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 リリス族の各氏族の立場や身分の順に行われる謁見と祝辞は、厳かに、そして穏やかで和やかな雰囲気で始まった。
 キヨツグの母であるライカは夢見の巫女という性質のせいで本日は欠席、妹であるリオンが夫アシュとともにやってきて母の祝辞を代読した。またリオンは北領の暫定領主でもあるため、この祝いの言葉も述べて行き、その後は東、西、南領の長たちが夫婦、あるいは家族とともにやってきた。同じく王宮に出仕する長老たち、その中にはユメとカリヤのように夫妻で勤めている者たちの姿もあった。
 そうしてリリスの各地で様々な暮らしをする各氏族たちと続くが、リリス族の歴史の知識が足りないアマーリエには何故この順番になっているのかなかなか覚えることができない。現在の長や代表の人となりは頭に叩き込んでいたが、その歴史までとなるとどうしても時間が足りないのだ。
 多くの記録が失われたヒト族とは違い、リリス族にはかなり過去を遡ることのできる文書や言い伝えが数多く残されている。そうしたものが由来となって氏族の格を位置付けていると、覚えなければならないことがどんどん膨らんでいくのだった。
 かろうじて取り繕い、キヨツグや、コウセツのために見えないところに控えてくれているアイや女官たちに助けてもらいながら、内心の焦りや不安を押し込めて微笑みを浮かべる。挨拶に対するお礼の言葉はこれまでの経験で少しずつ板についてきたらしく、キヨツグの膝や、アマーリエの膝上に移動してくるコウセツの様子を見る余裕が生まれていた。
(人見知りするかと思ったけど、大丈夫そう)
 次から次へとやってくる人々の仰々しい言葉を聞いた最初はきょとんとしていたが、いまは風の音と同じくらいに感じるのか、誰が何を言っても好きに振る舞っている。「こっくんは?」と愛猫の姿を探して声を上げることもあったが、「いまはこっちに来られないの」と言うと不満そうな顔をしながら、黙って馬の人形をいじっていた。
 ただ時々、好きな声質や雰囲気がある相手がいるらしい。そのときは顔を上げて、じいっと視線を注ぎ、目が合うとにこーっと笑顔を見せて魅了するという技を見せていた。
(将来人たらしになりそうだな……ちょっと心配だな……)
「ばいばー」
 無邪気に手を振るコウセツに、厳しいしかめ面を決して崩さない古老が、とろけそうな顔をしてちょいちょいっと手を振り返すのを見て、我が子の将来に思いを馳せた。キヨツグによく似た顔で愛想がいいとなれば、いま以上に恋愛や結婚にまつわる騒ぎが頻発しそうだ。
 そんな風にして少し和やかな気持ちになっていた謁見は、その人たちの訪れで一気に張り詰めた。
「アラヤ長老夫妻、ならびにヨルム嬢」
 眉間に深い皺が刻まれた意志の強そうな顔つきと目をした、年老いたアラヤ長老。
 彼の寄り添うのは、たっぷりした黒髪を豊かに結い上げ、妖艶な微笑を浮かべた若く美しいアラヤ長老夫人。
 二人の少し後ろに控えているのは大きく丸い目を愛らしく潤ませ、ふっくらした唇に淡い微笑を浮かべた美しい少女だった。黒よりも淡い色の髪を丸く二つに結って残りは後ろに流し、小さな花飾りをつけている。切り揃えた前髪は真面目そうな印象だが、愛らしさはまったく損なわれておらず、彼女の肌の白さと唇の赤みを強調していた。濃い紅に白をあしらった衣装は、華美さよりも性質を表したかのように威厳がある。
(これが、ヨルム様……)
 情報通りなら武術の心得があり、馬も巧みに操るというのだから、人は見かけによらない。というよりも、美しく生まれついたのだから、さらなる高みを求めたのかもしれない。その結果、身内であるアラヤ長老夫人とともに族長夫人の座を目指したのだろう。
「天様、真様、ならびに御子様にお祝いを申し上げます」
 どっしりした声でアラヤ長老が挨拶を述べ始める。
 言葉こそ違えど内容はどこの氏族も大きく変わらない。コウセツの誕生と健やかな成長を祝い、今後の幸せを祈念する、という内容だ。応じるこちらも「感謝する」であったり「よろしくお願い申し上げます」だったり、相手は変わっても同じような台詞の繰り返しだ。訪問客が多いので、新年の祝賀と同じく流れ作業になる。
「この度はおめでとうございます。御子様のご成長を心から喜び、お祝い申し上げます」
 その流れに変化をもたらしたのは、夫に続いて祝福を口にしたアラヤ長老夫人だった。
「御子様には我らリリスを導く御方のお一人として、自覚を持ってご立派に成長なされることを願ってやみません。天様、そして御子様のために、わたくしたちは如何な風評や謗りにも耐え、どのような協力をも惜しまぬことを、いまここにお約束申し上げます」
 そのときアラヤ長老夫人の目はゆるりとアマーリエに向けられた。
 笑っていたが、決して表情通りではない。こちらを敵と見定めた強い視線に、始まった、とアマーリエは素知らぬふりをして微笑みを返す。
「つきましては、天様のお耳に入れておきたいことがございます」
「おい」と隣に座したアラヤ長老が短く叱責するが、夫人は微笑むだけで退く気配がない。それを一瞥してキヨツグが言った。
「控えよ。次の謁見を待つ者たちの邪魔をするつもりか」
「ご懸念はごもっともでございます。ですがリリスを思う者ならわたくしどもの行動をいつか理解してくれるものと信じて申し上げます。すでにお聞き及びでしょうが、」
 長老夫人がそこまで言ったとき、アマーリエの膝にいたコウセツが突然顔をこちらに押し付けて服を握りしめてきた。
 嫌いなものから目を背け、逃げたがっているような仕草。
 アマーリエははっとし、コウセツを抱き上げて素早く立ち上がった。
「逃げるのですか?」
 可愛らしい声が広間に響く。
「ご自分の都合の悪い話だと、ご承知なのですね」
 可愛らしいヨルムの声。
 だがそこにある侮蔑と優越感に、アマーリエの心の中で青い炎が燃え上がった。
「――非常識な。子どもに聞かせる話かどうかの区別もつかないのですか」
「っ!」
 それは普段からは想像もつかないほど、強い蔑みと怒りに満ちた冷たい叱責だった。
 美しい白い顔が朱に染まったのには目もくれず、アマーリエは隣室に続くところで様子を伺っていたアイへ、彼女から後ろに控えていた乳母たちにコウセツが託されるのを見届けてから、元の位置に座り直した。
「……失礼いたしました。どうぞ、お続けください」
 気が削がれたような雰囲気だったが「では」とアラヤ長老夫人が膝を進めようとし、「真」とキヨツグが強く呼んだのは同時だった。
「弁えよ。今日が何の日か、忘れたわけではあるまい」
 アマーリエは目を伏せ「申し訳ありません」とこれ以上の発言を控えた。それに乗るようにしてアラヤ長老も妻に向かって「お前たちもだ」と言い含めている。
 結局、時間を取らせたことを謝罪したアラヤ長老に追い立てられて退出を促される二人だったが、そんな夫人をキヨツグの方が呼び止めた。
「先日私が告げた言葉を覚えているか」
 アラヤとスルギの争いにキヨツグが介入したとき。ヨルムの存在を匂わせたアラヤ長老夫人にキヨツグは不快感も露わに告げたという。
『そなたの意思、その考えを、リリスが集う場で述べることができたなら、考えよう』
 それを思い出した長老夫人は目に喜びを輝かせた。
「もちろんでございます」
「ならば、よい」
 行けとばかりにキヨツグは会話を打ち切り、アラヤ長老夫妻とヨルムが退室する。最後に出て行ったヨルムが潤んだ目を心配そうに細めて、しっとりとキヨツグに向けて一礼したのはさすがだと思った。
「……すまぬ」
「いいえ」
 あの場で続けるよりかは全員が集まるときの方が効果的だ。
 それにいまのやり取りはあちらにアマーリエとキヨツグの距離感を印象付けたと思う。アマーリエを叱責したことでキヨツグの妻への心証がよくない、あるいは身内であろうと毅然と接するのだと伝わっただろう。できるなら、心当たりがあるから過剰反応したのだと伝わるようにもっと上手く演技できたらよかったのだけれど。
 だがそんな話をする暇はなかった。流れが滞ったため、時間が押してしまっている。次の組みを早々に招き入れ、可能な限り遅れた時間を取り戻さなければならなかった。
 ひりついた雰囲気に怯えたであろうコウセツは、戻ってきてもやはりしばらく無口で何か考えていたようだったが、乳母たちが玩具やお菓子を与え、最後には愛猫のコクを連れてきたおかげで機嫌を取り戻したようだ。先ほどと同じように、部屋に入ってきた相手を気に入ると愛想を振りまいていた。
 そうして長く祝辞を受け続け、やっと終わりがきた。
 アマーリエたちが一度休息を挟む間に、客人たちが大広間に集う。そこで最後に感謝の言葉を述べて終了となるが、今回はそうはいかないだろう。
 隣室のキヨツグの元には、仕事を頼んだ者たちが続々と出入りしているようだった。気配を感じていたアマーリエにも、「お疲れ様でございました、真様」とアイがリオンとウヅキを伴ってやってきた。
「……リオン様?」
 だが何か、恐らく隣の部屋を気にしているらしい。コウセツの声がするからか。しかしリオンは、アマーリエの呼びかけにいや、と短く答えて首を振った。
「こちらは準備(・・)完了だ。いつでも行けるぞ」
 凛々しく華やかな装いで獰猛に笑うリオンは肉食獣のようだ。これからどのように獲物を手にかけようかわくわくしているようにも見える。いかにも楽しそうなのでどう注意したらいいものか、曖昧に笑うアマーリエにウヅキが耳打ちした。
「女性客のうち、あちらについた方々がおられます。そのときになったら声を上げるのは、恐らくその方たちでしょう」
 ますます戦いめいてきた。後ろに控え、出番を待っているヨルムを想像する。味方に囲まれながら、少女のような可愛らしい顔に自信と誇りに溢れた微笑みを浮かべているのだろう彼女。
「その方々の中で、警戒すべき方はいらっしゃいますか?」
「ご本人たちは、さほど。しかし名家ご出身の方々が多いですね」
 名家に生まれ、その後別の氏族や遠縁に嫁いだという女性が多数いるらしい。たとえば、といくつかの名前を聞いて心当たりがあった。総じて年齢が若い、世代から考えるにキヨツグの花嫁候補だっただろう人たちだ。
 自分たちは望みを叶えることができず、別の相手と結婚したが、ヨルムのような若く美しい才気溢れる少女が対抗馬として現れた。まるで夢を託すように応援しようと考えたのかもしれない。あくまで想像だけれど、アマーリエにはそう思えてならなかった。
 政略結婚という望まぬ形でこの場所を手に入れた。その不幸と、それ以上の幸いを手に入れた。他の人たちのことを少しも顧みることなく、自分のことばかり考えていた。だからいまこうして、それまで避けていたすべてが結集したようなヨルムが現れた、そんな気がするのだ。
(だったら、なおさら負けるわけにはいかない)
 背を向けたり、誰かに代わって戦ってもらったりなんてことも、絶対にできない。もし屈してしまえばこうして手を貸してくれたアイたち女官、ユメをはじめとした護衛官たちに、ウヅキとヨシヒト、情報をくれた少女たちの立場をも危うくする。族長の妹という強固に思える立場のリオンですらも多少の不自由を強いられるだろう。
 そしてコウセツ。あの子が健やかに、そして自由に育つことができるよう、この場所を選んだのだから、戦わない理由などアマーリエには最初から一つもなかった。
「真様? どうかしましたか?」
「え?」
 目を瞬かせるとウヅキは、ああ、と納得がいったように目を細めた。
「笑っていらっしゃったからどうしたのだろうと思って。でも、戦いを前にしているからですね。心を奮い立たせている人の顔でしたわ」
 微笑むウヅキだが、戦いと聞いてリオンが黙っているはずがない。
「どれどれ? おや、なかなか勇ましい、いい顔をしているじゃないか。リリスの新兵のようだぞ」
「リオン様……からかわないでください」
 まさしく将軍であるリオンを前に、武将のような、とまでは望まないが、新兵というのは、あまり褒められた気がしない。可愛らしいと言われているのと同じだ。
 複雑だがそれでも不快にならないのは、認められたような気がするからだった。若くて未熟だけれど、リリス族の一人として、戦おうとしているのだと言ってくれている。その証拠にリオンは獰猛な笑みではなく、凛々しくも優しい眼差しをしている。
(私はもう一人じゃない)
 寂しいときに側にいてくれる人。困ったときに手を差し伸べてくれる人。陰日向になって助けてくれる人。戦おうとしたときに力を貸してくれる人や、励まし、応援し、信じてくれる人たち。
 アマーリエのちっぽけな世界を支えてくれる、大いなる人たちのために、いまはただ笑っていよう。
 寂しいと泣くだけの少女は心の奥に。
 リリス族の真夫人、そして御子の母としての優雅な微笑をたたえて、アマーリエはその戦場に出陣する。

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