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 コウセツのお披露目会の二日目は、風の強い、薄曇りの朝から始まった。
 リリス族の代表が集結するこの日が本番であり、今日行われる謁見とその後一同が会する場での挨拶が、キヨツグの妻の座を巡る思惑においても決着のときだと考えられた。
 向こうが少しずつ同調者を増やしている状況ではあるが、アマーリエたちにとって幸いなのは、二日目にやってくる新しい客人たちに強力な味方もいるということだった。
「――おい。どうした、お前」
 午後に始まる謁見に先んじて、報告や連絡を受ける拠点と定めた応接室に詰めるキヨツグとアマーリエを訪ねてきたのは、キヨツグが幼少期育ったセノオ一族の現在の長、ヨシヒト・セノオだった。
 初めて会ったときは馬での移動など動きやすさに重点を置いた、草原の民らしい服装だった。いまは髪を編んだような房状の耳飾りはそのままだが、黒を基調に襟や袖に金の刺繍を施し、下は大幅の袴という格好だ。目が覚めるほど青い糸を使った壮麗な刺繍帯に翡翠の珠を連ねた帯飾りを鳴らす姿は、いかにも武人らしく雄々しい。一将軍と名乗っても納得してしまいそうだ。
 だがその口調は荒っぽい。畏敬の対象であるキヨツグをまるで不出来な弟のようにしてしまう。
「祝いの日だからせっかく顔を見に来てやったのに、辛気臭い顔で出迎えるんじゃねえよ」
 兄貴分を自称するだけあってキヨツグが秀麗な顔の下で何を考えているのか、ひと目で看破してしまったらしい。じっと見ていてもわからないほどかすかに目を眇めたキヨツグの隣にどかりと腰を下ろし、言った。
「それで、何があった?」
 アマーリエは慌てて人払いしつつ、可能なら別室を準備してくれるように頼んだ。ここは一応、お披露目会の指揮を取るための場所なので、いつ何時誰がやってくるかわからないからだ。
「ウヅキはどうした」
「案内してもらった庵で休憩中だ。服と化粧を直すからって追い出された」
 キヨツグは何も言わなかったが「何を笑ってる」とヨシヒトが凄んでいるので、彼には薄ら笑いに近い表情が見えたのだろう。
 親しい二人のやりとりは見ていて楽しいが、なにぶん時間が限られている状況だ。謁見の開始時刻も差し迫っているので、申し訳ないと思いながらアマーリエは二人の会話に割って入ろうとして。
「お、なんだ、喧嘩か? 面白そうじゃないか、何を賭けるんだ?」
「リオン様!?」
 さらに騒ぎを大きくしそうなキヨツグの妹、リオンが颯爽と姿を現した。
 後ろから「お止めできませんでしたぁ……」と女官と侍従ががっくり肩を落とし、あるいは頭を抱えてこちらに平謝りする姿が見える。リオンの強行突破なら無理はない。
「と、遠いところからようこそお越しで……」
「可愛い甥の披露目に、顔を出さぬわけがなかろう? 土産は、後で持っていくからな」
 もちろん祝いとは別だぞ、と笑う。
 北方の領主代理を務めるリオンはしょっちゅう北と王宮を行き来していて、こちらに来る度にコウセツとアマーリエ、そして乳母たちに土産をくれる。招待客であってもそれは変わらないらしい。着替えもまだのようで、いつもと同じ、戦闘も行える軽装備のままだ。
 リオンが現れた途端、ヨシヒトはすぐさまキヨツグから離れて頭を垂れた。
「セノオのヨシヒト。これに一発くれてやることができたら、私から褒美をやろう」
「恐れながら姫君。天様が顔を腫らしていては、本日の主役である御子様がお可哀想です。ゆえに、褒美は惜しゅうございますが、お誘いは辞退させていただきたく存じます」
『これ』と言われても動じないキヨツグを顎でしゃくったリオンは、くつくつと楽しそうに笑った。
「それもそうだ。コウセツのためだ、私も手は出さぬことにしよう」
(そもそも、顔を合わせる度に喧嘩はしないでください……)
 直接言えたらどんなにいいか。倍にして言い返されるのがわかっていて、アマーリエは思いを胸に秘めてこっそりため息を吐いた。
 特に親しいというわけではなさそうだったリオンとヨシヒトは、この会話で互いに気が合うと認識したらしく、リオンの「必要以上にかしこまらずともよい」との一言により、まるで長年の友人同士かのように揃ってふてぶてしいにやけ顔をキヨツグに向けた。
「さて、アマーリエが気を揉んでいるようだし、そろそろ話を聞いてやるとするか」
「そうですね。正直に話せば、手を貸してやらないこともないですから」
「……エリカを引き合いに出すな」
 瞑目してため息したキヨツグの一言はうんざりとしている。滅多にないことだけにアマーリエは笑いを噛み殺した。それだけ、キヨツグは彼らを信用しているのだった。
 これまでのあらましと昨日起こった出来事、おおよそを説明し終えた頃、アマーリエが頼んでいたお茶がやってきた。使い走りにしてしまったアイに礼を言い、客人二人に飲み物と軽食の煎り豆を振る舞おうとして。
(……あれ、一つ多い……?)
「それは、甘いやつか? それとも塩味か?」
「っ!!?」
 耳元で男の声がして飛び上がった、と同時に伸びた腕に捕まえられて「わぁっ!?」と悲鳴をあげる。馴染みのある香りをまとったキヨツグの腕にアマーリエを引き寄せ、その動きを予期していた上で簪と短剣が同時に男に向かって放たれた。
 かかっ、がんっ! と二連撃を難なく躱した輝く髪の男に、リオンが鋭く舌打ちする。
「急に現れるな。思わず殺しかけたではないか」
「よかったな、殺されるような夫じゃなくて」
「あ、アシュ様……」
 呆然としたアマーリエの声に、にっと歯を見せて笑うのは、先日婚儀を執り行ってリオンと夫婦になったアシュだった。
 リリス族でもヒト族でもない、異能力と好戦的な性質を持つモルグ族。戦時中は北部戦線でリオンとも戦ったというが、民族衣装らしい見事な白の毛皮と数多くの宝飾品を身につけた彼は若長という身分にふさわしい華麗な姿をしている。
「誰だ?」
 この場で唯一面識のないヨシヒトが、どこから取り出したのか簪を構えながら目つきを鋭くして問うと「リオンの夫だ」とアマーリエを抱いたままのキヨツグが答えた。
「ああなるほど、モルグ族の……失礼した、気配がなかったので曲者だと思ってしまった」
「問題ない。いつものことだ。リオンには『ちゃんと足音をさせろ』とよく叱られる」
 礼儀正しく頭を下げるヨシヒトと楽しげに応じるアシュ、この二人はどうも相手を未だ警戒し合っているように見えた。傭兵業も行うヨシヒトと戦いが日常のモルグ族の長のアシュの組み合わせは、相手の力量を測ってしまってなかなか打ち解けにくいのだろう。
「どうして簪なんて持っているんだ?」
「せっかくシャドに来たんで、妻に贈ろうと買ったものなんですよ。ちなみにもう一本は娘の分です」
「まだ髪も結えぬ赤子だろうに」
 リオンが問い、ヨシヒトが自慢げに説明し、キヨツグがぼそりと呟く。
(キヨツグ様がそれを言える立場じゃないです……)
 それなりに動き回れるようになったばかりのコウセツのため、すでに馬選びに入っていることをアマーリエは知っている。なんならこれから集中的に教えるのは剣なのか弓なのか体術なのかを吟味している……なんてことを口にするとまた話が長くなるので、アマーリエは奇跡的にひっくり返さなかった茶盆を軽く持ち上げて言った。
「そろそろ、本題に入りませんか?」
 もちろん誰からも否やの声は上がらなかった。
 部屋を移動して、お茶と甘い炒り豆を齧る面々に、キヨツグは先日からの出来事を改めて説明した。そうしてこれから起こると予想されることと対抗手段を明かした上で、彼らに協力を求めた。
 一通り聞き終えた面々は、なんとも言えない微妙な顔をしている。
「協力するのは構わないんだが、アラヤ一族はなんというか……なあ?」
「分不相応な望みを叶えようとする輩を馬鹿というんだ」
 リリス族内部の力関係をよく知るヨシヒトとリオンはにべもなく言い放つ。
 状況は理解しているが、各氏族の力関係に疎いアシュが首を傾げていた。
「強い血と子孫を求めるのは本能的なものだと俺は思うんだが、キヨツグ殿にそのような欲はないのか。貴殿の血統は特殊な、」
「ない」
 アシュが言い終える前にはっきりとキヨツグが答える。
「そうした元々欲を持たぬ、その上で、むしろその血が私を縛っている。縛めを解いたときに何が起こるかわからない。ゆえに他の者と番うことは絶対に避けなければならぬのだ」
 強い言葉に感じるものがあったのか、リオンとヨシヒトは思わせぶりな顔をするだけで何も言わない。
「そうか。なら、アマーリエ殿はどうだ?」
「……私、ですか?」
 問いが投げかけられるとは思わず、目を瞬かせるアマーリエに、アシュは大きく頷く。
「あなたの夫は、稀なる血と強い力の持ち主だ。強い者は誰よりも多くの妻を迎え、子を為し、血を残そうとするものだと思う。だがキヨツグはそれができないと言う。その理由はきっとあなたも承知していることだろう。しかしあなたの考えはどうだ? キヨツグ殿のこれ以上の妻帯を拒むのは、あなた自身の望みでもあるのか」
 アマーリエは大きく頷いた。
「はい。私は、キヨツグ様の唯一の妻でありたいし、唯一の夫であっていただきたいと思っています」
 アシュはどこか不思議そうで面白がる顔をしている。文化が違うとはこういうことなのだ、と思った。アシュの考えるそれは、ヒト族に生まれ育ったアマーリエにとって過去の出来事で、ある種の未知だ。血残すことの難しいモルグ族らしい思想とも言える。
 だから言葉を尽くして、自分の考えを伝えなければならない。
「私の出身であるヒト族は一夫一妻制が続く社会で生活を営んでいます。かれらの住む都市では運命的な結びつきが創作物など様々な形で描かれ、多くの人々に受け入れられています。ですからアシュ殿が言うような『できるだけ血を残す』という考えを持つ人は、いまはあまり多くありません。むしろ多数の人間と関係を持ったり、法に則さずに複数人と婚姻状態にあったりする場合は、ふしだらだと言われてしまいます」
「ほう、そうなのか」
「はい。……実態はともかく、そんなヒト族の都市で私は生まれ、成長の過程で、たった一人の愛する人を求める価値観を抱くようになりました」
 そこでついくすりと笑みが溢れたのは、我ながら浅ましくておかしかったからだ。
「真殿?」
「すみません。……私はとても自分勝手なので、この人だけだと決めたからには相手にもそうしてほしいと思ってしまうんです。そして、キヨツグ様はそれを叶えてくださった。キヨツグ様を本当に縛っているのは、私なんです」
 とても、とても褒められたことではない行動に出たという、自覚があった。
 たくさんの人を巻き込んで、大変な儀式に躊躇いもなく臨み、ヒト族の感覚ではあり得ない不可思議を当たり前のように受け入れて、いまここで幸せに笑っている。たとえば五年前の自分がいまのアマーリエを見たのなら、きっとどこかおかしくなったか壊れてしまったと恐怖を抱くはずだ。
 でも、それだけの、恋をした。
「誰にも渡したくない。私だけのものでいてほしい。たとえ名前ばかりの関係でも、自分たちの平穏を守るためであっても許したくない。これが、私の本心です」
 それが許さない状況があるのはわかっているけれど。
 そう最後に付け加えて目を伏せる。夢のような愛と独占欲が認められるほど、アマーリエとキヨツグの立場は決して軽くはない。だから以前に、第二夫人を迎えるなら相談してほしいと頼んだのだ。そうすべきときが来ないとは限らないと示しておかなければ、きっとキヨツグはひどい無理や無茶で思いを貫いてしまうから。
「……うわ……めちゃくちゃ嬉しそう……」
「こう見えてむっつりなんだ、この男は」
 ひそひそ声を聞いて視線を向けると、一見してヨシヒトとリオンが話しているような状態とは思えないキヨツグがこちらをじっと見つめている。だがアマーリエにはその神秘的な黒の瞳に暗いような甘いような熱が揺れているのを見て取ることができてしまった。
(ほ、本当のこととはいえ、ちょっと、いやかなり恥ずかしいことを人前で言っちゃった……)
 自分の大胆な発言を思い返して恥じ入り、身を縮めて俯くアマーリエは、他の三人がキヨツグと同等に自分を温かく見つめているとは思わない。
「独占欲の強い者はどのような種族のどの性別であっても少なくないだろうが、あなたは一見、リオンのように悋気の激しい女性(にょしょう)には見えない。面白いな」
「お、やるか?」とリオンが笑顔で握った拳を見せると「後でな」とアシュは明るく応じる。
「関係を持たない名前だけの二人目三人目の妻を迎えることでリリス族内部の力関係が安定すると思うが、その手は取らないのだな」
「ああ。そうするくらいなら族長位を返上する」
 アマーリエはぎょっとしたが「ここにも独占欲の強い者がいた」とアシュには笑い事のようだ。
「そういうことなら俺も協力しよう。何をすればいいんだ?」
 このようにして頼もしい人々の同意を得て、キヨツグは彼らにこの日の予定と、求める助力について話し始めた。

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