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 二日目は、一日目とは違ってひたすら祝いの言葉を受ける日となっている。族長夫妻と御子に代表者が順に祝辞を述べ、最後に全員が揃って祝福するという流れだ。その後アマーリエたちは王宮の門まで行き、門前に集う民に顔を見せて終わりとなる。
 この日必ず行われなければならないのは、アラヤ長老夫人とヨルムとの対決だ。
 だがこちらが迎え撃とうと準備を進めていくうちにあちらが日和って事を起こさない可能性がある。それを避けるため、向こうが仕掛けてくるようにこちらもお膳立てしてやる必要がある、とキヨツグは説明した。
「敵は、アラヤではない。この後も等しい要求をするであろう者たちだ。その心を折るために、今回の件を利用させてもらう」
 リリス族の主立った者たちが集まっている状況で、第二夫人を迎えることはないと思い知らせることができればこのような出来事は二度と起こらない。そう考えたのだった。
 勝ちにこだわるのはキヨツグとアマーリエの思いもあるが、由緒正しい血統と認められた稀有な長であるキヨツグがもし屈したとなれば、今後の治世に影響が出ることが予想できるからだ。だから絶対にアラヤ長老夫人とヨルムの要求を飲むわけにはいかなかった。
「向こうがいつどういう風に仕掛けてくるか、予想はついているんだよな?」
 ヨシヒトの問いにキヨツグは頷いた。
「その考えを人々の集う場で述べることができたなら考える、と告げたことがある。ゆえに事が起こるのは、すべての者が一堂に会する最後の言祝ぎのときだ」
 その際予想しうる相手の手札は「アマーリエが真夫人に必要な教養その他を身につけていない異種族であること」、それから長く続いていた療養生活を引き合いに出して「真夫人としての公務に耐えうる心身でないと考えられること」、そして昨日接近してきたシハンを絡めた「キヨツグ以外の男性との密会、ならびに不貞行為の疑惑」だ。三つ目は以前問題となったマサキの件を再び持ち出してくる可能性がある。
 もちろんキヨツグの血統の保持を理由に、コウセツ以外の子どもを設けるべきだとも言ってくるだろう。ただでさえアマーリエの存在をきっかけに開かれたリリス族で、リオンとモルグ族のアシュの政略結婚の件もある。
 同胞ではなく異種族を重用するのか、という不満の声がある、とキヨツグは言った。もしそうでないのなら形だけでもリリス族の妻を娶るべきだと、立場のある者から意見されたこともあるらしい。
 それでも揺らがぬ意志をもって、指揮官としてキヨツグは一同を厳かに見渡し、口を開いた。
「ヨシヒト。お前には男たちを抑える役目を頼みたい。彼らを押さえておかねば別の問題が新たに浮上しかねぬ。情報を操作し、工作せよ。族長の力を見極めるべきだとでも言えば容易かろう」
「別に容易くはないんだが……まあいい、引き受けよう」
「リオンにはエリカに代わって女たちの様子を見つつ、あちらが確実に事を起こすよう、煽ってもらう。勝てると思い込ませ、こちらに引きずり出せ。アシュ殿はリオンと協力しつつ、先ほどエリカと話していたようなことを他の者に尋ねてみてほしい。リリス族の価値観を知り、知識欲も満たす機会にもなろう」
「こんなところまで適材適所か。よかろう、引き受ける。煽るのは得意だからな」
「承知した。そのときは族長殿の邪魔をしないよう、リオンの指示を仰ぐことにしよう」
 キヨツグが視線を向けたので、アマーリエはわかっていると頷いた。
「私は先方の罠に落ちたように見せかけるため、可能な限り表に出ず、引きこもっているようにするんでしたね」
 シハンはあちらがアマーリエの醜聞を生み出す目的で放たれていたことは調べがついている。事前にユメを配置し、実際はキヨツグが助けに入ってくれたので何事もなかったが、こちらの様子を観察しつつ事が起こったと思われるときにその場を離れたようだ。ユメの報告によれば、キヨツグが涼亭に踏み入ってきたところは目撃されていないと考えられる。だからきっとアマーリエが手酷くやられたと思っていることだろう。何せシハンは招待客ではない。行方知れずとなっても、仕事を果たしたのなら捨ておいて構わないと考えているから、人知れず拘束していても問題がないのだ。
「そのことで提案があるんですが、いいですか?」
 アマーリエの問いに、心持ちキヨツグの声音が穏やかになる。
「……なんだ?」
「女官の数を絞っていただけませんか? 昨日何があったのか知った人たちが、またなのかと怒っているように見せかけたいんです」
 不貞疑惑の罠との関連で、以前マサキとの逃亡未遂騒ぎがあったときのことを思い出したのだ。いまほど周囲との関係が構築できていなかった当時、近くにいたはずの人々の心が遠くなったこと。それに呼応してアマーリエを疎んじ、避けたり、距離を置こうとして近しい仕事をしたがらなかったときがあった。
 二日目になってあまり表に出てこなくなったアマーリエと、怒っているらしい女官たち。一日目の途中で突然姿を消した後に何かあったらしいと、招待客は感じ取っている状況だ。ヨルムたちが利用するであろうそれを、こちらもさらに使わせてもらう。
「……誰に任せる?」
「ココに頼もうと思います。彼女なら、若手を上手く誘導できるでしょう」
 アイやその補佐を行うセリよりも、より一般的な人々の考えに近しく、寄り添うことのできるココだ。王宮に上がってまだ日の浅い者たちへ巧みに噂を広げてくれるはずだった。
 キヨツグはかすかに目を眇めてから言った。
「……アイにも話を通しておくように」
「承知しました」
 ココは女官としては中堅どころではあるものの、若さゆえに少々思い込みが強いところがある。やりすぎることのないよう、アイに事情を説明して制御できるようにしておいた方が安全だ。
 着の身着のままでやってきたリオンとアシュは着替えるためにかつて彼女の住居だった宮へ行き、長々話し込んだことで突発的事項の対処や準備状況の報告をしたがっている官たちにキヨツグは呼び出されてしまったので、アマーリエは冷めてしまったお茶を淹れ直してヨシヒトに振る舞った。
「滅多にないお披露目だっていうのに、必要とはいえ、引き篭もってなきゃならないのは退屈ですね」
「そうですね。でも人前に立つのは得意ではないので、ちょっとほっとしてしまいました」
 そつなく振る舞うのは、できないことはないが精神の消耗が激しい。噂が広まっているのならアマーリエを検分しようと考える者たちもいるだろう。粗相をしてしまったとき、対決の際の弱点に利用されるのだから失敗はできない。そういう重圧からわずかばかり解放されたのだから、少しだけ心が軽い。
「どんな状況でも堂々と立派に振る舞うことができれば、今回のようなことにはならなかったんだと思うんですけれどね……」
「んー……それは、どうですかね?」
 ありがとうございます、と温かいお茶を飲み、ヨシヒトは視線を斜めに上げた。
「真様が言うのはつまり、キヨツグと同じとまではいかなくても、似たように振る舞える人間が真夫人だった方がよかったと思う、ってことですよね。それはそれで大変だったと思いますよ。だってそんな人間はわんさかいますからね」
 アマーリエはぱちりと瞬いた。
「わ、わんさか?」
「ええ。リリス族に生まれた人間には、必ず課せられる役目があります。何かわかりますか?」
 戸惑うアマーリエにヨシヒトは底知れない笑みを向けた。
「結婚ですよ。リリス族は一家庭につき子どもは一人、多くて二人です。だから古い家や主家の人間は結婚して子どもを得る必要がある」
 後を継がせる段階で孫がいることもあるので、幸いにも家が絶えるということは稀ですが、と心当たりがありそうな口ぶりで付け加える。
「そうなるとですね、立身出世を望むとか家や一族をまとめるなんて立場の者でなければ、いい結婚を求めるようになるわけです。だから男も女も容姿を磨き、能力を高め、よりよい相手との結婚を目指す。だから王宮に上がるような立場の者は、だいたいが真様の仰るような人間ばかりですよ」
「なるほど……だからなおさらみんな、特に女性の方は私が真夫人でいることが許せないと感じる方が多いんですね」
 一人だけ、突出して劣っている者がいて、それが他の人々が夢見るような場所に立っていた、自分はそんな状況なのだと思って苦く微笑むと、何故かヨシヒトはくすりと笑った。
「周りがどう思うのかは別として、俺は、キヨツグが何故真様を選んだのか、わかる気がしますけどね」
「え?」
 途端に思い返す、キヨツグの理由。花嫁になり得る都市の女性たちのうち、アマーリエを選んだのは、候補を見定めるためにやってきた彼が見初めたからだ、と聞いたことがある。しかしその思いを抱くに至るわけについて、キヨツグの幼少期を知るヨシヒトには心当たりがあるらしい。
「は……初恋の人に似ている、とか?」
「いやいやそれを言うなら真様が初恋ですから!」
 赤くなっていく顔を隠そうと苦し紛れに捻り出した理由は、ヨシヒトのぶわっはっはっ、という豪快な笑い声にかき消される。
「ほら、子どもの頃から可愛げのないやつだって話したことがあったでしょう? 年頃になった周りが恋だの愛だの好きな人だのって話をしているときに、一人だけしれーっとしててねえ。そういう態度が『かっこいい!』なんて騒がれて、あれは腹が立ったなあ」
「は、はあ……」
「そんなやつだから恋心なんて抱いたことないですよ。断言します。女性の影がちらちらしているときもあったと思いますけど、恋とか愛とか理解できるようになったのはあなたと結婚してからなんで、安心して、」
 ひゅんっ、とヨシヒトの姿が消えたのと、彼がいたはずの場所に何かが横凪ぎに空を切ったのは同時だった。次の瞬間にはだん! と鋭く床を踏む音がして、袴の裾を踏みつけられたヨシヒトが恨めしげに足の持ち主を振り返って睨んでいた。
「キヨツグ、お前なあ」
 戻ってきたキヨツグが会話を聞きつけ、ヨシヒトを黙らせようと踏み込んできたのだった。横に振るわれたのは彼の頭を掴もうとしたキヨツグの腕で、ヨシヒトはすぐさま察知して避けたものの、衣服の裾を踏まれて逃亡に失敗したという流れだったようだ。
「あんたがわざわざ怒らせるようなことするからでしょ。あんたって本当に、昔から妬けちゃうくらいキヨツグが大好きよね」
 答えたのはキヨツグではなかった。聞いたことのない、しかし明るく軽やかな女性の声がしたかと思うと、春の風のような翡翠色の打ち掛けをまとった、ふんわりと髪を結って耳元から長く後毛を垂らした人が現れた。
「ウヅキ! 支度が終わったんだな。すごく綺麗だ」
 ヨシヒトの歓喜の声にウヅキは呆れた顔をする。
「それよりも前にキヨツグに謝って。それから真様にも驚かせたことをお詫びして」
 そう言って彼女はアマーリエを見て、にこっと温かく眩しい笑顔を向けた。
 アマーリエより少し年上の見た目で、優しげな装いや髪型が色気を醸し出すすらりとした美女。一目見た印象は『高層ビル内のオフィスで働く女性』だった。快活できびきびしていて、自分に厳しく他人に優しい。必要以上に着飾るつもりはないけれど心根の真っ直ぐさが表情や態度に表れて好感を抱かずにはいられない、そんな感じだ。
「ウヅキ、」
「からかってごめんなさいって言うのよ」
 そんな美女にヨシヒトは弱り切った顔で「……すまん」とキヨツグに頭を下げ、それにウヅキも倣った。
「ごめんなさい、この人ったらあなたに会えるのが嬉しくってしょうがないのよ」
「知っている。でなければ着飾ったお前を私に自慢しようとはすまい」
 ウヅキは「あら」と相好を崩し、ヨシヒトは嫌そうに顔を引きつらせる。
「だったらなおさら、ますます夫がはしゃいでしまってごめんなさいね。代わりと言ってはなんだけれど、キヨツグ、あなたの大切な人について自慢がてら紹介してもらえる?」
 キヨツグが頷き、視線に促されてアマーリエは急いで彼の隣に並ぶ。
「我が妻にしてかけがえのない半身、アマーリエ・エリカだ。エリカ、彼女はヨシヒトの妻でウヅキという」
 かけがえのない、と聞いたアマーリエの顔が勝手にうっすら染まる。
「アマーリエ・エリカ・シェンと申します」
「ウヅキ・セノオと申します。ヨシヒトがお会いになったと聞いて、私もお目にかかる日を楽しみにしておりました」
 しっとりと礼をしながら頬を上気させて、目はきらきらしている。
(なんだか可愛い人だな)
 見た通りの年齢かはわからないが少女のような女性だ。キヨツグとヨシヒトに対する態度といい、アマーリエはもうウヅキが好きになってしまっていた。
「こちらこそ、ヨシヒト様の自慢の奥様にお会いできて嬉しいです。こんな慌ただしい時期なのが惜しいくらい。どうか仲良くしてください」
「ああ、本当にそうだわ。こんな状況でなければお茶を飲みながら天様の昔話といまの話ができたのに!」
 ウヅキはふうっとため息を吐くと、表情を改めて言った。
「事情は、天様から伺いました。本日私は真様のお側に控えることになりましたので、よろしくお願いいたします」
「お前の護衛を兼ねた連絡役だ。何かあったらウヅキを通して知らせるよう」
「わかりました」
 主立った者たちが揃った段階で、アマーリエとキヨツグも支度に入った。
 支度の最中、アマーリエは密かにアイとココを呼び寄せ、先ほど話し合いで決めたことを説明した。二人ともすぐに飲み込み、ココは、アマーリエに疑いを持つ若手女官たちの心当たりがあると頼もしいことを言ってくれ、任務を遂行するために速やかにその場を離れた。
「張り切りすぎなければよいのですが」
「そのときはよろしくね、アイ」
 ごめんなさいと眉尻を下げて言うと「人を使うのがお上手になったこと」とアイは笑っていた。
 自分の支度が終わると次はコウセツだ。
 新しい衣装は、彼の貴色を用いている。紅掛花色、名前からは想像しづらいが赤みを帯びた明るい青紫で、キヨツグとアマーリエの使う色を混ぜ合わせたようなものが選ばれた。
 そのときには先ほどのアマーリエの指示が行き渡っていたらしく、周囲に控える女官たちの数は少し減っていた。残っている者も、入って日の浅い者たちは心持ち疑うような目をしている。真偽は不明だが不貞を働いた疑惑がある、などという噂が広まっているのだろう。本来の仕事を放り出して別の役目についた者たちへの不満もあるのかもしれない。こちらの指示だったと、後で説明しておく必要がある。
 こういう視線を受けるのは、初めてではない。今回は決して自分が悪いわけではないけれど、時折感じる冷たい目や声の調子は、これから戦おうとするアマーリエの心を少しだけ重くする。絶対に勝たなければ、彼女たちの疑惑や心の傷は本物になってしまうのだ。
「たーた?」
 そんなとき、着替えを終えたご褒美の砂糖菓子を堪能したコウセツが、口の周りを拭こうとした乳母の手から逃れてアマーリエのもとへやってきた。
「たーた、たいたいなの?」
(うん? 『たいたい』って確か……)
 重そうな袖の小さな手がアマーリエの頬にぺちりと触れ、ぶんっと外で大きく振られる。
「たいたい、ばーい。たいたいばーい!」
『たいたい』――『痛い痛い』。転んだりぶつけたりして泣くコウセツに、アマーリエは何度も「痛いの痛いの、とんでいけー」とあやしたものだった。
 きっと彼にはアマーリエが痛みを感じているように見えたのだろう。痛みが和らぐよう一生懸命に真似をしてくれている。見苦しくもしがみつき、これまでのものを捨てると決めて選んだこの場所で、当たり前のように健やかに優しく育ってくれる我が子に込み上げるものがあった。
「たいたい、ばいした?」
「うん、ありがとう。大丈夫、もう痛くないよ」
 口の周りを甘くべたべたにさせて満面の笑みを浮かべるコウセツを抱き上げた、その重みで、心がすとんとあるべき場所に収まった。
 この戦いは、もう自分の心のためだけじゃない。
 望む未来のために。幸福な日々を手に入れるために、自分の大切なもの以外を顧みてはいけないときがあるのだとしたら、いまがそのときだ。
 侍従が刻限を告げ、女官と乳母、護衛官たち、そしてウヅキに付き添われて謁見の間へ向かう。ウヅキやユメはここまでで、謁見の間での挨拶の後、元の位置に戻って仕事を果たしてくれることになっている。
 待っていたキヨツグに目礼して応じ、コウセツを託した。表情も言葉もなく、周りには冷たくあしらっているように見えるだろうが、信じているという言葉はちゃんとアマーリエに伝わっている。
「お時間でございます」という神祇官の言葉を受けて、キヨツグとアマーリエ、そして父親の腕に抱かれたコウセツが、本番となる謁見のため、静かな一歩踏み出した。

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