか。
「大丈夫です。これは私の問題でもありますから」
 添えられた手に思いを預けて目を伏せる。
 キヨツグはアマーリエに唇に口付けを落とし、額を合わせて呟いた。
「……紅が落ちるから止めろと、注意を受けたのを失念していた」
 恐らく化粧を担当する女官による注意だ。せっかく仕上げたものをキヨツグが何らかの形で欠けさせたり損なったりしたことは数知れず、さすがに事前に注意したのだと思われたが、案の定口紅をはげさせてしまったらしい。
 目を瞬かせていたアマーリエがやがてくすくす笑い出すと、キヨツグは再びその唇を啄んだ。
「……こうなったら、落としきって、潔く謝罪することにしよう」
「え」
 それはちょっと、と思ったアマーリエのもとに否応なく口付けの雨が降ってきた。



 王宮内で最も大きな広間に華やかな装いの老若男女が集う祝宴の風景は厳かな賜福の儀とは正反対に華やかだ。最初こそ膳が並んだ席についているが、キヨツグの挨拶が終わって一通り飲食し、コウセツが退室した後は無礼講となる。酒杯を手にほとんどの者が移動を始め、空になった膳を配膳役の者たちが速やかに片付けていく。酩酊した者が足元を疎かにして蹴り飛ばしたり衣服を汚したりなどは当たり前だからだ。
 盃を手にした者は大広間に、その他の者は庭に出る。大広間の方はキヨツグに任せ、アマーリエは庭に出た。そこでの社交が真夫人としての仕事となる。
 お酒が得意でない人々が多いと見越して、庭にいる人々には温かいお茶と菓子を用意してあった。花の咲き綻ぶ庭園は女性陣の装いとおしゃべりで小鳥の集う花園のようだが、顔見知りは多くない。キヨツグの養家であるセノオ一族のヨシヒトや妹リオンなど、身内に当たる人たちは二日目からの参加となっているからだ。どうやら三日間のうちどちらかの二日間に顔を出すのが暗黙の了解となっているらしい。
 こうした人の集まる機会ではいつも、都市にいた頃から父の付き添いで何度かパーティや行事に参加した経験を思い出す。決して得意ではないが、なんとか取り繕えるくらいには、過去の経験が未熟なアマーリエを支えてくれている。
 無礼講とはいえ最低限弁えなければならない挨拶の順番があり、アマーリエはまず族長家であるシェン家に連なる氏族の長老夫人たちの元へ向かった。
「遠くからありがとうございます」と頭を下げると三人の老婦人は品の良い、それだけに真意の読みにくい微笑みで「よい日和で何よりでございました」「愛らしい御子様ですわね」と返してくれる。
「若君を見ていると、幼き頃の天様を思い出します。本当によく似ておられますわ」
「ええ、まるで時が巻き戻ったかのよう! なんて美々しい御子なのかとみんな驚いたものでした」
「ご成長が楽しみですわね」
 あの二人はやはりよく似た顔をしているらしいと知り、アマーリエはほっと胸を撫で下ろした。
「それは何にも勝る朗報です。絶対に私よりも天様に似た方がいいですから。特に、お顔は」
 どっと老婦人たちは笑った。
「いいえ、そうとは言い切れませんわよ」
「そうですわ。天様はお美しく有能であらせられますが、愛想がなくていらっしゃるから」
「ええ。それは真様に似ていただきとうございますわね」
 公務ではそんなに無表情というわけでも無愛想でもない思うのだが、周りから見るとそうではないらしい。アマーリエは控えめに「とにかくいまは健康に育ってくれればと思います」と笑うと、それが一番だと彼女たちは深く同意した。
 どうぞ楽しまれてくださいと声をかけてその場を離れようとしたとき、呼び止められた。
「真様は、アラヤ家やゴン家の者と面識はおありですか?」
 来た、と思った。
「――いいえ」
 微笑みとともに首を振り「ですが」と続ける。
「天様から、お名前だけは」
 そう、と優雅に微笑み、手にした扇で口元を隠す。
 さすがは高貴な家に長く在り、いま現在に至るまで貴人の家々の女性たちを見てきた賢夫人たちだ。アマーリエの返答で大方を察したようだった。
「ご存じならよいのです。どうか、仰ぐべき御方が誰でもいいというわけではない、ということを忘れないでくださいましね」
 アマーリエを肯定しているのかどうなのか、曖昧な物言いと微笑みを置いてご夫人方は立ち去った。
 リリスの、こういうところが怖い、と思う。
(よくよく気を付けて、迂闊なことを言わないようにしなければ)
 そう思えば、夫人たちの台詞は気を引き締めるきっかけになった。それを見越しての言葉ならやはり頼もしくも恐ろしい人たちだ。
 そうやって重鎮ともいえる方々への挨拶が終わると、次々に女性たちが集まってきた。
「改めて、御子様のご誕生、おめでとうございます!」
「お健やかにご成長されて何よりです」
「真様、お身体の具合はいかがですか?」
「先立ってはご丁寧なお手紙をありがとうございました」
 リリスに戻ってきてからのアマーリエは療養生活ということでしばらく公務から離れており、年始は多くの者が体調不良とあって交流会は早々にお開きとなったので、こうやって直接言葉を交わすのは久しぶりだ。
 何人かとは手紙のやり取りが続いていたが、実際顔を見ると本当に心配してもらっていたのだとわかって、申し訳ないながらも嬉しい。
「ありがとうございます。皆様のお祝いのお言葉、誠に嬉しく思います。どうぞコウセツを見守ってやってくださいね」
 少し泣いてしまいそうになりながら集まる人々に挨拶代わりに応えていく。
「真様」
「真様っ」
 そろそろ人も途切れるかというところで、最後に数名の少女たちが一組になって声をかけてきた。高貴な家や氏族の生まれながら、未婚かつ婚約前という公の立場が弱い彼女たちなので誘い合わせてこちらに来たのだろう。みんなで話しかければ怖くないという様子がなんとも微笑ましい。
「今日の真様のお召し物、とても素敵です。真様が選ばれたのですか?」
「ありがとうございます。私は意見を伝えただけで、衣装を担当する者が天様の御衣装に合わせて選んでくれました」
 そのときだった。
(……あら?)
 そのやりとりの後に数名が目配せをし合ったのだ。なんだろうと気にかけつつ話をしていると、やっぱり様子がおかしい。しばらくしてどんな話題に引っかかりを覚えるかぼんやりと掴めてきた。
「天様と真様は、変わらず仲睦まじくていらっしゃいますよね?」
「次の御子様について天様はどうお考えなのかご存知ですか?」
「後継はやはりコウセツ様に……?」
(うーん、これは……)
 内心苦笑しつつ、ふわふわとした微笑とともに「大切にしていただいています」「こればかりは授かりものですから」「天様が良いようにしてくださるでしょう」と順に答え、密かに視線を交わす彼女たちに切り込んだ。
「それは、本当に皆様がお知りになりたいことなのでしょうか? それとも誰かに尋ねてくるよう頼まれたものですか?」
 困惑していたであろう彼女たちはアマーリエの問いにぎょっとし、途端におろおろとし始めた。
「そ、そんなつもりは……!」
「無礼をお許しください!」
「大丈夫、怒っているわけではありません。きっと何か気がかりがことがあるのでしょう? 何かありましたか?」
 話せるようなら聞かせてもらえませんか、と限りなく優しく尋ねると、先頭にいた二人がしっかり頷いた。

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